終章 ブックマーカーが道しるべ
山が迫る郊外の街には、寺や滝に公園、ちょっとした温泉もある。仕事で遠出してきたついでに観光も……とはならなかった。
「すぐ帰って仕込みをやる。明朝の品出しには遅れそうだけど休みたくない」
そう言って譲らない流花に、リザヴェータはしぶしぶ同意した。
体力があるからといって、あまり無理をしてほしくない。助手席で仮眠をとってもらう案で妥協した。
もうひとりの同乗者も失神しかけたあとだ。ハンドルを任せる気にはなれない。
運転席を独占しているリザヴェータは、眠気覚ましの話し相手を求めた。こんなとき、バックシートにいるルブリは、寝ていることが絶対ない。
「敵将を探しに出たまんま戻ってこないから、死んだか、裏切ったのかと思ってた」
ジョークだか本音だかわからない話題をふった。
「裏切るなんて、ないない。『死んだ』っていうなら、まだありだけど」
顔で笑っていても、心底から真面目なルブリの答えだった。バイロンが行う制裁は、ただ殺すだけでは終わらないことを承知しているからだ。
「気絶も許されないまま、自分の手足や内臓をカットされる音を聞かされるとか、生きたまま地雷の爆破実験体にされるとか。どれかは選ばせてくれるかもしれなくても、どれもイヤだ。バイロン裏切って、おれが得することあるなら教えてほしいぐらいだよ」
「あたしら下っ端の身分じゃ、まずないね」
「だろ? ウィダ以外とでも組めるから、類沢〝ルブリ〟ルーシャンが評価されてるんだとしても、代替が利かないってわけじゃない。おれみたいな中途半端、ほかの組織ならアゴで使われるか、使い捨てにされてる。鼻先のニンジン程度で墓穴を掘るほどのバカじゃないさ」
「けっこう客観的に自分をみてるんだ」
「体裁よく言うと、おれの生き残る方法ってとこ。けど、兼業のリーザたちだって大変そうだな。スケジュールの折り合わせとか。ルカが落ち着いたのは良かったけど」
「パン生地もみもみが、ダーリンの楽しみになっちゃったからね。オーバーワークになっても、やめろって言えない」
「こっち出てくる直前まで店やってたんだって?」
「そう……あ、アントニアが来てたよ。久しぶりにソニに会うことになるんだし、相談事でもあるのかと思ったら、いきなり『水が欲しい』だってさ。
出してやったら薬の包装シートをいじくりながら、パン職人はどんな人間がむいてるのかとか、試作品に独創的な材料つかうのやめて欲しいとか、場つなぎみたいな話ばっかりして。そんで水だけ飲んで出てった。薬はカウンターに置いたまんまで」
「テンパってんなあ。特定のところでは、わかりやすいやつだけど」
「まあ一番の
「やっぱりボスは、ソニよりウィダを見ることに重点をおいてたんじゃないかな」
「ソニはもう落ち着いてるようだったしね」
「ルジェタ・ホッジャっていう、とっておきの仕掛けを利用できる。サポート役で入るように言われたけど、万一の場合は処分の役割を果たすことになってたかもな」
誰の、とは口にしたくなかった。
若くして<熟練者>になったトニーだが、プライベートと仕事を切り離す当然が、まだ完璧にできない。バイロンなりの猶予なのだとリザヴェータは思う。
こういうところが小憎たらしいボスだ。
だからこそソニに、こんな
それに組織の中にいるからこそ見落としている場合もある。そこにソニにプラスになることがあるかもしれなかった。不満はすぐに気づくが、良いものは、あって当然と思うようになってしまうものだ。
<
ルブリは、ずっと気になっていたことを訊いた。
「ウィダの脚は、もう大丈夫なのか? 怪我の治りは早いやつだけど、さすがに撃たれた傷となるとな」
ルジェタ・ホッジャの同行役をやりつつバイロンと連絡をとっていたが、トニーのことを聞く余裕がないままだった。
「店に来たとき持ってたのが鎮痛剤だと思う。動きまわるとまだ痛いみたいでさ」
「じゃあ、やっぱりこれ」
ルブリが座っている横に、双眼鏡や防寒具を入れた戦術バッグがあった。
「なあ、リーザ……」
「車中サービスはないよ」
「あ、残念。ところで、この戦術バックのサイドポケットからのぞいてるのって、その鎮痛剤じゃないのか?」
「ん? バックさわっていいから出して見せてくれる? 後ろ見ながら運転するテク、あたしにはないから」
ルブリは、閉まりきっていなかったポケットのファスナーをあけた。携帯食料のうえにのっていたPTPシートを取り出す。運転手に見せた。
ちらりと薬シートに目をやったリザヴェータは、
「いやあ、いろいろバタバタしてたから。渡すの忘れてても、しょうがないよね!」
「忘れてた本人が言ったらダメな台詞だろ。薬が切れてたら脂汗が流してるぞ」
自分が撃たれたときを思い出してしまった。
「優秀な弟子が一緒だろうから、なんとかしてるって!」
「そのポジティブ思考、おれも見習いたいと思ってる」
賑々しくなった会話に流花が起きてくる気配はない。そのことを確かめてから、リザヴェータが訊いてきた。
「ね、林の中で、ソニに何を手渡しての?」
「ああ、あれはな——」
気の利いた台詞で返したかった。ルブリは頭をひねってみる。
ありきたりだと思っていたクリスマスプレゼントが、トニーをめぐって大きな役目を果たした。ならあのブックマーカーは、ただのブックマーカーではない。少し良い気分で答えた。
「ウィダとソニを結ぶ魔法の
車内に沈黙が満ちた。
「どうしたんだよ?」
「……もう寝てていいよ。ルブリは疲れてるんだね。アタマ打ったしね」
リザヴェータがしみじみ言った。
「え? そんな、真剣に答えたのに!」
唐突に助手席で寝ていたはずの流花が吹き出した。
「あー、もう! ダーリンが起きたじゃないの!」
「おれのせいなのか?」
「いや、目を閉じてただけで寝てたわけじゃないから。さすがは〝
そうして、ひとしきり笑ってから付け加えた。
「魔法のワンドは間違ってないと思うけど、ブックマーカーが本来の『枝折り(しおり)』の役割を果たしたっていうほうが近いよね。山道で迷わないように小枝を曲げたりして、道しるべにしたイメージと重なる気がする。ブックマーカーをもったソニ自身も道しるべになって、フロラを失って迷走してるアントニアを元の道に導いた——って言ったらカッコつけすぎかな」
「じゃあなに、アントニアがそんな情緒的なプレゼントを妹さんにしてて、その『枝折り』でソニがアントニアにたどり着いたってことも……⁉︎ いや、なに、それ!」
興奮してステアリングをばしばし叩くリザヴェータに、ルブリは思わずシートベルトを握りしめる。
「ちょ……安全運転……」
「あ、そういえば——」
唐突に笑みを引っ込めたリザヴェータが、独り言のようにこぼした。
「ソニが戻って腕をみがいたら、将来的にはアントニアの相棒候補にもなるわけか」
「あれ? おれ、独り身になるのか……?」
「候補って言ったでしょ。だいたい最初から負ける前提で考えないの。ボスは
なぐさめてくれているようで不安要素が入っている。ルブリはポジティブに書き換えた。
気が置けない仲間が増えるのは歓迎だ。
了
パンは銃弾 栗岡志百 @kurioka
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