六の夜 人形の妹(下)

物心着いた頃にはその人形は仁美ちゃんの側にいたそうです。ご飯を食べるのもお出掛けするのもいつも一緒で仁美ちゃんにとってはそれが当たり前になっていました。


しかし数年前、友達が遊びに来たとき今の私のようにお母さんから紹介されたその人形を見て、その友達は怖がって帰ってしまったそうです。


それ以降学校で噂が広がりました。仁美ちゃんの家は人形がお姉ちゃん、事実その通りなのですが一般的には歪なその家族の形に友達は皆離れて行き、仁美ちゃんはひとりぼっちになってしまったそうです。


その頃には仁美ちゃんも自分の家がおかしいことに気づき始めていましたが、お母さんに言っても何もおかしいことなんてないの一点張り、お父さんは出張で滅多に家に帰ってこず結局誰にも相談することができないまま引っ越しの日を迎えたそうです。


「本当はもっとお友達と遊びたいけど...家のことがバレると皆怖がって離れていっちゃうから...。」

そう語る仁美ちゃんの瞳には涙が浮かんでいました。

学校では極力人と関わらないようにして自衛するしかない、転校してから仁美ちゃんが静かに過ごしていたのも全ては自分の家の事を公にしないためでした。


正直私も怖くて仕方ありませんでした。今すぐにでも逃げ出したい気持ちで一杯でしたが、同じくらい仁美ちゃんのことが可哀想で仕方ありませんでした。

「大丈夫!全然気にしないから!」

虚勢を張りつつも仁美ちゃんを励まし、学校ではこの事は絶対にしゃべらないと約束して、機を取り直して二人で遊ぶことにしました。


私がゲーム機を持ってきていたのでしばらく二人で遊びます。ゲームをしたことがなかった仁美ちゃんは目を輝かせて楽しんでくれていましたが、私はどうしても後にいる人形の事が気になりました。


なんとなく視線を感じる...たまに何気無く背後を振り返る度無機質な黒い瞳と目が合う気がするのです。


とにかくゲームに集中しようそう考え直した時ふと首筋に風を感じました。私は部屋の扉に近い場所に座っていたので、隙間風でも吹いているのだろうかと思い扉の方に目を向けました。


確かに扉は少し開いていました。そしてその向こうにはこちらを伺うようにしてた佇む仁美ちゃんのお母さんの姿があったのです。


いつの間にそこに居たのか、本能的に視線を合わさないようにしましたが、目の端で捉えたお母さんの表情は人形のような真顔でした。


まるでこちらを監視しているような...そう考えた時、咄嗟に私は「お姉ちゃんも一緒に遊ぼう!」と言って急いで人形の方に手を伸ばしたんです。


-えっ重っ...

全長30センチにも満たない小さな日本人形、片手で簡単に拾えるだろうと思いましたが私の意に反して確かな重みがありました。まるで赤ちゃんのような、そんな想像が頭を霞め身震いしましたが、なんとか両手で抱えて自分の膝の上に乗せました。


仁美ちゃんはそんな私を困惑した目で見ていましたが、小声で「お母さんが見てる。」と言うと「あっそうだね。ごめんねお姉ちゃん。」と話を合わせて再びテレビに向き直りました。


-これで良かったのかな...

私は軽いストレッチを装いあくまで目を合わせないように気をつけながらお母さんの様子を確認しました。


その時のお母さんの表情は笑っているのに怒っているような、まるで粘土細工で無理矢理張り付けたかのような不気味さがあり、怖くなった私は直ぐに目線を戻したんです。


暫くするとお母さんの気配が消え、私は直ぐに膝の上から人形をどけ、再び重たい沈黙のままテレビゲームを続けました。



その後の夕食の味もあまり覚えていません。私と仁美ちゃん、そしてお母さんとその隣には赤ちゃん用の椅子に座らされた人形が当たり前のように席に着き、卓上にはその人数分の料理が用意されているのです。


お母さんは嬉々とした表情で人形の口に料理を運びますが、当然口を開くわけもなく、ぼとぼとと料理が床に溢れるのです。

「どうしたのかなあ?あら◯◯ちゃんが居るから照れてるのかしら?」

人形にそう語りかけるお母さんを尻目に、私は一向に箸が進まず震える手を必死に抑えながら過ごすことしかできませんでした。


夕食が終わりお風呂も入って再び仁美ちゃんの部屋に戻ります。折角のお友達の家でのお泊まり、普通なら夜通し遊んだりおしゃべりをしたりする所ですが、当然そんな気分になるわけもなく、どちらともなく「もう寝ようか...。」と言って早目に布団に入りました。


横になったのはいいものの、私はなかなか眠りに着くことができませんでした。それは、今にもドアの向こうから人形を抱えたお母さんが入ってきて私の布団に寝かせるのではないかと考えてしまうと、時折目を開けてはドアが開いていないか確認せずにはいられなかったからです。


しかし精神的に疲れていたのも事実、仁美ちゃんが隣で寝息をたて始める頃には私の意識も次第に遠退いて行きました。


どのくらい時間が経ったのか、私はふと下腹部が圧迫される感覚で目を覚ましました。


-トイレに行きたい...


トイレは一階の玄関脇にあります。ただ深夜に一人で行くのは躊躇われました。かといって寝ている仁美ちゃんをわざわざ起こすのも気が引けます。しばらくどうしようかと布団の中でもぞもぞしていましたが、いよいよ我慢ができなくなりました。


私は起き上がるとそっと扉を開けて部屋から出ました。しんと張り詰めた静寂の中、私は壁づたいになるべく急いで廊下を歩きました。


階段手前まで来ました。このまま降りるのは流石に怖かったので明かりを着けようと照明のスイッチに手を伸ばしました。


-あれ?なんで?

しかし何度スイッチを押しても照明は着いてくれず、カチッカチッという空虚な音が鳴るばかりでした。


その時何となく嫌な予感を感じていました。やっぱり仁美ちゃんを起こしに戻ろうかとも悩みましたが、正直尿意も限界だったので勇気を振り絞ってゆっくりと階段を降り初めました。


真っ暗闇の中、少し目が慣れた頃には目の前に目的の扉が見えました。ドア横の電気のスイッチを押しますが、階段同様に何故か電気は着きません。


トイレの中は通気窓から月の光が僅かに差し込んでいたため廊下と比べれば少し明るさがありました。それでも怖かったのでドアを半開きにし用を足します。ようやく落ち着くことができ、部屋に戻ろうと腰を上げた時でした。


階段から誰かが降りてくる音が聞こえてきたのです。初めは仁美ちゃんかと思いましたが、足音の大きさでそれが大人のモノだと分かりました。


-仁美ちゃんのお母さんだ...


私は急いでトイレから出ると洗面所に移動して身を隠しました。正直もう恐怖の対象でしか無かったので鉢合わせたくなかったからです。


お母さんはトイレを通り過ぎるとそのままリビングへと入っていきました。するとガスコンロのカチッという音が聞こえ、夕食に食べたカレーの匂いが漂ってきました。


-こんな夜中にお腹でも空いたのかな...?

そんな疑問を抱きながらも今がチャンスと思い私は洗面所から出ました。


その時です。


「やっぱり◯◯ちゃんが居たから食べられなかったのよねぇ。」

耳に甘ったるいお母さんの声が入ってきて思わず足を止めました。


「お腹空いてるでしょう?たくさん食べなさい。」

何をしているのだろう。リビングの扉は少し開いています。背中にゾワゾワとした悪寒が走り、本能的に向こう側を見てはいけないと分かっていました。けど、どうしてもそこで何が行われているのか気になりました。


食器をカチャカチャと鳴らす音が聞こえます。私はそっと扉の隙間に体を近づけました。


暗闇の中お母さんはテーブルについており、隣には赤ちゃん用の椅子に座らされた人形がいました。


-またやっているのか...

お母さんは夕食のカレーを掬い人形の口へと運びます。


その瞬間でした。


「ひっ!!!」


その光景を私は生涯忘れることができません。人形が、口を開けてご飯を食べたのです。


まるで赤ちゃんのようにモグモグと反芻しながら、表情だけは一切変わらないまま人形は喉をならします。お母さんは満足そうな表情で次々とご飯を運び、人形はただ無言でソレを頬張るのです。


化け物だ、目の前の人形もお母さんも最早この世の者とは思えず余りの恐怖に私は腰を抜かしてその場にしゃがみこみました。


私は言うことを聞かない足を引きずってその場からずるずると遠ざかります。これ以上この家には居られない、直ぐに逃げなきゃそう思ってひたすら玄関まで身体を近づけようとしたのです。


「きゃ!」


その時身体が何かにぶつかり思わず悲鳴をあげてしまいました。ヤバいと思い直ぐに口を塞ぎますが、リビングの方でお母さんの「誰?」と言う声が聞こえました。


絡まる足を必死に起こした時、目の前には仁美ちゃんが立っていました。いつの間にそこにいたのか、仁美ちゃんはぼうっとした顔で私を見つめています。


「ひっ仁美ちゃん、今っ...今っ...。」

私はしどろもどろになりながらも、リビングで起こっている出来事を説明しようとしました。しかし、仁美ちゃんは「知ってる。」と私の話を遮り続いてこう言ったのです。


「アレがご飯を食べるのっておかしいことなのかな...?」


愕然とした私は、リビングの扉が開くと同時に咄嗟に仁美ちゃんの手を掴み走り出していました。玄関の鍵を開け、裸足のまま夜の町へと飛び出します。背後で仁美ちゃんのお母さんの「待ちなさい!」という声が聞こえましたが構わず私は走り続けました。


私の家の玄関が見えてくるとまるで追突するような勢いで扉にしがみつき何度も呼び鈴を鳴らして、けたたましく扉を叩きました。


「お母さん!!!お父さん!!!開けてっ!!!」

何度も絶叫した後、玄関の電気が点いて驚いた顔をした両親が姿を表しました。


私はぜえぜえと息を切らし、泣きながらお母さんのお腹にしがみつきました。


切羽詰まった表情で「人形がっ!人形がっ!」と繰り返す私と隣で私同様涙を流す仁美ちゃんを見てただ事ではないと思ったらしく、とにかく入りなさいと二人に促されて家に入ります。その瞬間気が抜けたのか、私は気絶するように眠りに落ちてしまいました。


気がつくとベッドの上でした。見慣れた天井に心底安心したのを覚えています。隣では仁美ちゃんが未だ寝息を立てており、その表情はどこか穏やかにも見えました。


母に聞いた話ではあの後、仁美ちゃんのお母さんが家に訪ねて来たそうです。手には人形を抱え、娘は居るかと尋ねる様子が余りに異様で、父が「夜も遅いし今日は家に泊まらせます。」と言うと狂乱したように暴れだし「今すぐ娘を返せ!この子には妹が必要なの!」と無理矢理家の中に入ろうとしたそうです。

結局警察を呼ぶことになり、両親が理由を説明する間もなくその警察官に掴みかかったのでそのまま連行されていきました。


その後色々あって、仁美ちゃんは父方の祖父母の家で暮らすことになり再び転校することになりました。お別れの日、仁美ちゃんはあの時自分の手を取ってくれたことをありがとうと言ってくれました。


正直あの時どうして仁美ちゃんの手を掴んだのかわかりません。ただ漠然と、これ以上はもう間に合わないかも知れないという思いがあったのは覚えています。歪な家庭環境の中、子供であった私が仁美ちゃんの為にできることなんてありませんし、何より恐怖の方が遥かに勝っていたので、何となく後を濁したくないと考えたのかもしれません。


数ヶ月後、たまたま通りかかった時かつて仁美ちゃんが住んでいた家は空き家となっていました。仁美ちゃんのお母さんもあの人形もどこへ行ってしまったのか現在まで全く分かっていません。


あのねっとりとしたお母さんの甘い声、無表情にご飯を頬張る人形。今度仁美ちゃんの結婚式に呼ばれているのですが、果たしてあの二人も来るのだろうかと考えてしまうと怖くて仕方ありません。


(匿名希望さんの譚)


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