その後

 ホール前の通路は人で溢れていた。いつもはおしとやかな生徒たちも、今日はどこかそわそわと浮かれている。狭い学園の数少ないイベント事だ。無理もないだろう。かく言う私だって、今日を心待ちにしていた。


棗子なつめこさん、志世しよさん。受付はこっちだよ」


 長机のむこうで、雅陽みやびさまがひらひらと大きく手を振った。後ろのポスターには達筆な文字で『姉妹の誓い』と書かれている。五月の最終週。兼ねてから準備していた演劇部の公演が始まったのだ。


「雅陽さま、公演開幕おめでとうございます。すごく賑わってますね」

「おかげさまで。何でもどこかから漏れた演劇部の事件に、尾びれ背びれ胸びれがついて、殴り合いの大喧嘩した二人が演劇を通じて分かり合えたって物話ができあがったみたい」

「あはは、大筋は間違ってはないですけどね。チケット、まだ余ってますか?」

「お世話になった二人の分は取り置いておいたよ。はいどうぞ」


 ニコニコと満面の笑みを浮かべる雅陽さまから、私は二人分のチケットとチラシを受け取った。チラシの中央には、源子もとこさまと希生きなりさまが大きく写っている。この舞台の主演二人だ。


「棗子さんも今回は助かったよ。ぎりぎりまで衣装の調整をお願いしてしまって、ごめんなさいね」

「いいえ、私も参考になりました。ダンスシーンで腕を動かしにくいといった機能面の指摘は、演者の方が気付きやすいですから。今後の衣装製作にも取り入れます」


 そう言って、棗子さまは微笑んだ。その衣装作成は私も手伝っていることを、おそらく雅陽さまは知らないだろう。


 世瑠よるお姉さまの幽霊として学園を徘徊することを辞めた最近の私は、第二美術室に入り浸っていた。棗子さまの衣装へのこだわりは深く、手先の器用でない私は思うように彼女の力になれてはいない。けれど、二人で過ごす時間は特別で、温かなものだった。教師が特定の生徒と親しくしているのは公にすることではないから、これは私と棗子さまだけの秘密だ。


 衣装製作のことを思い返していると、ふと机に置いてあるものが目に留まった。


「そのポーチ、可愛いですね」

「ありがとう。私も気に入っているの」


 汚れ一つない青いポーチを、雅陽さまは大事そうに撫でた。今思うと、ポーチの青色は想乃そのが付けているラピスラズリの色に似ていた。この教師もまた、特定の生徒と親交が深いことを隠している。詳しく事情を聞くことはないけれど、このポーチを見れば二人の関係が良好であることが伝わった。


 開演まで時間があるというのに、ホールの席はすでに半数以上は埋まっていた。廊下の端に空席を見つけ、棗子さまと並んで座る。


「あ、志世も見に来てたんだ」


 私を呼ぶ声に振り返ると、想乃が立っていた。すぐ後ろには、美守みもりさまが想乃の体から顔を覗かせるように控えている。二人ともどこか気合いの入れた様子で、首からカメラを提げていた。


「想乃も来てたんだ。やっぱりこういうイベント事は、シャッターチャンスの宝庫だもんね」

「というよりも仕事なの。演劇部から直々に依頼があって、公演後にイベントレポートを作成するから、そのための写真を撮って欲しいって」


 ぐっとカメラを握る想乃からは、いつも写真を撮るときとは違う気迫を感じた。想乃の姉である雅陽さまは演劇部の顧問だ。張り切るのも当然である。けれど、私には気負いすぎて空回りしているように見えた。


「舞台装置や小物の撮影なら、私にまかせて」


 ふん、と鼻息を荒くする美守さまに、想乃さんは困ったように眉尻を下げた。


「舞台装置も良いですけれど、一番はやはり演者の表情です。苦手かもしれませんが、今日は一緒に人物を撮影しましょう。私が教えますから」

「……想乃ちゃんに、教えてもらえるなら、頑張る」


 張り切りをみせるように、力こぶをみせるようなポーズを取った。その動きがコミカルで、想乃の口角が上がる。強張った顔から、余計な力が抜けていた。緊張しすぎていると思っていたが、そばに美守さまがいれば平気かもしれない。


「張り切るのも分かるけど、劇を楽しむのも忘れないでね。演劇部の人たちもそれが一番嬉しいと思うから」

「それもそうね。ありがとう、志世」


 ひらりと手を振って、想乃は前の席へ進んでいった。母親の後を追う子供のように、美守さまがその後を付いていく。どっちが先輩でどっちが後輩なのか分からない。けれどあれはあれで、釣り合いのとれた関係性なのだろう。


「なんだか良いですね、こういうの」

「こういうの? あの二人のことかしら?」

「全部ですよ。雅陽さまも想乃も美守さまも、私も棗子さまも、きっと誰もがみんな。人と人が繋がって、良い影響を与え合っている。成長し合っている。なんだか素敵ですね」


 くすくすと小鳥が鳴くように、棗子さまは口元に指を当てて笑った。


「共犯者のときもそうだけど、志世さんはときどき詩人みたいなことを言うわね」


 むっと私は唇を尖らせた。反論しようと言葉を探していたが、その前に棗子さまは私の手を優しく包み込んだ。棗子さまの体の熱が、手のひらを通じて私に伝わる。ホールの薄明かりでは、誰も私たちが手を繋いでいることに気が付かなかった。


「志世さんのそういうところが、私は好きよ」


 私の瞳を見て、棗子さまは言った。彼女の真っ直ぐな言葉に耐えきれず、私は思わずもらったチラシで顔を隠す。全身が沸騰したみたいに熱くなっていくのが分かった。

 私も好きですよ。浮かんだ言葉は恥ずかしくて口にできない。だから私は、代わりに棗子さまの手を握り返した。


 しばらくして始まった舞台は、私が見た稽古のときよりも一層見応えがあった。源子さま演じる車椅子の少女は儚げで、守ってあげたくなるような庇護欲を感じさせる。希生さま演じる過去から来た少女は、車椅子の少女を見つめる瞳に、強い愛を感じた。姉妹の役ということもあって、本当に契りを交わした姉妹である彼女たちは息の合った演技を見せた。のびのびとして見えるのは、二人のわだかまりが解けたこともあるだろう。

 舞台の上で二人が口づけを交わすと、客席からは小さく黄色い声が上がる。やっぱり演技ではなく、本当にキスしているように見えた。

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