第15話 天からの贈り物
その顔は暗闇の中にあった。
月明りに照らされてなお、闇に紛れて見逃しそうになる黒の塊。闇の中でもなお暗い漆黒から、白い顔のみがぼんやりと浮かび上がっている。
その光景は、冥府の底からこちらを覗く亡霊のようだった。
「なっ……なんだよあれ。気味悪ぃ……」
「おい、よく見ろよ。人だ」
「んん? たしかに。 女……いや子供か?」
夜に慣れた俺たちにも、暗闇に浮かび上がるそれは不気味だったため、悪霊か
全身黒い服な上に黒髪で、顔以外が暗がりに紛れて見えなかっただけだ。
俺たちの間に弛緩した雰囲気が広がる。口に出して言わないが、みんな思っていることは同じだ。ビビって損した。
こんな時間に道端に倒れている黒ずくめの子供というのも十分に薄気味悪いが、現実の人間とわかればビビる要素はない。
「おいおい。女子供が、いや男でもだが、こんな夜中に路上で寝てるのは流石に無用心ってもんだぜ。人攫いにさらわれちまうぞ!」
「そうだぜ。俺たちみたいなのにな! 」
「へ、へへ……。いいじゃねえか! やっちまおうぜ!」
ちょっとビビっちまったのを隠そうと、語尾を強めて軽口を叩き合う。俺はビビっていませんよ、と。
お互いに虚勢を張っているのがまるわかりだが、チンピラ稼業は舐められたら負けだ。相手が官憲でも、たとえ悪魔や悪霊でも、ビビらずにメンチを切れるようになってこそ一人前の世界だ。
虚勢だったが、みんなで勢いが付いてしまえばもう怖くはない。
こんな不気味な状況じゃなければ、死体くらいは見慣れているのだ。冷静さが戻ってくる。
「それにしてもこいつ、なんでこんなとこに落ちてんだ……? うわ、酒くさっ!」
金目の物でも持っていないかと、近寄って見ると、そいつは生きていた。酒の臭いがする寝息を思いっきり吹きかけられた。よく知っている、しこたま飲んだあとの酔っぱらいのあの臭い息だ。
俺が近づいたことにも気づかずに、ぐーすかと気持ち良さそうに寝ている。
「酒飲んで、酒を抱えて道端で熟睡かよ。ろくでなしだな」
こいつ、ガキのくせに泥酔してやがる。しかも、大事そうに中身が詰まったでかい酒瓶を抱えているときた。
「ちょうどいいじゃねえか。倉庫にさっきの空き箱もあるし、詰めちまおうぜ。
こんなところで寝てるんだ。攫われたって文句ねえだろ」
「そうだな。船に『荷物』として載せちまえば先の港で売れるか。箱詰めして放置しても二週間やそこら生きてっだろ」
生きた人間は意外と面倒だ。余分な人員に水や飯を与える余裕は船にはねえ。袋か箱に詰めて荷物として運ぶだけだ。途中で死んでもそれはそれだ。
死んだとしても、身に着けていた服や持っていた荷物なんかは売れる。死体は売れないが、女の長い髪は綺麗にまとめれば売れる。
こいつの服や、肩からかかっているカバンはけっこう上等な作りに見える。珍しい黒髪というのが買い叩かれそうだが、長くて艶がある。どれもそれなりの値段で売れるだろう。カバンの中にも何か値打ちものを持っているかもしれない。ないにしても小銭くらいは入っているだろ。
まあ、何にせよ、この場で長々と考えるたり、持ち物を漁ったりするのは悪手だな。このまま丸ごと攫って船に載せてからゆっくりと確認すればいい。
盗みにしろ人攫いにしろ、犯罪は手早くやるのがコツだ。長いことかけると、誰かに見られる可能性が上がる。目が覚めて騒がれたりしたら最悪だ。
目撃者がいなければ、犯罪は犯罪にならない。
だから、女子供は人目のない場所や夜中に出歩いちゃいけねえんだよ。まあ、俺たちに攫われようとしているこいつに、今さら言っても無駄だけどな。
「え、もったいねえ……せっかくの女だぜ? 船の上で夜の相手をさせようぜ!」
「お、おう……。いや。ガキじゃねえか」
「でも、ほら! よく見りゃ綺麗な顔してるじゃねえか。長いまつげにぷっくりとした唇。桜色の頬。すごい美人だぜ!」
仲間の一人が興奮気味に言うのに、思わず引いてしまった。こいつ、いつもは女にあまり興味を示さないくせにこんな時だけ勢いが良いな。
「いや、最後のは酔っ払ってるだけだろ」
「こんな胸も真っ平のガキに興奮するかよ。女は乳がでかくないとな」
「だよなあ。ちょっと
「馬鹿野郎! このふくらみかけの良さがわかんねえのかよ!」
「ええ……」「うわぁ……」
俺ともう一人はドン引きしている。こいつ、娼館に誘ってもいつも一緒に来ねえと思ったら、特殊な趣味の変態だったのかよ。
「おい、いいから早くずらかるぞ。ガキの身体を弄り回したきゃ後で好きにすればいいさ。
人に見られる前に運ぼう。お前はそっちを持て」
変態は放っておいて、もう一人に足側を持ち上げるように指示を出す。まだ何もしちゃいねえが、誰かに見られたら通報されかねん。やるならやるで急がねえと。
ガキの女とはいえ、人ひとりを持ち上げるのは少し骨だ。意識を失った人間は思った以上に重く運びづらいものだ。上手く運ぶにはコツがいる。だが今は人数がいるんだ。素直に分担して運べば余裕で運べる。
俺の方はガキの後ろに回って上半身を持ち上げようとした、その時。
ピチッ……ピチッ……
「ひっ! なんだ!?」
突如、後ろの闇から聞こえてくる不気味な音。
水の落ちる音のようだが違う、もっと重量が感じられる不気味な音。
暗闇から一定間隔で響いてくる音に思わず息を飲み込んだ。
「魚……チヌか?」
ビビって思わず背後を確認した俺の目に入ったのは、地面の上で跳ね続ける魚だった。
クソ。またビビっちまった! 魚なんぞにビビったところを仲間に見られるなんてダサすぎる。
「でも、なんでこんなところにクロダイが?」
俺たちも海の男の端くれだ。ある程度魚の種類は見分けられる。
地面で元気に跳ねているのはタイの仲間の魚。地方によってはチヌと言ったりクロダイと呼んだりする。煮て良し焼いて良し。どう料理しても美味い。新鮮ならば生で食うともっと美味い。そういう魚だ。
立派な魚体にツヤのある身。いかにも美味そうな
「でけえチヌだな。脂も乗ってそうだ。ちょうど、こんなのを肴に酒をくいっとやりてえという話してたよな。俺たち」
「酒も魚も揃っちまったぞ。何だこりゃ? 天からの贈り物か?」
「あと女もな!」
これだけの立派な
女のガキが抱えている酒も、よく見りゃ良い銘柄の酒だ。普通だったら、こんないい酒が手に入ったなら大喜びで飲むだろう。薄気味悪い亡霊みたいなガキが抱えていたものでなければ。
あとは女か。俺にとっては女の範疇に入らないガキだが、一人喜んでいるやつがいる。せめてもう少し肉付きが良くて乳さえでかければ俺もイケなくはなかったんだが……。
酒、魚、女。それがなぜか、夜の道端にまとまって落ちていた。
状況の不気味さはともかく、落ちていた物だけを見れば、何もかもが俺たちの望んでいた物に違いない。
「何だかわかんねえが、全部船に持って帰って酒盛りするか。お前、魚さばけたよな?」
「あ、ああ。前にここで食ったサシミが美味くてな。さばき方を覚えたんだ」
「こういうのを、なんだっけ? ホロホロ鳥が鍋持ってやってきたって言うんだったか?」
「いまは、『チヌが酒持ってやってきた』だけどな」
「持ってきたのはそこの天使ちゃんだろうが!」
ダメだこの変態。
俺たちは困惑しながらも、天からの贈り物たちを抱えて船に帰った。
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