第4話

「——実行ラン

《承諾。〈源鳴回路オリジンスコア〉及び〈源紋臓器コネクトオルガン〉の組み替えリアレインジを実行。〈一元律者スペリオル・カリオン〉を起動——絶対の勝利を貴方にイッレ・クォサノーウァ・レーテ


 見えるものが、聞こえるものが、考えるものが——世界が、生まれ変わった。

 黒が光り、赤が沈み、白が聞こえ、青が組み上がる。知覚する全てが桁違いの情報密度。

 アリアが認識する内界は【特記体】のものであり、【特記体】の認識する外界はアリアのもの。両者に隔たりはなく、ただ一つの思考形態として調和する。

 アリアと【特記体】。人間と機甲鎧。有機生命体と無機物機構。

 自然では決して交わらない二つが回路魔術サーキットマジックという技術体系によって、情報構築体として同格同質なものへと融合した。

 〈二元律カリオン〉は情報の相互交換によるアリアの機能拡張を図ったもの。中心となるのはあくまで機乗者。

 〈一元律者スペリオル・カリオン〉は違う。【特記体】独自の〈源鳴回路オリジンスコア〉とアリアに刻まれた〈源紋臓器コネクトオルガン〉の要素全てを、一つの生命体の中で会話する情報素子と定義。機体と機乗者のあらゆる活動は等価となり、故に理論上は互いのスペックを限りなく引き出すことができる。

 もはや強化人間や機甲鎧といった括りでは語れない。

 は、【一元律者】という超越者だ。


《〈一元律者スペリオル・カリオン〉負荷増大。機体制限解除。敵性体認識》

「目の前の奴らは後だ。まずはダムの借りを返す……!」


 蒼穹に、閃光が走った。

 初速は音速の7.7倍にも及び、目の前の【戦略火】2機を対応する間もなく置き去りにする。

 磁気推進機構マギブーストは理想値を超える。音速を超える物体の宿命、マッハコーンにおける先端角度の縛りさえ回路魔術サーキットマジックで乗り超える。摩擦熱、圧縮圧力、流体負荷、動力不安etc……全てが【一元律者】を縛る枷にはなり得ない。

 【戦略火】の演算力も大火力も、超越者を止める役に立たなかった。


「さあお前だ」


 強化人間の口から、血と共に声が零れる。アリアの面影は、憎悪に呑まれた表情くらいのもの。

 機体の背中から副腕が展開される。元より人型から逸脱していたフォルムが、四肢という特徴すら捨て去ったのだ。

 ダムを撃った【戦略火】は砲撃することもできないまま、【一元律者】の接近を許してしまった。

 稲妻のような軌跡で背後をとった【一元律者】は砲翼の一部を副腕で掴み取り、そのまま引き千切る。

 それだけでは終わらない。“アリア”の憎悪を汲み取った【一元律者】は、機能中枢を破壊しないように【戦略火】へと砲撃を行った。磁気推進機構マギブーストだけを破壊するように。

 【戦略火】は全高22Mメーダ(22メートル)、砲翼を含めた全幅は27M。機甲鎧が平均全高11Mであることを考えれば、凄まじい巨躯と言える。当然、重量も桁違いであることは明白だ。

 そんな【戦略火】が磁気推進機構マギブーストを失ったら? 

 加速、減速……そして浮遊。空戦を成り立たせるかなめを破壊されたなら、もはや翼を失った鳥に等しい。

 墜ちていく。バランスも取れぬまま、錐揉みしながら遥か下へと真っ逆さまに。

 機乗者が脱出できる余地を残したのは、最後の良心といったところか。尤も、【戦略火】にその機能がないことは【一元律者】も予測していたのだが。


「次はお前らだ」


 ガラート達に意識を向けることなく、【一元律者】は【戦略火】2機へと進路を変えた。

 速度は音速の8.5倍にまで達し、白熱の軌跡を残す極音速飛行はいにしえの神々さえ連想させる。

 それを迎え撃つは鉄火の御使い。死告鳥フォーゲルの飛ぶ空を焼き尽くす鉄火翼の滅却天使アンジェラ

 砲翼より飽和砲撃が行われる。その火力は天を焦がし目を眩ませ城塞さえ火に沈めよう。

 しかし残念かな。アリアと【特記体】は『死を告げる鳥』だったかもしれない。だが【一元律者】は『死そのものの超越者』だ。

 『天の御使い』ごときが分を弁えよ。汝、の前に立つこと能わず。


「消え——」

『——! 隊長! 僕は無事だ!!』


 強化人間……いや、アリアの心臓が大きく跳ねた。

 ——誰だ?

 ダム……ジム・“ダム”・バスクネット。

 ——そいつは何だ?

 アリアの、の部下だ。

 ——その程度の存在に何を心乱す?

 他人だが、如何なる勲章にも負けない光だ。

 ——それに何の意味がある?

 それがわからないなら引っ込んでいろ。ここからは……


アリアわたしの戦場だ」


 超越者たる【一元律者】を、強化パーツに過ぎないアリアの意思が凌駕する。

 猿と人間。人能者と全能者。人と神。埋め難い絶対的格の違い。

 ッ!

 所詮は人の作り上げたもの。なら、黙って従え。

 アリアの口元に、笑みが刻まれる。血の紅で彩られた三日月は、しかし優しげだ。

 生きている。ダムは生きている。ガラートもティマも生きている。

 ならばここからは憎悪など要らない。部下の為に、生き様を刻みつけるのみだ。

 ——お前は死ぬぞ?

 

「それでいい……最後の徒花を咲かせてやる……っ!」


 【戦略火】による天焦がす嵐の中を、アリアは自在に飛び回る。速度は僅かに落ちているが、動きの滑らかさはむしろ向上しているだろう。

 稲妻のような荒々しさではなく、直線的曲線とでも言うべき繊細さと経験の積み上げ。すなわち神技。

 瞬く間にアリアは【戦略火】の懐に潜り込んだ。

 アリアが狙うはコックピット。


「もう休め」


 そこにはもう“人間”がいない。それを理解しているからこその言葉。

 慈悲と哀れみを込めた一撃は、【戦略火】の機能を過たず停止させた。

 直後、残骸とアリアを狙い大砲火が放たれる。

 アリアは絶大な加速でそれを避けると、残った【戦略火】の背後を取った。


「お前もだ」


 人間を捨てた機乗者パーツを、アリアは躊躇いなく撃ち抜く。

 一秒の黙祷を捧げたアリアは、絶対の安全を齎す為に急上昇を開始した。

 戦いは終わっていない。上空にはまだ33機の敵が残っている。

 【戦略火】が撃墜されたのを確認しても、敵機は逃げなかった。密集陣形のまま、アリアを迎え撃つ。

 

「っ……!」


 アリアの呼吸が、一瞬止まった。

 左腕がだらりと下がり、足にも力が入らない。


(まだだ……! まだ動け……っ!)


 〈二元律カリオン〉の欠点の一つ、人体の動かし方を忘却する。

 アリアは天性の才と骨にまで及ぶ改造、機乗後二日にも渡る認識操作でその問題点を乗り越えてきた。

 だが〈一元律者スペリオル・カリオン〉は〈二元律カリオン〉とは比べ物にならない負荷をアリアに与え、認識どころか生命活動すらも変化させる。

 ここに至るまでのツケが、追いついてしまったのだ。


(動け、動け動け動け! 敵の誇りすらも愚弄したくない!)


 アリアは戦場に誇りなど感じたことはなかった。

 今ならわかる。兵士が弾丸に正義を込める理由が、負傷兵が戦場に戻りたがる悔しさが、家族の写真を懐に特攻する死兵の決意が。

 誇りを奪われたくないという心が、今なら痛いほど理解できる!


「だ、から……うご、け……!」


 掠れた声に応えるように、左手が震えながら操縦桿を掴む。

 痛みも、寒さも、熱さも、何もかもが遠い。

 流れる血の温かささえも感じられない。

 目に映るものさえわからない。

 それでもアリアは笑った。

 自分がまだ戦えると、肉体が応えてくれたから。


「あ゛……ぁああ……っ!」


 アリアは身命を賭して、敵を殺し回る。

 逃げる敵はいない。大戦の最後にあって、誇りと決意なき人間はもう残っていない。死ぬ意味を持たぬ者も、血で汚れた手を持たぬ者も、ここには存在しない。

 撃ち抜いた。ウィングで切り裂いた。掴み叩きつけた。

 足の重みが消えた。内臓の温度が消えた。骨の軋みも消えた。手の感覚が消えた。

 アリアは、操縦桿を離さない。

 そうやって手当たり次第暴れ回って、砕いて切って殺して殺して殺して————突如機体は動かなくなった。

 敵機は残り4機。

 磁気推進機構マギブーストで浮かぶだけになったアリアを囲み、4機は砲門を突きつける。

 その動作には敬意があり、尊敬や憧憬さえあった。

 憎悪は、微塵も感じられない。

 もう思考も感覚も鈍ってしまったアリアは、それでも笑みを浮かべ続ける。


(私は敵として……お前達の誇りに……成れていたか……?)


 暗闇の中に、肯定が気配を感じた気がした。


(ダム……ガラート……ティマ……。墓には、あの写真を添えて……)


 4機がアリアを撃とうとして、されどそれは果たされない。

 下方から迫る砲撃と【Pr1Lプリワルル】。

 真っ先に突っ込んできたのはティマ。敵機に突撃して砕いた後、隣にいた機体を撃ち抜く。

 ガラートはアリアと敵機の間に割り込み、そのまま近距離でコックピットに砲撃を加えた。

 左腕を失い傷だらけになった【Pr1Lプリワルル】を操るダムは、精密な射撃で敵機の機関部を貫いた。


『アリア! 生きてるか!?』

『死んでないわよね!? どうなの!?』

『隊長! すぐに運びますから!』


 〈一元律者スペリオル・カリオン〉は停止して、〈源鳴回路オリジンスコア〉と〈源紋臓器コネクトオルガン〉の繋がりも切れた。

 アリアの喉は……動く。

 騒がしく叫ぶ部下へと、まだ掠れ気味の声で語りかける。


「敵機は……残って……」

『残っていません! 僕達の勝利です!』

「けが……は……」

『全員無事です!』


 安心がアリアを満たす。


「すま、ない……体が、うご……かせない」

『ガラート! ティマ! すぐに牽引だ!』

『了解!』

『言われなくてもやるわよっ!!』


 揺り籠ような揺れの中で、アリアは微睡む。

 部下達の呼びかけも、子守唄のようだ。

 ただ一つ違うとすれば、声がアリアに望むものだろう。

 『眠れ』と優しく語り掛けるのではない。

 『生きてくれ』と嘆願を込め叫んでいる。

 それが嬉しくて、アリアは弱々しくも笑みを絶やさない。


「……お前、たち」

『どうしましたか隊長!』


 雲の上に乗った気分を味わいながら、アリアは万感を込めて言葉を絞り出す。


「あり、がとう……お前達、を……愛して、る……」


 声が、遠い。


(私は……先に……休ませ、て……もら、う……)


 17年間を国と無辜の民に捧げ続けた伝説は、最後の空にさえ偉業を強く刻んだ。

 そして初めて、空に抱かれたまま眠りに落ちた。

 目と口から血を流しながらも、穏やかな笑顔で。

 


 ——空の神話は、ここに終わったのだ。

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