第56話
修学旅行の最終日、旅館を出た一行は二条城、壬生寺とまわって京都駅に向かう。昼食は新幹線内でとることになっていた。
昨夜、結局ほとんどの同級生が凛花たちの部屋に残り、花梨を囲んで昔話や教師の噂話、特に新任の音楽教師の話題で盛り上がった。凛花も、自然とその輪の中にいた。おかげで寝不足で、バスを乗り降りするのさえ
陸路では藍森町まで6時間ほどかかる。その間、都市、住宅街、工場、田園、山脈、河川、……景色を観て人々の生活や自然の変化を見るのも良い経験になる、というのが教頭の見解だった。出発前はそうかもしれないと思った凛花だったが、今は違った。おそらく車内では寝てしまい、教頭の期待を裏切ることになるだろうと思った。
新幹線のホームには、生徒の幾人かの知人が見送りに来ていた。凛花の両親の顔もあった。
「どうも……」
凛花は昨夜、気持ちを
「昨日は話せて良かったよ」
「健康には気をつけてね」
凛花に比べれば、両親は大人だった。
それはありきたりな言葉だったけれど、凛花は嬉しくて、それに応える言葉を探した。しかし、多くの生徒や乗降客の眼があり、夜のホテルのように感情をむき出しにできる状況ではなかった。
両親の眼差しを前に、その必要もないと分かった。昨夜の面会で、お互いの間の壁は低く薄くなっていた。
「うん、いつか藍森に遊びに来てね」
他の同級生のような言葉を投げて新幹線に乗り込んだ。
土産物を詰め込んだ4人分のバッグを棚に上げるのは佐藤がやった。2人掛けの席を対面にするのは森村がした。
「バイバイ……」
凛花は、新幹線の窓から両親に手を振った。そこに姉の顔がないのが少しだけ辛かった。
「無事に帰れそうで良かったよ。史跡を見るだけでなく、2人の歴史も知って色々教えられた。それまでと全然イメージ変わった」
班長の森村は、凛花と花梨に向かってまるで教師のような口を利いた。あれほど修学旅行を嫌っていたというのに、そんな影は露ほどもない。
「花梨はいじめられっこで、凛花が暗殺者だものな」
隣の佐藤が茶化す。
男子が花梨と凛花の黒歴史を持ち出すので苦笑した。過去をあれこれ言われるのは面白くないけれど、変に気を使われるより気が楽だった。
「暗殺者は止めてよ。傷つくわ」
そんな返事ができる時が来るなど、昨日まで想像もできなかった。
「なら、復讐鬼」
「もう……」
彼の欠点を口にすることなく、ピシャリとその膝を叩く。隠し事のない気楽さを満喫した。
「昨夜も青何とかの夢を見たの?」
凛花は花梨の耳元に顔を近づけて訊いた。
「青井よ。青井裕也。……昨夜は見なかった。って、ずっと起きて話していたじゃない」
「寝たわよ。花梨が一番さきに寝落ちしたのよ」
「そうかぁ。全然記憶にない」
彼女はクククと笑った。
「そう、良かったわね。町田君のおかげかな?」
「そうかも」
花梨も殺されかけた記憶から解放されつつあるようだ。
彼はどうだろう?……凛花の脳裏を研修医だった男性の影が過った。自分が殺し損ねた相手だ。彼が父親を見習って真人間になることを願う。
近江牛の焼き肉弁当が配られ、みんな無口になった。関ヶ原の景色など、だれも見向きもしなかった。名古屋駅に着く頃には弁当箱は空になり、凛花は睡魔に襲われた。
目が覚めたのは、新横浜を出発するアナウンスを聞いた時だった。東京駅で東北新幹線に乗り換える。東海道新幹線で熟睡しても、ほぼ徹夜の寝不足は解消されなかった。
「家に帰り着くまでが修学旅行だ。油断して事故を起こしたり怪我をしたりするなよ」
東北新幹線のホームで、教頭が注意を喚起した。ありきたりの警告は生徒たちの耳を通り抜けた。
藍森町が近づいている。多くの生徒は夢の中にいた。花梨と佐藤も子供のような顔で寝ている。
「さすがに新幹線は早いな」
森村が流れる景色を見ながら分かりきったことに感心した。窓の外を流れる白い光は新白河駅の照明だった。
夕日を浴びた山々が左右の車窓を流れる。
「懐かしい匂いだなぁ」
「匂い?」
外の匂いが新幹線の中にまで入って来ることがあるのだろうか?……凛花は景色に目を凝らす。
「本当の匂いじゃないよ。ぼんやりとした優しい雰囲気。そんな感じだよ。温かいものに気持ちがつつまれる感じがしないか?」
「そうね。……花梨の匂いだわ」
隣で眠る花梨に目をやり、悪夢を見ていないことを願う。
窓の外に視線を移すと小さな衝撃音があり、新幹線はトンネルに入った。窓が鏡に変わる。
アッ、笑ってる。……そこに映る自分に、世界が変わったことを実感した。見つめ合う二人の凛花……。轟々と風が鳴っていた。
彼女に無音の言葉をかける。……「コンニチハ」……その向こうに花梨がいた。彼女に手を掛けるようなことなど、絶対ないだろう。それが〝正解〟だと感じた。
新幹線がトンネルを出た。夕闇が迫っていたが、世界は輝きを増していた。
凜花と花梨 明日乃たまご @tamago-asuno
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