第4話
「——
《承諾。〈
見えるものが、聞こえるものが、考えるものが——世界が、生まれ変わった。
黒が光り、赤が沈み、白が聞こえ、青が組み上がる。知覚する全てが桁違いの情報密度。
アリアが認識する内界は【特記体】のものであり、【特記体】の認識する外界はアリアのもの。両者に隔たりはなく、ただ一つの思考形態として調和する。
アリアと【特記体】。人間と機甲鎧。有機生命体と無機物機構。
自然では決して交わらない二つが
〈
〈
もはや強化人間や機甲鎧といった括りでは語れない。
ソレは、【一元律者】という超越者だ。
《〈
「目の前の奴らは後だ。まずはダムの借りを返す……!」
蒼穹に、閃光が走った。
初速は音速の7.7倍にも及び、目の前の【戦略火】2機を対応する間もなく置き去りにする。
【戦略火】の演算力も大火力も、超越者を止める役に立たなかった。
「さあお前だ」
強化人間の口から、血と共に声が零れる。アリアの面影は、憎悪に呑まれた表情くらいのもの。
機体の背中から副腕が展開される。元より人型から逸脱していたフォルムが、四肢という特徴すら捨て去ったのだ。
ダムを撃った【戦略火】は砲撃することもできないまま、【一元律者】の接近を許してしまった。
稲妻のような軌跡で背後をとった【一元律者】は砲翼の一部を副腕で掴み取り、そのまま引き千切る。
それだけでは終わらない。“アリア”の憎悪を汲み取った【一元律者】は、機能中枢を破壊しないように【戦略火】へと砲撃を行った。
【戦略火】は全高22
そんな【戦略火】が
加速、減速……そして浮遊。空戦を成り立たせる
墜ちていく。バランスも取れぬまま、錐揉みしながら遥か下へと真っ逆さまに。
機乗者が脱出できる余地を残したのは、最後の良心といったところか。尤も、【戦略火】にその機能がないことは【一元律者】も予測していたのだが。
「次はお前らだ」
ガラート達に意識を向けることなく、【一元律者】は【戦略火】2機へと進路を変えた。
速度は音速の8.5倍にまで達し、白熱の軌跡を残す極音速飛行は
それを迎え撃つは鉄火の御使い。
砲翼より飽和砲撃が行われる。その火力は天を焦がし目を眩ませ城塞さえ火に沈めよう。
しかし残念かな。アリアと【特記体】は『死を告げる鳥』だったかもしれない。だが【一元律者】は『死そのものの超越者』だ。
『天の御使い』ごときが分を弁えよ。汝、
「消え——」
『——! 隊長! 僕は無事だ!!』
強化人間……いや、アリアの心臓が大きく跳ねた。
——誰だ?
ダム……ジム・“ダム”・バスクネット。
——そいつは何だ?
アリアの、私の部下だ。
——その程度の存在に何を心乱す?
他人だが、如何なる勲章にも負けない光だ。
——それに何の意味がある?
それがわからないなら引っ込んでいろ。ここからは……
「
超越者たる【一元律者】を、強化パーツに過ぎないアリアの意思が凌駕する。
猿と人間。人能者と全能者。人と神。埋め難い絶対的格の違い。
だからどうしたッ!
所詮は人の作り上げたもの。なら、黙って従え。
アリアの口元に、笑みが刻まれる。血の紅で彩られた三日月は、しかし優しげだ。
生きている。ダムは生きている。ガラートもティマも生きている。
ならばここからは憎悪など要らない。部下の為に、生き様を刻みつけるのみだ。
——お前は死ぬぞ?
「それでいい……最後の徒花を咲かせてやる……っ!」
【戦略火】による天焦がす嵐の中を、アリアは自在に飛び回る。速度は僅かに落ちているが、動きの滑らかさはむしろ向上しているだろう。
稲妻のような荒々しさではなく、直線的曲線とでも言うべき繊細さと経験の積み上げ。すなわち神技。
瞬く間にアリアは【戦略火】の懐に潜り込んだ。
アリアが狙うはコックピット。
「もう休め」
そこにはもう“人間”がいない。それを理解しているからこその言葉。
慈悲と哀れみを込めた一撃は、【戦略火】の機能を過たず停止させた。
直後、残骸とアリアを狙い大砲火が放たれる。
アリアは絶大な加速でそれを避けると、残った【戦略火】の背後を取った。
「お前もだ」
人間を捨てた
一秒の黙祷を捧げたアリアは、絶対の安全を齎す為に急上昇を開始した。
戦いは終わっていない。上空にはまだ33機の敵が残っている。
【戦略火】が撃墜されたのを確認しても、敵機は逃げなかった。密集陣形のまま、アリアを迎え撃つ。
「っ……!」
アリアの呼吸が、一瞬止まった。
左腕がだらりと下がり、足にも力が入らない。
(まだだ……! まだ動け……っ!)
〈
アリアは天性の才と骨にまで及ぶ改造、機乗後二日にも渡る認識操作でその問題点を乗り越えてきた。
だが〈
ここに至るまでのツケが、追いついてしまったのだ。
(動け、動け動け動け! 敵の誇りすらも愚弄したくない!)
アリアは戦場に誇りなど感じたことはなかった。
今ならわかる。兵士が弾丸に正義を込める理由が、負傷兵が戦場に戻りたがる悔しさが、家族の写真を懐に特攻する死兵の決意が。
誇りを奪われたくないという心が、今なら痛いほど理解できる!
「だ、から……うご、け……!」
掠れた声に応えるように、左手が震えながら操縦桿を掴む。
痛みも、寒さも、熱さも、何もかもが遠い。
流れる血の温かささえも感じられない。
目に映るものさえわからない。
それでもアリアは笑った。
自分がまだ戦えると、肉体が応えてくれたから。
「あ゛……ぁああ……っ!」
アリアは身命を賭して、敵を殺し回る。
逃げる敵はいない。大戦の最後にあって、誇りと決意なき人間はもう残っていない。死ぬ意味を持たぬ者も、血で汚れた手を持たぬ者も、ここには存在しない。
撃ち抜いた。ウィングで切り裂いた。掴み叩きつけた。
足の重みが消えた。内臓の温度が消えた。骨の軋みも消えた。手の感覚が消えた。
アリアは、操縦桿を離さない。
そうやって手当たり次第暴れ回って、砕いて切って殺して殺して殺して————突如機体は動かなくなった。
敵機は残り4機。
その動作には敬意があり、尊敬や憧憬さえあった。
憎悪は、微塵も感じられない。
もう思考も感覚も鈍ってしまったアリアは、それでも笑みを浮かべ続ける。
(私は敵として……お前達の誇りに……成れていたか……?)
暗闇の中に、肯定が気配を感じた気がした。
(ダム……ガラート……ティマ……。墓には、あの写真を添えて……)
4機がアリアを撃とうとして、されどそれは果たされない。
下方から迫る砲撃と【
真っ先に突っ込んできたのはティマ。敵機に突撃して砕いた後、隣にいた機体を撃ち抜く。
ガラートはアリアと敵機の間に割り込み、そのまま近距離でコックピットに砲撃を加えた。
左腕を失い傷だらけになった【
『アリア! 生きてるか!?』
『死んでないわよね!? どうなの!?』
『隊長! すぐに運びますから!』
〈
アリアの喉は……動く。
騒がしく叫ぶ部下へと、まだ掠れ気味の声で語りかける。
「敵機は……残って……」
『残っていません! 僕達の勝利です!』
「けが……は……」
『全員無事です!』
安心がアリアを満たす。
「すま、ない……体が、うご……かせない」
『ガラート! ティマ! すぐに牽引だ!』
『了解!』
『言われなくてもやるわよっ!!』
揺り籠ような揺れの中で、アリアは微睡む。
部下達の呼びかけも、子守唄のようだ。
ただ一つ違うとすれば、声がアリアに望むものだろう。
『眠れ』と優しく語り掛けるのではない。
『生きてくれ』と嘆願を込め叫んでいる。
それが嬉しくて、アリアは弱々しくも笑みを絶やさない。
「……お前、たち」
『どうしましたか隊長!』
雲の上に乗った気分を味わいながら、アリアは万感を込めて言葉を絞り出す。
「あり、がとう……お前達、を……愛して、る……」
声が、遠い。
(私は……先に……休ませ、て……もら、う……)
17年間を国と無辜の民に捧げ続けた伝説は、最後の空にさえ偉業を強く刻んだ。
そして初めて、空に抱かれたまま眠りに落ちた。
目と口から血を流しながらも、穏やかな笑顔で。
——空の神話は、ここに終わったのだ。
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