貴船にて

北風 嵐

第1話 貴船にて

 普段、夫婦で同じ仕事していたものですから、子供に構ってやる暇もありませんでした。まとまった休みを取れるのはお盆とお正月ぐらい。正月は来客もあるので、子供たちを連れてとなるとお盆の休みになります。夏となれば、やはり海とかプールになってしまいます。近すぎてもいけない、遠すぎると疲れる。

 大阪から近鉄特急で直行、2時間ちょっと、志摩は賢島に行っていました。子供たちや、妻の希望が優先でした。勿論、財布の紐とも相談でした。お盆の時期は、かなり前からの予約は要り、費用は普段より高いのが相場ですが、しかたありません。


 あるときから、京都の貴船に3年程つづけた事がありました。ビーチで若いギャルを見るのもいいのですが、あの川床で食事するポスターに憧れたのです。子供たちは「なんや、川か」と不満げでした。泳げる川でないと云うと〈ふくれ面〉に変わりました。今回は自分の主張を通しました。子供たちも川床での食事が珍しかったのか、一流の旅館を奮発したのがよかったのか、気に入ってくれました。海なら3、4日は宿泊します。貴船は川床で夕食を取ったら1、2泊もあれば十分です。かえって安上がりなのです。


 兄が小学校6年、その下の娘が3年生の頃だったでしょうか、母も一緒でした。父はもう亡くなっていました。前年に習って、同じ旅館を予約して家族で貴船に1泊でやって来ました。楽しみにしていた夕食、激しい夕立があって、部屋でということになりました。

 娘が「雨がやんだぁー!やんか」と窓の外を指さしました。仲居さんが困った顔で「水かさが増しましたから、流れもきつうおして、危険でっさかい…」と言いましが、娘はわがままな奴で、「せっかく貴船に来て部屋で食事やなんて、来た意味ないわ。雨はやんでるでぇー」です。

 

 仲居さん、上の人と相談したのでしょう。私ら一組、特別に急遽川床を設えてくれました。娘は上機嫌でしたが、流れのしぶきで寒くって、大人は震えながら食事をしました。でも、水に煙る中で私たちだけと言うのも一服の絵にして、贅沢でした。

「この鮎、美味しいなぁー。もう一匹もうてえぇか」娘は大阪弁丸出しです。美味しいはずです、天然ものです。娘は年端もいかないのに美食家でありました。2匹ぺろり平らげました。この世の中は自己主張した方が勝ちみたいです。少なくとも娘にはいい旅行の思い出になったことでしょう。


***


 そのあくる年だったでしょう。雨が降った記憶はありませんでしたから…。お風呂に入って、川床で食事をして、部屋に帰って来てゆっくりしていました。部屋はふた部屋取っていました。おばあちゃん(母)と子供たち、そして私と妻の部屋です。子供たちは、たらふく食べて部屋で休んでいました。母は私たちの部屋に来て、妻とお喋りをしていました。

 少し御神酒が回った私は、布団の上でうたた寝をしていました。仲居さんが来たので、按摩さんを頼みました。貴船は温泉宿ではありません。川にへばりついた旅館がそう多くない静かなところです。「市内からなら来ての人がおいやすが、3、40分かかりますがよろしいどすか?」と訊いてきました。1年の腰の疲れも取ってやろうと、「えぇですよ」と答えました。

 

 按摩さんがやって来ました。女性のようです。どっちみち年配だろうからと、うつ伏せのまま寝た姿勢で、「夜道大変ですね」と云いますと、「慣れておすから…、この時間には走る車もないですよって、運転は楽なんですよ」という返事が帰って来ました。意外と若い声でした。

 揉み方は、柔らかくセクシーでした。変に取らないで下さい。ともかく気持よかったのです。揉まれながら、母や妻との会話を聴くとはなしに聴いていました。「声が綺麗や。会話のセンスがえぇ。何より綺麗に使われる京言葉がすばらしい」。何だか、美人に思えて来て、「顔を見たいなぁー」になったのですが、目が開きません。  柔らかい揉み方に、私は、まどろみ、うつつの世界に入れられてしまっていたのです。目を開けようと必死の努力をしましたが、ほぐされた身体は、余分な神経を使うことを拒否したようです。


 按摩さんは妻から代金を受けて取って、私の枕元を通って、「おおきにどす」と言って出ていきました。私は辛うじて開けた半目で、通り過ぎる足首を横に見遣るのがやっとでした。目があかない状態で妻に、「綺麗な人やなかったか?」と訊きますと、「あれ、あなた見なかったんですか?お母さん、主人、あんな綺麗な女の人を見れなかったんですってぇ~」「ほんまかいな、損したなぁ。来年までお預けやなぁ」と、二人は積年の恨みを晴らしたかのように、痛快に笑いあっていました。次の年、私が「貴船や!」と云うと、妻も子供たちも「3回も行ったら十分や、他にしよう」と反対しました。そういうわけで、綺麗な足首だけが、記憶に残ったという次第です。


*貴船(きぶね)は、京都駅から車で40分ほど北上した地にあり、近隣の鞍馬と合わせて、京都の奥座敷として知られ観光客に人気が高い。貴船山と鞍馬山に挟まれた細長い渓谷に料理旅館が建ち並び、夏季には貴船川沿いに川床料理が供され、蒸し暑い京都の夏を避けた納涼客で賑わう。蛍も舞う清流である。また、秋の紅葉期 も違う趣を見せて美しい。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貴船にて 北風 嵐 @masaru2355

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ