エピローグ

第55話

 凛花の部屋にクラスの女子全員が集まった。少しだけ男子もいた。皆、枕持参だ。


「では、第1回、藍森高校2年1組、枕投げ大会を始めます。ルールを守り、正々堂々、声を潜めて好きな人、嫌いな人、どうでもいい人めがけて枕をぶつけちゃってください」


 花梨が宣言する。


「ルールってなんだよ?」


 佐藤が突っ込みを入れた。


「女の子には優しくということよ」


 凛花が教えた。


「よーい、ドン」


 合図とともに枕が飛び交う。


 凛花は正面の花梨めがけて枕を投げた。それから、隣の森村、佐藤と万遍なく投げていく。


 方々から凛花めがけて枕が飛んで来て頭や腕に当たった。軽い衝撃はあるが痛くはない。


 始めのうちは声を出さずに投げ合っていたが、「えい」「こら」「痛い」「やったなぁー」とあちらこちらから声が上がり、やがて笑い声が廊下に漏れた。


 ――ドンドンドン――


 ドアが叩かれる。


「開けなさい!」


「やばい、津久井先生だぞ」


「隠れろ」


「電気、豆球にして」


 押し殺された声が飛び、皆、布団にもぐりこむ。あるいは押し入れに飛び込んだ。とても全員が隠れられるものではなかった。それでも真剣に隠れた。


「ごめん」


 言ったのは凛花の布団にもぐりこんだ森村だった。凛花は布団から顔を出していたが、彼はすっぽり潜り込んでいる。顔がちょうど凛花の胸の所にあった。


「足を出さないように気を付けて」


 彼が脚を折りたたむ。凛花はその足をからめて引き付けた。


「う、美川さん。苦しいよ」


 胸の谷間で森村がもがいた。


「あ、ごめん……」


 慌てて腕の力を緩める。


 佐藤は押入れの中に隠れた。隣にいたのはモエだった。


「津久井先生、真面目だから困るわね」


「だなぁー、友永先生なら見過ごしてくれるのにな」


 共犯者は声を潜めて話し合う。


 ――ドンドンドン……、ノックが続く。


 誰も動こうとしない。


 ――ドンドンドン――


「しつこいなぁ」


 押し入れから声がした。


 仕方なく、凛花は布団を抜け出した。


「今、開けます」


 ドアを開けると、静佳が怖い顔をして仁王立ちになっていた。


「もう12時ですよ。ほかのお客さんもいるんです。静かにしてくださいね」


 彼女は一歩足を踏み入れて、薄暗い部屋を見回した。


 凛花は彼女の視線を追った。出入り口に近い花梨の顔は分かった。何事もなかったように寝たふりをしている。どの布団も亀の甲羅のように盛り上がっていて、数個の枕があちらこちらに転がっていた。


「枕が余っているようですね」


 部屋に緊張が走る。


「みんな、寝相が悪いんです。枕をしないで寝ています」


 凛花は嘘を言った。


「布団も枕も人数分しかありません。みんな、自分の部屋で寝るのですよ」


 言った後、彼女は凛花に向かって「お休み」と微笑んでドアを閉めた。


「よかったー」「危なかったわね」あちらこちらで押し殺された喜びが交換された。


「なんだか得した気分だ」


 凛花の布団から抜け出した森村が言った。


「俊介、そんなところにいたのか? まさか、美川の布団にもぐり込んでいたとはなぁ」


 押し入れから顔を出した佐藤が驚いていた。


「ホントだ。美川さん。エッチなことされなかった?」


 モエが訊いた。


「うーん。胸を触られたかな」


 凛花が答えると、「変態」「エロオヤジ」と、罵声と枕が森村に投げつけられた。


「タンマ、タンマ……」


 彼は顔の前に両手を上げて枕を防いだ。


「静かにしないと、津久井先生が戻って来るわよ」


 凛花は、森村に向けられた攻撃を止めさせた。ふと物足りなさを感じた。真っ先にはしゃぎそうな花梨の声がしない。


「花梨、どうしたの?」


「静かね?」


 生徒たちが花梨の布団を取り囲んだ。


 薄明りの中、表情ははっきりわからなかったがスースーと寝息がする。


「まさか、……寝たの?」


 モエが頬をつついた。花梨は反応しない。


「いい度胸だな」


 佐藤が感心した。


「疲れたのよ。いろいろあったから」


 自分の過去のことだけではない。他人の分まで泣いたり怒ったり喜んだりと感情を酷使したのだ。疲れて当然だ。


「悪夢を見ないといいわね」


「あぁ、青井とかいう奴の幽霊か……」


「あれ!……町田はどうした?」


 森村が、町田がいないことに気づいた。


「まさか……」


 凛花は、膨らんでいる花梨の布団をそっとめくり上げた。


「やぁ……」


 花梨にきつく抱きしめられて動けないでいた町田の顔があった。


「おぉー、羨ましいなぁー」


 佐藤が声を上げると顔を赤くした町田がもぞもぞと動き出し、花梨が薄らと目を開けた。


「一郎のバカ。おこしちゃったじゃない」


 モエが佐藤を突き飛ばす。彼はゴロンと後ろに転がって、森村を押しつぶした。


 花梨が寝ぼけ顔で町田を抱きしめた。その耳元で町田がささやく。


「今度は僕から頼むよ。付き合ってほしい」


 花梨が首を傾げた。


 見守る同級生たちがゴクンと唾をのんだ。


 彼女が彼から、そっと距離を取った。


「ごめんなさい」


「エッ!」「エッ!」


 町田が、モエが目を丸くした。


「ウッシ!」「ヨッシャ」


 佐藤と森村が小さなガッツポーズを作った。


 どうして拒むのだろう? 花梨は町田を好きに違いないのに。今はきっと、殺したいほどに。……凛花は、彼女の気持ちを掴みかねていた。


「やっぱり、あのことかい?」


 町田が顔を曇らせた。


「町田君、責任を感じているのでしょ? それか同情して……」


「違う! 僕は昔から秦野花梨が好きだった。今日は惚れなおしたんだ。同情なんかじゃないよ」


「本当?」


 花梨が疑問を口にした時、凛花は割って入った。


「本当だと思うわよ。彼、自ら告白したのでしょ? 隠していても良かったのに」


「それならどうして東寺で断ったの?」


「それは私たちがからかっていると勘違いしたからよ。きっと死んだ青、何とかというのにいじめられてきて、そんな風に考えるようになってしまったのよ」


 凛花は推理した。


「そうなの?」


 町田が弱々しくうなずいた。今にも泣きだしそうな顔をしていた。


 花梨の母性本能に火がついたようだ。彼をガバッと抱きしめた。


「大好きよ。憎らしいけど」


「ボ、僕も……」


 彼は花梨の腕の中で子供のように泣いた。花梨も泣いた。


「生きていて良かった……」


「そうよ。花梨は生きている……」


 殺さなくてよかった。……凛花は、瀬田が生きていた幸運に感謝して、花梨の後頭部に手を添えた。


 ――パチパチパチ――


 誰からともなく拍手が湧いた。

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