第18話 脱出

「船を沖に出すぞ」

「マジっすか、船長。出港ですかい? まだ、夜明け前ですぜ」

「今日は時化しけるらしい。念のためだ」


 昨晩、港で酒を飲んでいた時のことだ。


「向こうの方にある、あの島の上に雲が出ているときは嵐が来る。明日、朝一でみんなよってたかって港から船を出すはずだ。忙しくなるぞ」


 そんなことを、懇意にしている水先案内人パイロットが話していた。

 こういう地元の話は馬鹿にできない。地元の案内人が来るといったら、たぶん来るのだ。

 

「水先案内人はどうするんで?」

「もう依頼してきた。日が出たら朝一で動かすぞ」

「さすが船長。仕事が早いですぜ」


 その話を耳にした俺は、その場ですぐさま、そいつに朝一で船を出す依頼をすると、あっちこっち駆けずり回って出港の手続きを整えて船に戻ってきた。


 大きな帆船は港に入るときの細かな操船ができない。奴隷をいっぱい買ってオールを漕がせればできなくはないが、そういうガレー船は時代遅れだ。今は、港内で船を外から操って出し入れをする、水先案内人というのがいる。


 奴らは水系統の魔法で水流を操って、船をスルスルと港に入れる。便利なものだ。

 そんな便利なら、そもそもそいつらを船に載せて魔法で動かせば良いと思うかもしれないが、そう上手くはいかない。

 魔法を使えば精緻な移動ができるが、大きな船を動かすのはかなり力を使うので、せいぜい少しの距離を移動させるだけで精いっぱいだ。外洋では役に立たない。巡航にはやはり帆走が必要だ。帆船に必要なのは、水よりもむしろ風の力だ。


 ともかく、俺たちのような大きな船が寄港できる港には、港付きの水先案内人がいる。港の中の操作はそいつらがやってくれるが、水先案内人そいつらに頼まないないと、俺たちは船を港に入れることも出すこともできない。


「まだ出港準備してないですぜ? 今の船には数日分の水と食料しか残ってねえはずだ」


 帳簿を片手に話すのは、物資を管理する書記長。


「話によると嵐はすぐに通り過ぎるらしい。せいぜい一日か二日、外に錨を下ろしにいくだけだ。問題ない」


 船の幹部連中たちとともに段取りを整えていく。


「ま、そういうことなら。飲んだくれて戻っていない奴もいるが……」

「放っておけ。港から見えるだろうから、置いて行かれたとも思わないだろうよ。そうだな、一応連絡員は残しておくか」

「いざとなれば短艇で行き来できるし、問題なさそうですな」


 でかい船はほんのちょっと動かすだけでも大仕事だ。確認することはたくさんある。


「段取りはいいな? よし、人足を起こせ。準備させろ」

「船長。夜中まで『ブツ』を荷揚げさせてた人足連中には、さすがに酷じゃねえですかい?」

「……ああ、あれか。あの連中は昼まで寝かしておいてやれ。寝ぼけて事故を起こされてもたまらん。

 どうせ移動は水先案内人がやるからな。もやい解くのは別班で人手は足りるだろう。まかせる」

「あいさー。錨おろしたり帆を養生したりはその後。そんときに全員叩き起こしやしょう。よーし、お前ら動け」

「あいあいさー」


 船長である俺も徹夜なんだがな。眠いがまあ、仕方ない。「長」と名前が付くのはそういう役回りだ。


「そういえば船長。食料といえば、なんか厨房に大量に魚があったんですが、だれが仕入れたんですかい?」

「ん、なんだそりゃ」


 打ち合わせが終わって、皆がそれぞれの仕事に散っていく中、厨房長が話しかけてきた。


「穫れたまんまの生きのいいのが厨房に山ほど積んであったんすけど、誰かの土産ですかね。

 干し魚じゃないし開いてすらないから、航海の食料ってわけじゃなさそうだし」

「土産だあ? そんなもん買ってくるような律儀な奴ぁいねえだろ。どっかで釣りでもしてきた奴が、釣れすぎたのを置いて行ったんじゃねえのか?」

「そんな量じゃなかったですがね……。大半、まだ生きてやがったが、置いといたら腐っちまう。早いところ片づけねえと」


 先ほどの話し合いで、物資の懸念を聞いたばかりだ。次の航海のための食料も何も、まだ積み込みが終わっていないどころか仕入れすら済んでいない。


「沖に動かしてから丸一日はどうせ動けねえんだ。よし、ひと仕事終わった後、酒盛りでも開くぞ。そこで全部出してやれ。見たところ新鮮なんだろう?」

「はあ。まだビチビチ動いてますぁ。じゃあ、ひとまず宴会用にサシミにでもしますぜ」

「おう、みんな喜ぶだろうよ。よろしく頼む」


 急な出港で予定外の労働だ。船員に不満もたまる。適度に労わねえとな。こういうのも船長の重要な仕事ってやつだ。




 ◇◇◇◇



 倉庫の扉は特に鍵がかかっているということもなく、普通に開いた。完全武装のイリーナに先導されながら出ると、そこも倉庫だった。

 ここは敵地である可能性が非常に高い。私に戦闘能力はない。ただのか弱い少女だ。荒事を引き受けてくれるというのであれば。こそこそと後ろをついていくことにしよう。


 相変わらず船は大きな周期でゆっくりと揺れていて歩きづらいが、次の区画にも人の気配はない。


「ところで、ここは船のどのあたりなのでしょうか」

「底だろうねー。底の方から倉庫、下っ端の部屋、上の方が上等な部屋。船はそういう作りになってるよ」


 どこに進めば脱出できるのだろうと、自分たちの現在位置を考えていると、意外なことにイリーナから回答があった。


「ほう。詳しいですね。なぜそんな順番に?」

「あの町までは船で来たからね。下の方が倉庫だったり部屋の等級が低いのは、船が沈んだときに底の方にいると死ぬからだね」


 せいぜい河を渡ったり下ったりするための小さめの舟にしか乗ったことがない私は、海の大きな船には無知だ。イリーナから知識を仕入れていく。


「海に浮かぶ船というのは、こんなに揺れるものなのですね」

「うーん、大きな船はそんなに揺れないはずなんだけどね。この船は結構大きいみたいだから。

 外の天気が悪いのかもしれないね」


 船底と推定される我々のいるところには窓がないため、外の様子がわからない。ぼんやりと光る月光石の照明で薄暗い廊下が見えるだけだ。火を使わないのは揺れて危険だからだろうか。

 月光石は自然に発光し続ける鉱石だが、その発する光はあまりに弱弱しい。かつては照明として使われた時代もあったそうだが、ランプやランタンなどの照明器具が発展した現代では、暗い月光石の照明はあまり見ることはない。


「となると、倉庫区画を抜けると次は下級船員の船室でしょうか。鉢合わせたら面倒なことになりそうですね」

「下級船員は個室なんて持っていないから大部屋で雑魚寝だよ。というか、底にはたぶん倉庫と大部屋しかないから、大部屋の中を通るしかないんじゃないかなー」

「大部屋……面倒そうですね。見つからずに通り過ぎることができるでしょうか」

「大丈夫だよー。私が斬るから」


 いや、斬るのはせめて問いただしてからにして欲しい。

 彼女の中では、この船の船員は全員悪人ということになっているようだが、全員が全員、我々を攫った人間と関係あるかどうかわからないじゃないか。


「ええと、人攫いがたまたま船を輸送手段として利用いるだけで、船側は無関係かもしれないのでは?

 貨物の中身を知らないで船を動かしているだけの、善良な船員に出くわしてしまったら……」

「知らずに犯罪に加担しても悪は悪だよー。敵は斬らないと」

「あ、はい」


 だめだこの娘。話が通じない。怖い。

 あまり逆らわないようにしよう。逆らったら私も斬られそうだ。


「次の部屋は下級船員の大部屋っぽいねー。いざ!」


 イリーナは部屋につながる扉を蹴って開けると意気揚々と突入していく。

 ……いま、蹴る必要あっただろうか。いままでどこの扉にも鍵はかかっていなかった。船底の扉には鍵をかける習慣はないようなので、普通に開いたと思うのだが。

 繊細な私には、野蛮な人の考えはよくわからない。

 野蛮なイリーナが虐殺……もとい、チャンバラをしている間、私は隠れていよう。


 しばらくの間、部屋に入らずに倉庫の荷物に隠れて待っていたのだが、いつまで待っても、人を斬ったり争ったりするような荒々しい音は聞こえてこない。


「……部屋には誰もいなかったのですか?」


 おそるおそる扉に近づいてのぞいてみる。

 部屋の中からイリーナの困惑するような声が聞こえてきた。


「あれー……悪人はもう死んでたよ?」

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