エピローグ

「これで良いかな……?」


 茜色の髪の毛を珍しくハーフアップにして整えながら、茉莉まつりは髪型や服装をチェックする。

 正直ファッションセンスに自信が無い彼女だったが、親友の美咲みさきにコーデを手伝って貰い、この服装に決めていた。


「デートならちゃんと勝負下着も選ばないとね!」


 揶揄からかう親友に思わず頬も赤くなってしまうが、残念ながらデートをするような関係ではない。

 ただ傍に居たかっただけ……それだけだった。

 普段は使わない大きめのショルダーバッグに、本や夏休みの課題などを詰め込んだ茉莉まつりは、フレアスカートの裾を揺らしながら家を飛び出した。

 電車に乗って向かうのは、彼女が毎日通う学校の最寄り駅だ。


 その駅前から5分程歩き、公園通りに面した場所に『その店』はあった。

『風来庵』とサインが出ているその店は様々な種類のお茶を楽しめる専門店であり、和洋の調度品で美しく纏められた店内は上品な印象を与え、女性に人気の喫茶店だ。


 中性的で優し気な雰囲気を持つ店主とパリコレでモデルでもしていそうな美人の奥さんの二人がやっているこの店は、いつも繁盛していて満席状態になるのだが、それでもカウンター席だけは客に座らせないようになっている。

 そこは茉莉まつりの指定席であり、店主の海斗と茉莉まつりは従兄妹にあたるのだ。


 この日彼女は、店があって休業できず法要に参加できなかった海斗とその妻である渚の為に、本家から預かった品物を届けに来ていたのだった。


「どうだった、法事は?  やっぱり、まっちゃんには退屈だっただろう?」


 ベルガモットオイルの香りが漂うアールグレイのアイスティーを茉莉まつりの前にスッと出しながら海斗が訊ねた。


「ううん。とても有意義な時間だったよ」


 茉莉まつりは、歳の離れた従兄に輝くような笑顔を見せてスマホの画面を見せた。


「曾お祖父さんと曾お祖母さんは、ラブラブだって事……知ったから……」


 スマホの画面に映っていたのは、彼等の曾祖父と曾祖母が若かりし頃、朝霧家の裏庭に立つヤマザクラの木の下で並んで立っている写真だった。

 まだお互いに学生だったのか、和人は詰襟の学生服で、志乃はセーラー服姿だった。


「この時代にこの写真……話には聞いていたけど、曾お祖母さんは本当に『ハイカラ』な人だったんだね」


 スマホに撮影された二人の写真を目にして、海斗は目を細める。そして、テーブルを掃除している妻を呼び寄せた。


「へぇー、この志乃さんって人、凄く茉莉まつりちゃんに似てない?」


 海斗の傍らから、ひょいと覗き込んだ渚が、志乃と茉莉まつりを交互に見比べては、感心したように声を上げた。


「そう言ったら、曾お祖父さんは……」


 海斗はひょいと人差し指を上げて、レジを指差して笑う。

 そこには、会計する客に対応する翔の姿があった。翔は海斗の店でアルバイトとして働いている。


「パッと見の雰囲気だけで言えば、彼に似てるんじゃないかな?」


 そう言って従妹に笑顔を見せると、茉莉まつりの白い顔が一気に赤くなっていく。彼女が翔に恋心を抱いているのは、とっくに渚には見抜かれていたし、渚から夫の海斗にも伝わっている。


「おーい、翔君! ちょっと来てくれる?」


 レジの操作を終え食器を下げていた翔が、トレイを持ったまま「何でしょうマスター?」と尋ねながらやって来る。そして、そこでようやく茉莉まつりの姿を認めた途端、その足がピタリと止まった。


「や、やぁ……茉莉まつりちゃん……来てたんだ……」

「う……うん……カイ兄さんに、届け物で……その……」


 お互いに顔を合わせる事もなく、何となくもじもじしている様子が初々しい。


――アオハルかよ……


 海斗は苦笑すると、助け船を出すように茉莉まつりのスマホを翔に向けた。


「これ、僕とまっちゃんの御先祖様……どうだい、よく似ているだろう?」


 画面を覗き込んだ翔は、先程渚がそうしたように、何度も何度も志乃と茉莉まつりを見比べている。


「……曾お祖母さん……似てる……」

「恥ずかしいから……そんなに見ないで……」

「ご、ごめん」


 急に恥ずかしさが込み上げてきて再びもじもじし始める二人を見て、渚がニヤリと笑った。


「じゃあ、茉莉まつりちゃんも写真撮っておこうか!  翔君、一緒に入りなさい」

「い、いや、俺は……その……」

「四の五の言わない!!」


 驚愕して手を振る翔の首根っこを掴み上げると、渚は問答無用とばかりに茉莉まつりの横に連れてきた。


「さぁ、撮るわよ! 二人とも表情硬い! それからもっと近寄って!」


 こういう時、渚の押しの強さを茉莉まつりは羨ましいと思う。海斗の事を射止めたのも、渚のグイグイ行く押しの強さだと聞いている。


 初めて会った時から憧れていた。

 図書室でその姿を頻繁に見るようになってからというもの、少しずつ意識するようになっていった。

 同じ本を愛する者としての連帯感だったのかもしれない。しかし今、胸の鼓動が大きく高鳴るのを茉莉まつりは自覚していた。

 こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。

 好きという気持ちは、もう止めることは出来ない。お互いに惹かれあって夫婦となりながら、一緒に生きていくことを阻まれた和人と志乃の事を思えば、自分はどれだけ恵まれた状況にいることか!

 茉莉まつりはそう自分を奮い立たせ、翔の傍に近づいた。


 カシャ! というシャッター音とともに、困ったような、照れているような表情をしている翔と心の底から嬉しそうな表情をしている茉莉まつりの姿がスマホのメモリーに刻み込まれていく。


 その様子を呆然と眺めている翔がいる。

 呼び掛けに応じないその肩をポンと叩いて茉莉まつりが声を掛けると、翔はハッとなって言葉を返した。


「ああ、ごめん……ぼんやりしてた……」

「もう……翔君って本当に、気の抜けている時はうっかりのんびり屋さんなんだから…………見てられないわ」

「……ご、ごめん……」


 申し訳なさそうに頭を掻く仕草も似合っていて素敵に見える。茉莉まつりは思わずフフッと笑ってしまった。


「どうかした? 俺の顔に何か……?」


 笑顔の意味が判らず怪訝そうにする仕草もまた愛しい……


「う、ううん……何でもないわ……何でも……」


 自分の気持ちが見透かされるような感覚に陥り、茉莉まつりは彼から視線を逸らして窓の外を眺めた。8月特有の青い空と沸き立つような入道雲が彼方の空に広がっていて、その眩さに目を細め、右手を庇のように翳してみる。


 そんな茉莉まつりの姿が眩しくて、翔は思わず見惚れてしまう。その時、茉莉まつりの瞳が彼を捉え、思い出したように口を開いた。


「翔君、夏休みの宿題……ちゃんとやってる?」

「う、うん。まぁ……ぼちぼち……かな?」


 アルバイトの休憩時間に、夏休みの宿題をやっている事は知っている。

 ただ彼は、いくつかのアルバイトを掛け持ちしているのだ。それこそ時間はいくらあっても足りないくらい。


「たぶんそうじゃないかと思って、わたしも数学の課題持ってきたの……一緒に此処でやらない?」


 茉莉まつりの言葉に、翔の顔が一気に明るくなる。


「助かるよ茉莉まつりちゃん、ちょっと奥から持って来るから待ってて!」


 そう言って、嬉々としてバックヤードへ走る翔を見て、茉莉まつりはクスッと笑っている。

 それは何の変哲もない、ありふれた当たり前の一日の出来事かもしれない。


 でも、それがとてつもなく有り難いものだと言うことを、茉莉まつりは曾祖母志乃から教わった。大好きな人とほんの僅かしか過ごすことが出来なかった志乃だが、それでも娘を育て、孫が生まれ、さらに自分が生まれた事を心から喜んでいたそうだ。


 和人に誓った通り、亡くなるまでずっと笑顔を絶やさなかったその人生を、茉莉まつりは僅かばかりだが垣間見ることが出来た。


「……私は……幸せだよ」


 見上げて呟いた先に広がる空は、どこまでも青く、澄み渡っていた。



                      Fin



――――――――――――――――――――――


【後書き】


初めまして。

朝霧 巡あさぎり じゅんと申します。

数多ある作品群の中から、当作品を選んで頂いてありがとうございます。


当作品は、太平洋戦争を舞台とした物語で、二度と戦争を繰り返してはならないという願いから執筆した作品です。

もちろんこの作品そのものは、フィクションでありますので、登場する人間は全て架空のものであります。


いわゆる『神風特別攻撃隊』による体当たり攻撃は『戦史叢書』によれば、昭和19年10月から敗戦までに直援機を含め2,483機の出撃、損害を与えた艦船358隻、作戦命中率16.5%となっています。単なる統計上の話ならば、そんな『非効率的で馬鹿げた作戦を実行する事』はないでしょう。


しかし同時期の通常攻撃による戦果は、この特別攻撃と命中率よりも低い状態であり、無為に兵力を消耗するならば……という考えが当時の上層部にあった事は想像に難くありません。用兵と言うのは、勝つために如何に効率よく兵を死なせるかという事に通じるからです。

そのような理論が、数十年前まであった事が恐ろしい事ではありますが、残念な事に世界中の軍隊では、常にその研究を行っている事には間違いありません。


1999年に作成されたアメリカ空軍報告書『PRECISION WEAPONS, POWER PROJECTION, AND THE REVOLUTION IN MILITARY AFFAIRS』において、特攻機は現在の『対艦ミサイル』に匹敵する誘導兵器と見なされて、当時の連合軍艦船の最悪の脅威であったと指摘されていますし、比較的少数でありながら、連合軍の作戦に重大な変更を強いて、実際の戦力以上に戦況に影響を与える潜在能力を有していたとも評価しています。


実際、特攻による人的被害は甚大で、艦船で火災や爆発が発生したら逃げ場はありませんから、連合軍全体では、戦死者12,260名・負傷者33,769名に達したという統計もあり、その後遺症やPTSDの影響は計り知れず、日本側が特攻兵器に費やした人員よりも米軍側の損害が大きかった可能性があります。


とは言え、この作品を右傾軍国主義者のように特攻を美化するつもりも「国のためではなく愛する者のため」と、耳あたりのいい価値観で、隊員達の精神性を一括りにするつもりもありません。


淡々と、その時代に生きた人々がどんな思いでいたのかを架空人物になぞらえて書いた物語です。

もちろん筆者自身、戦争体験などありません。ただ、他界した親族からの話や元特攻隊員だった方々の戦争体験から本作が出来上がったのは間違いありません。

『特攻が嫌だと思う人間は一人もいない』という元隊員もいれば『誰だって死ぬのは嫌だ』という元隊員もいました。


このように人それぞれ、置かれた状況も違えば、感じ方、捉え方も全然違う。現代社会を生きている私達にしてみれば当たり前の事ですが、戦争という『生存本能』と『使命感』の狭間、人の生死の極限状態であり、当事者の数だけ異なった捉え方があるのは当然だと思います。


一人一人の心の内にも、その時その時で、様々な感情が去来することを思えば、特攻という攻撃に直面した隊員達のどの言葉にも嘘はないと思うし、逆にそれが全てでは無いとも思います。


一つ言えるとすれば、あの時代を精一杯生きていたという事だけです。それは誰にも否定する事はできません。


最後までお付き合い頂けた方には感謝の言葉しかございません。

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蒼穹の風 ~遥かなる山河に~ 朝霧 巡 @oracion_001

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