第17話 白と黒
どうやらここは船倉のようだ。でも、なぜ?
確かに私は港町にいた。 だが、船に乗った記憶はない。しかもなぜ木箱に入って?
状況がわからず、薄暗い室内を見渡すが、雑多に置かれた荷物しかない。見た目には特に、何も変わったものはない。いや、あった。
箱と箱の間のすきま。そこで大きな袋がうごめいている。なんだろう。動物? 船旅の食料を生きたまま運んでいるのだろうか。
「なるほど確かに。肉を運ぶよりも生きていた方が長持ちするでしょうね」
確かに賢い。思いつきませんでしたね。と、船の知恵に感心しながら、戯れに軽くつま先で突ついてみる。
「ん! んんーっ!! んんんーっ!!」
袋が暴れる。
「豚……にしては細いですが。生きが良いですね」
いや、鳴き声も豚ではない。豚以外の何らかの家畜か。うーん、何だろうこの鳴き声。聞き覚えがある。
そうだ。まるで、ちょうど、舌を噛まないように猿轡で口をふさいで、麻酔無しに手術を始めたときの人間のような……。
「人間……のような……」
「んーっ!」
もう一度小突くと袋が暴れる。小突く。暴れる。小突く。
「……もしかして、本当に人間が正解ですか?」
「んーっ! んんーっ!!」
そうだと頷くように、何度もくの字曲がったり戻ったりしながら、袋が返事をした。
◇◇◇◇
「いやー、助かったよー」
袋から出てきたのは若い女性だった。
カバンの中から愛用の刃が指先ほどしかない可愛い小さなナイフを取り出して、手足を縛るロープを切ってやる。
旅の身だ。ナイフの一つくらいは持っているし、なんなら裁縫用などの小さな刃物類もいくつかある。
カバンを持ったままでよかった。もしも寝ている間に盗られていたら、面倒な事件が発生していたはずだ。盗難に備えて少々小細工をしてあるが、むしろそれによって、まあ、いろいろ起きるだろう。
袋から開梱した彼女は、上等な白い生地のワンピースを着ていた。私は服にはなかなかうるさい。そんな私が見たところ、仕立てもなかなか良い。
さて、彼女はなぜ袋に入って遊んでいたのだろうか。もちろん皮肉だ。
「昨日の夜にお酒飲んだ後の帰り道でね。路地から出てきた男たちに突然袋を被せられたと思ったら、どうもそのまま攫われたみたい。
ここに着いた後は手足を縛られて、ご丁寧にまた袋詰め。そんでもって、ご覧のありさまだよー」
縛られた部分が赤くなった手足をさすりながら彼女は言った。
まったく不用心な話である。若い娘が一人で夜分に酒飲んで出歩くなどするからそんな目に合うのだ。警戒感がなさすぎる。自業自得にもほどがある。
「君も攫われたくちかな」
「私は……」
覚えていない。攫われた自覚はないが、気が付けば箱詰めされて船倉にいた。遺憾ながらそういうことなのかもしれない。
しかし、そんな目に合いながらも彼女は案外ケロリとしている様子だ。けっこう図太い性格なのかもしれない。
ロープで擦れた手足の傷は諦めたのか、娘は固まった身体を伸ばすように運動をし始めた。その顔は明るく悲壮感はない。なかなかに剛毅な精神性だ。
む。そういえば例の薬は怪我にも効いたりするのだろうか。そうだとすると治癒魔術の存在意義が少々……。ちょうどいい擦り傷が目の前にあるので試してみようか。
「ん? そういえば君。昨日の酒場で一緒に飲んだ黒い子!?」
いや、例の薬の本質は若返りだ。肉や皮を接着したり怪我を修復する機能はない。
原理的に怪我は治らない。壊れた形は元に戻せない。それに病や毒への作用もごく限定的だ。治癒魔術の代わりにはならない。
「ねえ、君! 」
やはり治癒魔術はすごいのだ。最高なのだ。それを使う私もすごくて最高。
心の中でそう結論づけたとき、大きな声で思考に没入していた私の思考は現実に引き戻された。
「昨日会ったよね!?」
「……ええと。どちら様ですか?」
◇◇◇◇
「私はイリーナ。剣士だよ!」
「クリスです。旅をしています」
さて、このような場面で剣士という名乗りは初めて聞いた。
未開の部族で職業戦士を名乗るような者はいるが、それは要するに兵士の言い換えだ。
兵科としての剣とか弓とかいうことだろうか。
「軍の兵士の方ですか?」
「ちがうちがう。だから、剣士だって」
む? 剣士というのは、「剣が使える人」という意味で、職業ではないだろう?
兵士や傭兵、用心棒などでなければ、剣が使えたとしても暮らしてはいけない。
剣が使える旅人、剣が使える商人。剣が使える農夫、神官、貴族。すべてが剣士だが、普通は「自分は剣士です」とは名乗らない。後ろについている職業の方を名乗る。
旅人も職業ではないが、旅人は移動をするのが目的なので移動中の旅人は職を持っていないからな。無職である。故郷に稼業があったり旅先で日銭を稼ぐことはあるけれど。
本当の意味で旅が職業になるのは行商人くらいだ。あとは巡礼者か。
しかし、暫定無職の旅の人間が、旅人ですと名乗っても特には不自然ではない。
だが、剣士はやはりよくわからない。
「いえ、ええと。港町で剣の道場でもやっているのですか?」
「ううん。あの町の住人ではないよ。まだこっちに来て四日目なんだ」
どうにも会話がかみ合わない。
剣は人間に対して特化した武器だ。
獣を相手にする猟師の類であれば弓を持つだろうし、普通に生きていくには、刃物はせいぜいナイフ一本持っていればことは足りる。さっきの私の小さなナイフでだって、旅の途中の野営くらいになら十分だ。
そこをあえて剣を強調するのは、自分は対人戦闘のエキスパート。悪く言えば殺人の達人であると、彼女は主張しているのだ。
日常から剣を下げて歩いている人間など、兵士でなければ、裏社会の用心棒か、武器を見せびらかして強がりたい若いチンピラくらいしか思いつかない。
あるいは、かなり時代錯誤ではあるが、旅の武芸者のたぐいという線もあるか。昔はそれなりにいたらしい。私が生まれるずっと前の話だ。
……まあ良いか。彼女がどうやって身代を立てているかには、実はそれほど興味がない。いつもの通り、どうせ一時的な関わりにしかなるまい。
ただ、職業「殺人の達人」を名乗るような人物は怪しいことは確かだ。少々警戒はしておこう。
「あ、あった! 私の荷物と剣。よかったー!」
部屋の中をうろうろと行き来していた彼女は、自分の荷物を見つけたようだ。
賊はイリーナ本人を含めて、とりあえず、攫ってきたすべてをこの船倉に放り込んだらしい。
荷物はともかく、武器を拉致してきた人間と一緒の部屋に置いておくのは、少々不用心じゃないだろうか。
いや、イリーナ。彼女はまだ良い。かなり厳重に手足を拘束されていた。あの状態からは、自力ではまず抜け出すことはできなかっただろう。
ところが、私に至っては脆い木箱に詰め込まれていただけだ。それもカバンごと。中身を確認すらしていないだろう。その証拠に、ナイフが入ったままだった。
何というか、仕事が雑すぎる。
イリーナの荷物は思ったより大きい。背負わないと持てないくらいの体積がある布袋だ。そこから何かを取り出しているが……何だその防具は? 鎧?
鎧なんて普通、戦場の兵士くらいしか着ない。日常的に着ている騎士団というものもあるが、あれは一種のパフォーマンスだ。
兵士だって平時の街中では帯剣こそすれ服装はただの制服だ。騎士でも兵士でもない人間が街中で鎧を着ていたら、それはきっと反乱軍か何かだ。確実に通報される。私なら迷わず逃げる。
彼女は白い鎧をてきぱきと身に着けると、その手に剣を携えた。その姿は完全装備の兵士のそれである。
……戦争にでも行くつもりなのかな。いや、「剣士」だったか。
それにしても。白い。あんなに白い防具や服で全身揃えて、汚れたりしないのだろうか。
賊もよくこんな鎧と剣を抱えた白ずくめの女を攫おうと思ったな。もっといくらでも人畜無害そうな町娘がいるだろうに。
まあ、人畜無害な町娘は、夜に一人で出歩いたりはしないか……いや、夜の街にいた人畜無害な娘であるところの私もしっかりと攫われていた。
わからなくもない。こんなにか弱い乙女を見つけてしまったら、悪い考えが浮かんでしまうのも仕方がない。私がこんなにも可愛いらしいばかりに。ああ、可憐さは罪か。
「よし、準備できた。反撃だよ!」
いけない。また現実から目を逸らしていた。しかし。
「いや……そこは『こっそり逃げるよ』じゃないんですか……?」
「え、なんで? 悪人は全員切らなきゃ」
え、怖っ。
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