第19話 異変

 部屋の中には困惑したイリーナと、その見つめる先に三人の男が倒れていた。


「いかにも下っ端という感じですね」

「偏見はよくないよ」

「観察の結果です。服も粗雑ですし、あまりお金を持っているようには見えません」


 酒盛りでもしていたのだろうか。酒瓶と空の皿を囲むように、三人の死体は倒れている。

 生きている人間に暴力を振るわれたら、この繊細でな身では抗うすべを持っていないが、死体であれば特に怖くはない。疫病などの危険はあるが、確かな知識をもって気を付けさえすれば、それほど恐れるべきものではない。


「それよりも、死因は何でしょうか」

「そんなことどうでもいよ。もう死んでいるから」

「いえ、この死体。どうも妙です」


 鞄から手袋を取り出すはめると、うつむきに倒れていた死体をひっくり返す。死体に素手で触らないことは大事だ。そういうところから疫病は伝染する。


 私の場合は、ちょっとやそっと何かに感染しても治癒魔術や二日酔い薬……不老化薬の効果で何とでもなるだろうが、大部分の病気や寄生虫はいまだに原因が不明だ。作用がわからなければ治癒魔術で治療の使用がないし、あの薬で治らないものもある。甘く見てはいけない。


「腹が異常に膨らんでいる。まるで無理やりに何かをぱんぱんに詰め込まれたような。……胃か腸の閉塞? それではこんな膨らみ方には……それに三人揃ってはおかしい」


 三人の男の腹は明らかに人体の容量を無視して膨らんでいる。他に外傷はない。

 腹だけではない、首も内側から何か大きなものが詰まっているようで、喉の内側から大きく膨らんでいる。

 こんな状態ではまともに呼吸もできまい。他直接の死因は窒息死か。


 いったい何が詰まっているのだろうか。一人の口から何かがはみ出している。なんだろう? 確認しようにも、死後硬直で固まっていて口が開かない。仕方がない。


「なっ! 何をしているの!? やめなよ!!」

「ん? 解剖ですが?」


 詰まっているものを確認しようと、ナイフを首に突き刺そうとした私をイリーナが止める。


「遺体を切って弄ぶなんておかしいよ!」

「なぜ止めるのです? あなたは生きたまま剣で斬ろうとしていたのではないですか。むしろ、これはもう死んでいますよ」

「でも!」


 殺人には忌避感のないイリーナも、一般的な倫理観は持ち合わせていたようだ。


 なぜか世間の人々は死体を損壊することに対して非常に強い嫌悪感を持っている。

 私が死体を切り分けることにはなぜか、どんな悪人でも非難の声を上げる。そういう悪人は、殺すことにはためらいがないくせに。そう、目の前のイリーナのように。


「見てください。この苦悶の表情を。

 何かを無理矢理、ぎっちりと詰めこまれて死んだのでしょう。死んだ後でもこんなに詰まっていてはかわいそうです。このままでは安心して神の身元にも行けないでしょう。

 少々手荒いですが、取り払ってあげましょう」

「でも……」

「何なら、あとで縫い合わせて整えてあげます。剣で斬られたまま捨て置かれるよりは、幾分か尊厳を保った死に方でしょう?」

「うーん、それなら……いいのかな……?」


 別に彼女が納得しようとしまいと良いのだが、悪人認定されると即斬されそうで怖い。

 心にもないことを言いながら、なだめる。

 実際、イリーナは剣で人間を切って打ち捨ててきた経験があるのだろう。なにやら考えるような表情になった。


 よし、いまだ。


 彼女が少し落ち着きを取り戻したのを見計らって、その隙に、死体の首から腹にかけてナイフで切り裂いてしまう。いくらか納得はした様子なので、今なら即斬はされないだろう。やってしまえ。


 原因となったものは何だ。いったい何が出てくるのだろうか。こんな症状は全く知らない。まだまだ世の中には知らない症例がたくさんある。とても興味深い。


「これは……魚?」


 ナイフで裂いた切り口から、出口を求めるようにたくさんの魚があふれてきた。

 男の腹には、たくさんの大きな魚がぎっしりと詰まっていた。



◇◇◇◇



「うへえ、気持ち悪い」


 後ろで見ているイリーナが、嫌そうな声をあげる。


 男の腹から出てきたのは、私の顔の倍はありそうな大きな魚。しかも、咀嚼した後のどろどろした状態であったり、あるいは切り身をそのまま飲み込んだような形ですらなく、丸ごと一匹。海を泳いでいた頃の形のままの魚がたくさん……二十や三十は詰まっていそうだ。

 男の胃や腸の液にまみれていて、さすがに生きてはいないが、一匹丸ごと完全な形を保った魚である。


 イリーナが恐る恐る覗いている。


「もう大丈夫なのですか?」

「斬られた死体は慣れてるから」


 死体を切り裂く行為には抵抗はあるが、切り裂かれた死体にはあまり抵抗がないらしい。感性がよくわからない。


「……クリス。君は何者? 普通の女の子じゃないよね」

「美しく可憐なだけの普通の少女ですよ」


 少々、治癒魔術や人体に関する知識は持っているがね。


「普通の女の子は死体を見たら怯えるものだよ」

「……あなたが言いますか?」


 一緒に死体を検分している少女が言ってもまるで説得力がない。

 彼女はもう死体について何も気にしていないようだ。私が死体をなんとも思わないのは、人間の身体をいじくり回すことに慣れきっているからだ。そんな自分が、異常なことくらいは自覚している。

 では彼女は何なのか。


 そして一方で、そんな彼女ですら解剖にはあんなに動揺してみせた。

 死体を損壊することに対しては忌避感を示さないといけない。という社会規範から、本当は何とも思っていないのにみせかけで動揺してみせたのだろうか。機微がわからない。


 そもそも、なぜみな拒絶反応を示すのだろうか。死んだ人間はもう人間ではない。食材の肉や魚を切るのと大差ないだろうに。


 生きている人間は治癒魔術で治療できるが、死んだ人間には治癒魔術は作用しない。いわゆる神の加護とやらも同じだ。傷や病は治せても死人を生き返らせることはできない。


 「生き返らせる」という言葉はどうも良くない。生き物とそうでないものは決定的に違うものなのだ。生物は死んだら非生物となるが、非生物はけして生物にはならない。それは覆すことのできない事実だ。

 死んだ人間はただの物体だ。人間と同様に扱うべきではない。それは生に対して失礼だ。生命は替え難く尊いのだ。


「さて、見ての通り理解できない状況です。

 彼の……残りの二人も含めて彼らの死因は、腹の容量を無視して、物理的に目いっぱい魚を詰め込まれたことですね。詰め込んだ方法は全く分かりませんが……。」

「無理やり魚を口からを詰め込まれて殺された?」

「不可能ですね。最初の一匹を突っ込むのも難しいでしょう」


自然死にしてはあまりにも不自然だ。何らかの意図を感じざるを得ない。

 

「じゃあ宴会芸だ。自分で飲み込んだんだよ」

「見てくださいこの魚の大きさを。どんなに頑張っても喉を通りません。無理やり口から突っ込んでも、こうはなりません」


 だからだろうか。最近ちまたではやりの小説に出てくる探偵よろしく、イリーナは死因を推理を繰り出す。


「じゃあ、お腹の中で育って大きくなって入りきらなくなっちゃったとか」

「そんなわけが……んん?」


 何かが引っかかる。しかし、それ以上は思いつかない。まあ良い。これ以上は無駄だ。


「推理ごっこは終わりにしましょう。ひとまず、謎の奇病とかではないので感染の心配はなさそうで安心です」

「あ、そういう確認だったんだ」


 中からすべての魚を引っ張り出すと、なんと二十四匹もの魚が入っていた。

 その魚についても、一応、比較的綺麗な魚を選んで一匹切って中身を見てみたが、特に変わったところはないようだ。

 人体と違って魚については知見はないが、見てわかる範囲に何かしらの異常、例えば物理的な仕掛けなどが仕込まれているということもなかった。ごく普通の魚だ。ますます奇怪である。


 さて、中身が確認できれば、もうこの死体はどうでもいいが、一応言った手前やらざるを得ない。開いた腹を糸で縫い合わせる。イリーナ怖いし。


 裁縫用の針と糸で雑に縫い合わせる。こんなもんでいいか。どうせ死んでいるし。生きている人間相手の傷口の縫合あれば丁寧にやるのだが。

 服も戻してやって最低限の形を整えた。

 

「さて。この船では何が起きているのでしょう……」


 一息ついてそう言ったとき、何かの音がしたような気がした。


ピチッ、ピチッ


 私が音に気が付いて反応する前に、イリーナが動いた。


「何奴!?」


 振り向きざまにひゅっと剣を振る。


 イリーナが動いたことが、かろうじて私の目にも認識できたそのとき、すべてが終わっていた。


「……え?」


 剣に一刀両断されて真っ二つになった何かが、どさりと床に落ちた。

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黒衣のクリス〜災厄の治癒魔術師〜 天才可憐な私が失敗なんてするはずが……あっ 遊離電子 @oono

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