敬具

「まだ五月なのに暑いですね」


 遮るものが無いこの場所は、ギラギラと輝く太陽の光を直接浴びることになる。特に対策をしていなかった私に対し、棗子なつめこさまは大きな花をあしらったつばの広い帽子を被っていた。制服を着ていると女子高生に見えるのに、きちんとした装いをしていると、年相応の大人に見えるから不思議だ。


「明日から六月だものね。気温の変化が激しいから、体調管理には気をつけましょう」

「あー、そっか。もう六月になるんですね」

「明日は衣替えよ。夏服の準備は済んでいるかしら?」

「うっ……」

「あらあら。直前で慌ただしく取り出されたら、お洋服がかわいそうよ」

「あはは。夏服も棗子さまがデザインされたんですか?」

「ええそうよ。志世しよさんの夏服姿を見るのも楽しみね」


 腰に太いベルトを巻いた黒いワンピースの夏服は、シンプルな色合いながらスッキリとしていて好きだった。棗子さまのデザインした服だと聞くと、さらに袖を通すことが楽しみになった。


 汗を流しながら、やっとのことで目的の場所に着く。昔を懐かしむように、棗子さまは目を細めた。


「久しぶりね、世瑠よるさん」


 世瑠お姉さまの眠る墓に、棗子さまは語りかけた。誰にも関係を明かしていなかった棗子さまは、世瑠お姉さまの葬式に来ることも、お墓参りもすることができなかった。自殺したあの日から、会えてなかったのだ。


 お姉さまが好きだった百合の花と、ミックスジュースを墓前に供える。果物を混ぜ合わせて最適なものを作るのって絵の具みたいね。そう言って笑っていたお姉さまの顔を不意に思い出した。

 頻繁にお墓参りに来ているので、墓石に目立った汚れはない。けれどお姉さまの墓を、棗子さまは念入りに磨いていた。言葉は無くとも、その行動はお姉さまと対話しているようだった。


 清掃を終えると、線香を供えて、私たちは二人並んで世瑠お姉さまに向かって手を合わせた。


 世瑠お姉さま。聞こえていますか。

 お姉さまの残した個展を見せていただきました。画家として生涯を全うしたお姉さまの覚悟が、心に響きました。私にはまだ、人生を賭するほどやりたいことを見つけてはいません。けれど、自分なりに答えを探しながら生きてきていきます。直接お会いできるのはまだ先になりそうですが、それまでどうか見守っていてください。


 私が拝礼を終えると、同じタイミングで棗子さまも手を下ろした。漆黒の瞳と視線が合う。


 私にはまだ、やりたいことはない。でも、そばにいたいと思う人はいた。息を吸うと、肺の中に新鮮な空気が循環していく。心臓は、絶えず強い鼓動を続けている。私は意を決して、棗子さまに声を掛けた。


「棗子さま、私の指輪を受け取ってもらえませんか」


 私の言葉に、棗子さまは目を見開いた。

 私立貴石学園しりつきせきがくえんに所属している人間にとって、その言葉がどんな意味を持つかは今更語るまでもない。私は左手の薬指に付けていた細身の指輪を手のひらに乗せ、棗子さまへ差し出した。今日付けてきたのは、いつものダイヤモンドの指輪ではない。「S・S」のイニシャルが刻まれた、佐久間志世さくましよの指輪だ。


「私の指輪の宝石はクオーツ。お姉さまや棗子さまよりもありふれた鉱石で、大した人間でもありません。でも、同じ思いを抱えているあなたと一緒に支え合っていきたいです」


 私と棗子さまはお互い、心の大きな部分に世瑠お姉さまが住んでいる。だから姉妹の申し出をするなら、お姉さまのいるこの場所を選んだ。一人では、抱えているものが重すぎて倒れてしまうかもしれない。けれど、二人なら寄り添って前を見ることができる。この共に生きていきたいという気持ちを、もしかしたら愛と呼ぶのかもしれない。


「ねえ、志世さん。この学校の理事長がどんな指輪を付けているか知っている?」

「いえ……」


 突然の話の飛躍に戸惑いながら、私は理事長のことを考えた。学園の生徒全員の指輪をデザインしている理事長のことだ。私には想像も及ばない立派な指輪をしているのだろう。もしかしたら、世界中の高価な宝石をいくつも付けているのかもしれない。


「駐車所の砂利を付けているのよ。『どんな石でも貴石である』それが、私立貴石学園の理念なの。たとえ駐車所の砂利でも、大事に磨いていれば立派な宝になる。大した人間でないなんて自分を卑下しないで。あなたは私にとって大切な人なのだから」


 左手の薬指に付けている指輪を、棗子さまは外した。


「お受けするわ。私もこの指輪はあなたに持っていて欲しい」


 棗子さまは、ゆっくりと私の指にダイヤモンドの指輪をはめた。世瑠お姉さまが学園から渡され、姉妹の契りを経て棗子さまが付けていた指輪だ。指輪はそうあることが自然なように、私の指に綺麗にはまっていた。


 私も棗子さまの指に、クオーツの指輪をはめた。彼女の白い指に、私の白い宝石はよく似合っていた。


 引かれ合うように、私たちは目を見合わせた。なんだか気恥ずかしくて、お互いに笑ってしまう。

 世瑠お姉さまがきっかけで幽霊になりすましていた私。世瑠お姉さまがきっかけで真実を見ることを恐れていた棗子さま。嘘ばかりついていた私たちの本当が、ようやく始まるのだ。


 明日になったら、私は夏服に袖を通す。指輪はネックレスにして、二つまとめて身につけよう。「N・Y」と掘られた指輪も、「Y・N」と掘られた指輪も、どちらも大切な姉のものだ。


 遠くの空ではホトトギスがカラカラと鳴いている。夏を告げる渡り鳥だ。


 巡る季節を私は、棗子お姉さまと歩いていく。

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私立貴石学園の姉妹――犯人は私 天海エイヒレ @_rayfin

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