第16話 眩暈の原因は内耳

「はっ!?」


 目が覚めると暗がりの中にいた。


「まだ夜ですか? む、なんでこんな体勢で寝て……痛ぁっ!!」


 なぜか膝を抱えてしゃがむような体勢で寝ていたので、起き上がろうとしたところ、何かに頭を思いっきりぶつけた。頭からゴンというすごい音がした。痛い。


「―――っ!」


 声にならない悲鳴を上げて転がりまわろうとしたが、狭くて動けない。……何かの隙間にでも嵌まり込んでいる?


 身動きに自由はないが、寝起きから頭はすっきりしている。酒を飲んだはずだが少しも残っていない。そうだ。私も成長したのだ。


 昨晩、食堂で酒が出てきたとき、ふと思いついて、酒を飲む前に、薬を飲んでおいた。西の都を滅ぼしたマックに渡したのと同種の秘薬をだ。

 人の名前を覚えるのが苦手な私だが、マックの名前は憶えている。半世紀後に会いに行かなければならないから、ちゃんと覚えた。短くて覚えやすい名前でよかった。


 あの薬の作用は、若返りと若さの維持だ。飲めば、老廃物として排出される寸前の老いた皮膚や血肉すらも活性化して、若い状態に戻る。

 その後は人間が元々持っている魔法の力を吸い取って効果が持続し続ける、いわば呪いのような効果が付与されていた。


 まあ、若返りとは言っても、前に述べたように、身体の組織は数週間程度で死んで入れ替わる。それら部品たちの寿命は長くともせいぜい数週間。だから身体は最大で数週間程度しか若返らない。見た目でわからない程度のごく限定的な若返りだ。


 原理上、それ以上の若返りはこの薬では無理だが、一度飲めば持続的に作用し続けて老化は止まる。そういう原理の不老化薬だった。

 ただし、重大な欠点があって、若さの維持のために魔法の力が持っていかれるので、あれを飲むと二度と魔法が使えなくなる。


 私にとってそれは非常に困る。治癒魔術が使えなくなったら生きている意味がない。だから飲まないままで持っていた。マックに渡したものはその不老化薬だ。

 一目見て彼には魔法の才がまるでなかったので、副作用も問題になるまい。


 帝都から逃げた先で少し余裕ができた頃に、逃げる際に研究室から引っ掴んできた物品や研究資料を確認していると、その中にあの不老化薬とその製法があった。 

 私は薬学も錬金術も専門外だがそんなに難しい工程はなさそうだった。材料もありふれたもので高くもない。なんとはなしに作ってみた。

 別に不老へのこだわりがあったわけではないが、製法が手元にあれば作ってみたくなるものだ。誰だって試すだろう?


 さて、その製法書きに従えば、「限定的な若返り薬」自体は素人でも簡単に作ることができた。

 だが、呪いの効果、つまり若さの維持効果が、残念ながら呪術の技術を持っていない私では、どうしても再現できなかった。

 私には結局、最大でほんの数週間を若返るだけの、残念な劣化版しか作れなかった。


 しかし、ものは考えようだ。魔法の力を吸い取って維持のための力に変換する機能がなければ、魔法は使えるままだ。しかも、この劣化薬は簡単に作れる。

 私が作ったのは、不老効果のなくなった、ただの劣化若返り薬だ。ほんのわずかの若返りとも言えない効果の、失敗薬。

 だが、逆に考えれば、それを月に一度程度の間隔で飲み続ければ?

 一ヶ月でほんの少し老いた身体はその老いたほんの少しの分だけ若返る。それをずっと繰り返し続ければ、やや面倒ではあるが、不老となる事に変わりはない。


 私は、この薬を定期的に作り、年齢維持のために使っている。


 そして一方で、長年使用しているうちに次第にわかってきたのだが、この薬は、ある意味どんな病にでも効く万能薬としての側面もあった。

 薬はまず、現在の身体の組織をそれが生きてきた数週間以内の若い状態に戻す。だからこちらも「発症後まもなくであれば」という但し書きが付く限定ではあるが、ひとまず飲んだ直後においては、病は治るし、毒からも回復するようだ。すぐにまだ病の症状に戻ってしまうことも多々あるが。

 私の作った不完全な薬のせいなのか、病の種類によるものか。はたまた他の要因があるのか。その辺はまだよくわかっていない。


 とはいえ、たまに飲めば健康と不老を与える薬。それは十分に神秘の秘薬の端くれであろう。そう思っていた。


 だから私は、マックに問われるまで、そんなくだらない事に使うなど考えたこともなかったが、もちろん、これは二日酔いにも効く。酒精も毒の一種だからだ。


 まったく、彼はなかなかの賢人だ。さすが、国家滅亡の歴史証人となるべき人間だ。

 自分で作った薬に少々自惚れてすぎていた。しょせんは簡単に作れる劣化薬だ。安易に使うのが正解だったのだ。目から鱗が落ちた気分だ。これからは自分も、二日酔い薬として気軽に使おう。


 ただ、少々問題もある。この薬の効いている間は、薬の作用で酒精は飲んだそばからすべてなくなってしまうのだ。つまり、いくら飲んでも酔わない。


 それでは酒を飲む意味がよくわからなくなってしまう。いっさい酔いたくないのであれば、最初から酒を飲まなければそれでいいのだ。


 この身体は酒精に弱い。


 だが、私だってたまには少々の酒くらいは飲みたいし、適度に酔って少しだけ楽しくなって、次の日にはすっきりと目覚めたい。私のささやかな望みはそれだけだ。

 そのためには薬を摂取するタイミングが重要だ。


 薬というものは、飲んですぐに効くわけではない。飲んだ薬が胃や腸までたどり着き、身体に吸収されるまでにはしばらく時間がかかる。その後、吸収された薬はだんだんと身体に回っていき効果を発揮するのだが、さらにいくらかの時間を置くと、その効果はしだいに減少していきやがて元に戻る。

 人の身体は驚くべきもので、薬だろうと毒だろうと、その効果を分解して元に戻るようにできている。それが魔法薬でも変わらない。


 この薬の場合、飲んだのち二、三時間ほどで効果を発揮しだして、ささやかな若返り作用が全身で完了するのがおおむね六時間後。そこから急速に効果は抜けていき、半日ほどたつと完全に魔法の力は消える。


 飲むのが遅すぎれば、悪酔いに苦しむ時間が長くなるし、早ければ酔わない。普通に考えたらもちろん、酒を飲んだ後に薬を飲むのが良いだろう。朝までにはきっと酒精が抜けてすっきり目覚めることができる。


 だが、酒精に弱いことを自覚しつつある昨夜の私は、酒を飲んだ後で薬を飲める自信がなかった。

 だから、不老の秘薬、あらため二日酔い覚まし薬を、酒を飲む直前に飲んでおいたのだが……。


「いたた……。ええと、そのあと……どうしたんでしたっけ? 何も覚えていません」


 頭をぶつけた痛みに涙目になりながら考える。


 一説によると、記憶というのは鎖のようなものらしい。きっかけがあれば鎖を辿って連鎖的に思い出せるが、そうでなければ思い出せない。

 私の記憶は、酒を飲んだところまでは鎖は繋がっていたが、その先は途切れてどこに繋がっていたのかを見失っていた。


 頭はすっきりしている。薬の効果の残存は正確にはわからないが、身体に多少の魔法の力が残っているようにも感じる。

 ということは、効果時間から考えて、酒を飲み始めた時点から、ざっくり八から十二時間程度の経過か。


 時刻は早くとも朝。遅くて昼。というところで外してはいまい。であれば、ここまで暗いはずがなさそうだが……雨でも降っているのだろうか?


 考えながら周りを観察する。周りを囲む壁の感触は木。板の隙間からうっすらと見える外。どうやら私は木箱のようなものの中にいるらしい。


 置かれている状況はなんとなくわかった。だがしかし。


「どうやって出よう……」



◇◇◇◇



「ふんっ! んんん……!! えいっ!」


 箱から脱出しようとじたばたともがいてみると、木箱の隙間が広がったり動いたりしていることに気がついた。

 どうもこの木箱はそんなにきちんとした作りではないようだ。ありていに言えば雑に作られている。

 箱の面を構成する板が一枚板ではなく、細長い板材やら端材をたくさん並べて釘で打ち付けてあった。そして、接続している釘はそれぞれにだいぶん緩んでいる。

 思いっきり力をかければ、どこか破壊できそうだ。


 例の、治癒魔術を応用した火事場の馬鹿力状態で、全身で力をかけたり勢いよく足で蹴りつけること数分。箱の側面の板の一部がついに外れた。


「やった!開きました!」


 やれやれ、これで明日も筋肉痛……まてよ、あの薬、筋肉痛にも効くのでは……?

 なぜ今まで気がつかなかったのだろう。不老の秘薬という名前にとらわれすぎていただろうか。


「いえ、今はそんなことよりも。ここはどこでしょうか」


 箱から這い出た私が見たのは、積まれた木箱や袋などの荷物。木箱からでたのに、外の部屋も薄暗かった。


「どこかの倉庫? その割には窓もありませんね」


 とはいえ、倉庫業に詳しいわけでもない。もしかしたら、荷物を日光から守るために倉庫には窓はしつらえないことも普通なのかもしれない。


「うわっ……とと。地面が揺れる。まだ酔いが覚めていない?」


 突如、地面の水平が失われるような目眩のような感覚に襲われる。


 大急ぎ魔術で身体を点検。酒精は残っていない。念のため耳の中も調べるが水平感覚を司る器官にも、何も異常はない。


 となれば、自分ではなく、本当に地面が揺れている……?

  地揺れのような激しさはなく、ゆっくりと揺れ続ける地面。そんなことありえるのだろうか?

 ゆっくり揺れる地面。寄せては返す波のようにゆっくりと……。


「もしかして……、船?」

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