空の物語は終わらない

 終戦から二ヶ月。

 街中に国旗が掲げられ、少し前まで下を向いていた人々が胸を張って歩いている。

 店は心配になる程安く商品を出し、客は価格より多く代金を置いていく。

 飲み屋には子供達さえ集まり、戦場帰りの英雄を囲んでいる。

 まさにお祭り騒ぎ。

 大きいとはいえ地方都市でこれだ。首都などの主要都市では、例えようもない程に盛大な歓声が上がっているという。

 54年間続いた大戦の終わりは、それだけの光を齎した。


「やらかしたやらかした……っ!」


 されど軍学校はそこまで馬鹿騒ぎは続けられない。二ヶ月も経てば、多少浮ついた空気があっても、規律を破る程の阿呆はいなかった。


「はぁっ……はぁっ……!」


 彼は走っていた。

 集合時間ギリギリの廊下を、汗を流しながら突っ切っていく。右手は帽子が飛ばないように押さえていた。

 今日は新しい教官との顔合わせ。それも相手は大戦を終わらせた英雄の中の英雄。

 人助けをしていたなど言い訳にもならない。遅刻などしたが最後、印象が悪くなり追い出されても文句は言えない。

 目的の扉に飛びつき、礼儀も忘れて力一杯開け放った。

 目に飛び込んできたのは、今まさに声を出そうとしていたであろう教官。

 

「お、遅れてしまいすいませんっ! レージ・シュテレアリです!」


 真っ青な顔をするレージに、生徒達はくすくすと笑い、教官達はそれぞれ違った顔を見せた。

 その中の一人、車椅子に座った子供にしか見えない教官がふっと笑う。


「私の方こそ急ぎ過ぎていた。まだ1分ある。席に着いてくれ」


 レージは一目で理解した。彼女こそが……

 感動で固まりそうになる体を、レージはぎこちなく動かして席に着く。

 きっかり1分後。顔合わせが始まる。

 起立の言葉で立ち上がるレージを含めた新兵。


「敬礼っ!」


 一糸乱れることのない敬礼は、レージ達の緊張の表れだ。

 憧憬、尊敬、感激、興奮。

 熱い視線が教官——大戦最後にして最難関の作戦を成功させた【独唱部隊】の四人に向けられる。

 新兵の輝く瞳は期待に満ち、胸は想いのままに高鳴る。口元は自然と緩み、下げたままの左手は固く握られていた。

 ここにいる新兵は機甲鎧科の者ばかり。ならば史上最強の名をほしいままにする四人は、新兵にとっての神様にも等しい。

 彼らの胸に輝く勲章こそ、レージ達の目指すべき頂点だ。

 新兵の必死さに何を思ったか、車椅子の教官が笑みを深める。


「おはよう。諸君、座ってくれ」


 促されるまま、レージ達は腰を落ち着けた。

 車椅子の教官が言葉を続ける。


「名乗る必要はないかもしれないが、一応名乗っておこう」


 ああ当然だ。彼らを知らない軍人はいない。

 空に刻まれた伝説。機甲鎧乗りの神様。不可能を可能にした英傑。

 特に、三人に囲まれている彼女は別格だ。


「アリア・レッドフィールド。見ての通り死に損ないだ」


 車椅子の上からアリアは言うが、そんなわけがない。

 大戦は数多の機甲鎧を次々葬った。それでさえ平均撃墜数スコアは14機。だがアリアの打ち立てた伝説は、そんな壁を粉々に砕いた。

 最終撃墜数は228機。文句なしの最多撃墜数保持者ワールドスコアホルダー

 他の三人にはない大きな銀剣勲章が、アリアの偉業を示していた。

 見た目は幼い少女だが、実年齢は29だという。

 その実績と神秘性から、彼女は天から遣わされたと本気で信じる者も多い。

 

「俺はギムレット・ラザッフォードだ。サインは“ガラート”。結構強いぞ?」


 強いなんて当たり前だ。

 ギムレットの撃墜数スコアは49機。紛れもない世界トップクラス。

 有名な変則機動による撹乱からの撃墜術は、教本を修正させたという逸話があるほどだ。


「ウィキ・シンテミクトよ。サインは“ティマ”。一つ前の馬鹿より強いから」


 ウィキの撃墜数スコアは51機。これは機甲鎧乗り史上五番目の記録であり、アノンデにおいてはアリアに次ぐ記録だ。

 女性でありながら徹底的基礎と凄まじい度胸で敵を蹂躙する姿は、世の女性を鼓舞したという。

 量産機での最高速度記録も保持している女傑でもある。


「ジム・バスクネット。サインは“ダム”。僕は補助と機器整備を教えるから、よろしく」


 控えめではあるが、ジムの撃墜数スコアは35機。

 25歳でこのスコアを誇る時点で、彼も最強の一角を名乗る権利はある。

 これで専門は索敵及び戦闘補助なのだから、どれだけ規格外なのだろうか。


(彼らが、【独唱部隊】に名を連ねた生きる伝説……)


 いずれも名高き超一流のパイロット。レージ達はその一挙手一投足も見逃すまいと目を見開く。

 アリアはそんな新兵達を見渡し、厳然げんぜんと言葉を発する。


「私は今この瞬間君達の“同志”だ。大戦は終わったが、君達が死なないように全力を尽くそう。作戦を成功させ、守り、生き残る。私達の持つ技術全てを叩き込む。故に、励め」

「「「「はいっ!!」」」」


 教官達は満足げな顔をする。

 アリアが目配せすると、ジムが白紙の用紙を配り始めた。

 全員に行き渡ったことを確認して、アリアは再び口を開く。


「そこに書いてもらいたいのは、『君達はどのようなパイロットになりたいか』だ。大戦が終わった今何を成すべきか、その想いを教えてくれ。書き終えた者から解散だ」


 意気揚々とペンを走らせる者もいれば、ペンを握りしめて悩む者もいる。レージは後者だった。

 レージは自分に問いかける。自分の目指すべきは、何を成すパイロットだろう。

 アリアのような絶対的神話か。【独唱部隊】のような不可能を可能にする伝説か。それとも、国に全てを捧げ盾となる英雄か。

 どれもしっくりとこない。

 レージは思い浮かべる。思考に深く沈み、想いを探す。

 家族を守りたかった。大きな手で撫でてくれた軍人に憧れた。愛しい国を守りたかった。笑顔を、誇りを、心を、何気ない日常を護りたい。

 そんな自分は何よりも——


「——ああ、そうか」


 笑みが浮かぶ。すっきりとした。

 なんだ。簡単じゃないか。

 軍人としてはともかく、パイロットとしてはこれしかない。

 レージは迷うことなく一文を記し、席を立った。





    †††††





「パッとしないなぁ」


 アリアに与えられた部屋で、ギムレットが愚痴を零す。

 手に持っているのは、先程新兵に書かせたものだ。


「ギム、さっきから同じこと言うのやめてくれないかしら」

「んなこと言ったって、どいつもこいつもつまんないんだよ。俺達みたいになりたいだの、国に尽くすだの、国民の為だの」

「まあね。でも新兵なんてそんなものじゃないかな」

「ジムもつまんねえな」


 三人の言葉を聞きながら、アリアは一枚一枚丁寧に確認していく。

 ギムの言うこともわかる。大戦の根深い軍事信奉は、早々に変わるものではないらしい。アリアでさえこれだけ同じ事を書かれると、見るのも億劫になってしまう。

 立派な理由なのだろう。軍人の抱く心としては間違っていない。

 だがアリアは感じるのはそこまで。何がなんでも生き残る気概が感じられないからだ

 

(まあ、次会ったとき言うべきことは決まったな)


 戦場に夢を見るな、希望を見ろ。輝かしいだけの理想は、即座に現実によって叩き潰される。

 それを教えないことには、技術を教える意味もない。

 アリア達に死兵を育てる気はないのだ。


「そういやあ、後で首席入学者がここに来るんだったか?」

「どうせ書類審査のでしょ? 期待はできないわよ」

「どいつが来るんだ?」


 アリアの手が、一枚の用紙で止まった。

 目は留まったのは短く書かれた一文。

 口元の笑みは興味と期待、嬉しさによるものだ。


「来るのは確か」

「ふっ、面白いやつだ」


 ジムの言葉を遮ったアリアに、三人は視線を向けた。

 アリアがジムに用紙を渡す。ギムとウィキも覗き込む。

 読み終わった三人は、堪えきれずに笑い声を上げた。


「いいね。見込みは十分かな」

「そうだよ! これくらい馬鹿でいいんだよ!」

「ま、悪くないわね」


 アリア達の心は一致した。

 軍人としては正しいとは言えない。甘い考えだと言わざるを得ない。

 しかしそれで良いのだ。

 不安定とはいえ平和と言える時代に戦うなら、死兵の心なんて捨ててしまえ。

 アリア達が望んだのは、そう言える世界なのだから。

 故にアリア達は笑い合う。祖国の安泰を確信して。

 

「こいつ誰なんだ?」

「ああ、彼が——」


 ギムの言葉にジムが答える。

 一同は、笑みを深くした。





     †††††





「し、失礼しますっ!」


 レージは緊張に身を固くしながら、伝説の四人の前に立った。

 今までのレージの人生の中で、彼らに比するプレッシャーを与える者は存在しない。前に立つだけで押し潰されそうだ。

 何も考えず首席を喜んだ過去の自分。用意されていた試練は凄まじかった。

 真っ白になりそうな思考をなんとか繋ぎながら、役目である宣誓の言葉を紡ぐ。


「我々は空に使命を果たし! 無辜の民の盾たらんと——」

「ああそれは止めていい。聞いたことにしておくからそこまでだ。それよりも君の話だ」


 アリアの言葉に口を閉じたレージは、混沌とした思考を処理できなかった。

 宣誓は大戦中期からの伝統だ。それを、教官にして空の神様が止めた。これにはどんな意味があるのだろうか。

 試されているのだろうか。言葉通りなのか。

 わからない。アリアは何を求めていると言うのか。

 目を白黒させるレージに、アリアは笑いかける。

 

「君には非常に強い興味がある。君に書いてもらったこれだ」


 アリア用紙を持ち上げる。紛れもなくレージの書いた、『どんなパイロットになりたいか』だ。

 顔色を悪くするレージ。

 軍人として相応しくない、そう言われる。他でもない軍の英雄に。


「軍人としては甘いと言わざるを得ない——」


 ああ、やっぱり……

 叱責を覚悟するレージ。


「——が、今日顔を合わせた者の中で最も見込みがある」


 恐怖に下げていた視線を、レージは勢いよく上げた。

 優しげな笑みを浮かべるアリア。他の教官も頷きやサムズアップをしている。

 

「……怒らないの、ですか」

「怒らないさ。少なくとも、ここにいる私達は」


 アリアの笑みは、慈しみに満ちている。

 テレビや写真で見る彼女は、笑みなど見せたことがなかった。輝かしき栄光に反して、人間性を削り取ったかのように。

 なのに今日のアリアは、そんな陰を見つけるのが難しいほどだ。

 アリアが用紙に書かれた一文を口にする。


「『仲間を死なせない誰も置いていかない。そんな英雄に成りたい』……か。いい言葉だ」


 改めて言われると気恥ずかしくなる。しかし、レージの心が熱くなる。


「レージ・シュテレアリ。私達は英雄に成りたかったんじゃない。後に続く者達がそれを口にできるように、命を掛けて空を飛んだんだ」


 レージは、鼻の奥に刺激を感じる。


「お前は間違っていない。これからのパイロットは、そうあるべきなんだ」


 視界が歪むが、袖で拭くことはない。

 だってこれは、恥じるべきものではない。


「嘲笑う者もいるだろう。ならば証明しろ。力をつけ、技を磨き、心を見せつけろ。その為ならば、伝説私達をも踏み台にすればいい」


 声が漏れないように、下を向く。

 雫は床に散り、濡らしていった。


「お前は、誰よりも助ける機甲鎧乗りになれる」


 歯を食いしばり、顔を上げる。

 アリア達は、真っ直ぐにレージを見つめている。鋭くも優しく。力強くも抱きしめるように。

 だから、レージはそれに応えなければならない。

 震える右手を挙げ、帽子に添える。今のレージが出来る、渾身の挙手の敬礼だ。

 涙声を抑え、深く息を吸う。


「……っ、はいっ!!」


 不恰好かもしれない。声が震えていたし、表情も酷いものだ。

 だが、未来を示すには十分過ぎる。


「はっはっはっ! いいぞお前! このっ!」

「ふーん、なかなか悪くないわね。……もう5歳上なら」

「見境ねえな猪女」

「うっさいわよハチドリ男!」

「まあまあそのあたりで。うん、よく返事したね」


 三人に囲まれるレージ。

 息苦しいほどの気恥ずかしさと嬉しさが、胸が重くなるほどに積もっていく。

 認められた。誰よりも戦場を知る伝説が、他の誰でもなくレージを認めたのだ。


「レージ」


 車椅子を動かし、アリアが近づいていた。

 誰よりも尊敬すべき神話に、レージは姿勢を正す。


「君はこれから困難な道を歩む。嘲られ、疎まれ、蔑まれることさえあるかもしれない。君の信念はそれだけ今の軍人にそぐわない」


 アリアは鋭い視線をレージに向ける。

 強い意志と期待が、言葉にせずともレージには伝わった。


「それでも、君は信念を違えない事ができるか?」


 レージの心は決まっている。伝説に認められたとき……いや、アリア達全員が生き残ったと知った時から。

 故に、レージは胸を張って答える。 


「やります、やり遂げます! 僕は絶対に諦めたりしませんっ!」


 アリアが表情を崩し、美しい笑みを魅せる。


「よく言った。魂と信念を誇り、大空に証明してみせろ」


 レージとアリアは、固い握手を交わした。



 空の伝説アリアは羽を失い、大戦とその偉業に終止符を打った。

 若い雛レージは憧憬と信念抱き、いずれ風を掴む幼い翼を得た。

 翼持たぬ人は、可能性という翼を作り挑戦を続けていく。

 故に、空の物語は終わらない。


 さあ飛び立つがよい。

 伝説は過去のもの。

 今羽ばたかせるは未来への願いと希望!


 飛翔せよ未来へ。

 新たなる物語はお前達のものだ。

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四羽のフォーゲル アールサートゥ @Ramusesu836

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