六の夜 人形の妹(上)

私が小学生の頃の話です。


当時私には、仁美ちゃんというとても仲の良い友達が居ました。


仁美ちゃんは小学四年生の6月頃に転校してきた女の子で、初めて会った時は声も小さいし何だか暗い子だなあという印象でした。


私もそんなに人懐っこい性格ではなかったので、積極的に話しかけることはなく、転校したばかりで他の生徒達に囲まれる仁美ちゃんを遠巻きに見ていました。


けど仁美ちゃん自身も大人しい性格のせいか、あんまり会話も弾んでなかったみたいで、ちょっとずつ人も減っていき、数日経つ頃には一人で本を読んで過ごすようになってました。


転機があったのは仁美ちゃんが転校してきて二週間が経った頃です。


その日、二時間目に科学教室で理科の授業がありました。教室に移動中、私は忘れ物をしたことに気づいて一度教室に取りに帰ったんです。


そしたら、仁美ちゃんがまだ自分の席で本を読んでいたんです。


予鈴までまだ時間あるし、ぎりぎりまで教室にいるのかなあ、なんて思いながら取り敢えず忘れ物をと自分の席に向かいました。


無事回収して戻ろうとした時、何となく仁美ちゃんの方に目を向けたら、机の上のペンケースに当時私が大好きだったアニメのキャラクターのストラップが付いていたんです。


そのアニメを見ている人が周りに誰も居なかったので、興奮して「そのストラップをどこで手に入れたの?!」と尋ねると、いきなり声を掛けられて驚いたのか仁美ちゃんはビクッと体を震わせてました。


私の質問に仁美ちゃんはしどろもどろになりながら答えてくれましたが、いつから見てるのとかどのキャラ好きなのかとか夢中になって聴いている内に予鈴が鳴ってしまって、結局二人で授業に遅れてしまったんです。


ただ、それがきっかけで仁美ちゃんと仲良くなりました。


仁美ちゃんは自他共に認める人見知りで、前の学校でも全然友達がおらず、いつも独りで過ごしていたそうです。


けど話してみると、私の冗談でコロコロ笑ってくれるし、読書が好きな仁美ちゃんは自分が読んだ本の内容を私が興味を持つようにすごく丁寧にお話してくれたりして、意外にもお話好きなことが分かりました。


どちらかといえば年相応に騒がしい友達が多かった私にとって、仁美ちゃんのように静かで優しい友達ができたことは新鮮でしたし、純粋に嬉しくもありました。


仁美ちゃんとは色々なお話をしましたが、一つだけ何故か聞いても教えてくれないことがありました。それは仁美ちゃんのお姉ちゃんのことです。


仁美ちゃんは、お母さんお父さんそれから3つ離れたお姉ちゃんと仁美ちゃんの四人家族でした。お父さんやお母さんのことは話してくれましたが、何故かお姉ちゃんについては何も教えてくれないのです。


何を聞いてもはぐらかされたり、話を変えられたりしてしまって、何となく私もお姉ちゃんとは仲がよくないのかなあと思って、その話題は避けるようにしていました。


仲良くなって暫く立ちましたが、遊ぶ場所は放課後のグラウンドとか私の家とかばかりで1度も仁美ちゃんのお家にお邪魔したことはありません。

遊びに行ってもいいか尋ねたこともありましたが、凄く気まずそうな表情で「お姉ちゃんがいるから...。」と断わられたので、私もそれ以降はお願いするのを止めました。



そんな日々が続いたある日のことです。



その日の放課後、仁美ちゃんと帰宅している途中に後ろから「◯◯(私の名前)ちゃん?」と声をかけられたんです。


振り返ると知らない女性が立っていて、誰だろうと少し不審に思っていると仁美ちゃんが「あっお母さん...。」と呟いたんです。


ああこの人が仁美ちゃんのお母さんかと、話には聴いていましたが会うのは初めてだったので私は少し緊張しながら「こんにちは。」と挨拶しました。


するとお母さんも「こんにちは。」とニコニコ笑いながら返してくれて、その時はとても優しくて感じの良いお母さんだなあと思いました。

 

暫くお母さんとお話していましたが、さっきから仁美ちゃんが一言も発していないことに気づいたんです。


どうしたんだろうと仁美ちゃんの方をチラリと見ると、何故か仁美ちゃんはうつ向いた状態で唇をキュッと噛み、何かに耐えるように体の前で両手の平を握りしめていました。


大丈夫?と私が声を掛けようとした時、お母さんが「◯◯ちゃん。今度家に泊まりにいらっしゃいな。」と言ったんです。


その瞬間でした。


「だめっ!!!」


耳がキーンとする程の絶叫が響き渡り、初め私はそれがあの物静かな仁美ちゃんから出た音とは信じられませんでした。


仁美ちゃんは真っ直ぐお母さんの顔を見つめ「家に呼ぶのだけは絶対にだめ!」ともう一度年を押すように言い、お母さんと言い争いになったんです。


私は二人のやり取りを呆気にとられながら見ていましたが、最終的にはお母さんに言い負かされてしまい仁美ちゃんは少し涙目になりながら黙ってしまいました。


お母さんは私に向き直り「来週の金曜日とかどうかしら?」と尋ねました。一瞬どうしようか考えましたが、お母さんから妙な圧を感じて「だっ大丈夫だとおもいます。」と承諾してしまったんです。


私の返答にお母さんは満足そうに微笑みながら「お姉ちゃんもきっと喜ぶわ。」と言いその後は夕飯の準備があるからと、私たちの横を通り過ぎて行きました。


気まずい空気が流れていて暫くお互い黙ったまま歩いていたのですが、仁美ちゃんがぽつりと「ごめんね。」と言いました。


「さっきは急に怒鳴ったりして、びっくりしたよね。」


「ううん、大丈夫だよ。私の方こそ勢いでお母さんに行くって言っちゃってごめんね。迷惑なら、やっぱりやめにしようか?」


「迷惑なんて思ってないの!ただ...いいの、どうせいつか分かることだから...。」


それからまた口を閉ざしてしまい、私たちは会話もないまま各々帰路に着きました。


家に帰ってからも私はずっと仁美ちゃんが言った言葉の意味を考えていました。


(どうせいつか分かること。)

一体何のことを言っているのだろう、結局考えても答えは出ませんでしたが、その日を迎えた時私はその言葉の意味を身の毛のよだつ体験と共に思い知らされることになりました。


翌週の金曜日の放課後、仁美ちゃんとお家に向かいます。あれから普段通り二人で遊んだりしましたが、仁美ちゃんは今日が近づくにつれ明らかに気分が落ち込んで行っていました。


「あそこ。」


学校から15分程歩いたと思います。住宅街の一角で仁美ちゃんが指差した方向にはキレイな白い壁のお家がありました。庭先も丁寧に整備されていて、花壇には色鮮やかな花々が咲き誇っています。


素敵なお家だなあと思いながら玄関前まで来た時、ふと左手側で洗濯物が揺れているのが目に入りました。


-ん?


その時ある違和感を感じたんです。大人用と子供用の衣服が混じる中に、明らかに幼児サイズの衣服も一緒に干されていたんです。


-あれ、四人家族じゃなかったけ?

疑問に思い、仁美ちゃんに尋ねようとしましたが既に玄関扉を開けて中に入っていたので私も後に続きました。


玄関もお庭同様キレイに整理整頓されていました。私が「お邪魔します。」と言うと廊下奥の扉の向こうから「はーい、上がって上がって。」と仁美ちゃんのお母さんの明るい声が聞こえました。


お母さんの声に促され靴を脱いでいた時、整然と並ぶ他の靴に混じり一際目立つ小さな赤い靴が目に入りました。サイズも明らかに小学生のモノより一回り以上小さいです。外で見た幼児向けの洗濯物のことも考えると、明らかに他に誰かいるとその時私は思いました。


廊下の奥の扉が開き、ニコニコした笑顔の仁美ちゃんのお母さんが現れました。奥の部屋はリビングになっているみたいで、扉が開くと共にカレーの良い香りが漂ってきました。


「◯◯ちゃん、良く来たわね。さあ上がって上がって。」


「お世話になります。」


「夕食までまだ時間があるから二人で遊んでてね。取り敢えず荷物を置いてらっしゃい。仁美、◯◯ちゃんを案内してあげて。」


仁美ちゃんは「うん...。」とぽつりと呟くと右手側の階段を上がっていきました。私も「お邪魔します。」ともう一度ご挨拶し仁美ちゃんの後に続きました。


仁美ちゃんのお部屋は二階に上がって直ぐ手前にあり、当時の私の部屋と比べてもかなり整理整頓がされていました。


腰を落ち着けてからも何だか気まずい空気のままで、雰囲気を明るくするため色々と話を振りましが、仁美ちゃんは相変わらずの空返事でいよいよ話すことが無くなってしまいました。


-そういえば...

沈黙の中、ふと頭をもたげたのは先程見た洗濯物と靴でした。


「仁美ちゃん。さっき玄関にあった赤い小さな靴って誰の?」


私の質問に仁美ちゃんは嫌そうに眉を潜めた後「あれはお姉ちゃんのだよ...。」そうポツリと呟きました。


「お姉ちゃんのって...でもあれサイズがかなり小さいよね?」


「うん、でもお姉ちゃんのなの。」


「外に干してあった小さな服も?」


「...うん。」


どういうことだろうと思っていると、部屋の扉がノックされ仁美ちゃんのお母さんが現れました。


お母さんは抱えていたお盆からジュースの入ったコップを私と仁美ちゃんの前に置きます。


「ありがとうござい...。」


お礼の言葉を言い終わらない内に、私の視線はお母さんの手元に釘付けになりました。


お母さんは私たちのコップの間におままごとで使うような小さなマグカップも置いたんです。中はジュースで満たされています。


「今お姉ちゃん連れてくるわね。」

お母さんはそう言うと一度部屋から出て行きました。私が呆気に取られていると、何かを手にしたニコニコ顔のお母さんが戻ってきました。


お母さんはソレを小さなマグカップの前に座らせます。

「さあお姉ちゃん、◯◯ちゃんよ。ちゃんとご挨拶しなさい。」


お母さんが語りかけたソレ、ソレは可愛いお洋服を着せられた日本人形でした。


「ちゃんと挨拶しないと。あら~照れてるのかしら?ごめんなさいね◯◯ちゃん。お姉ちゃんちょっと緊張しているみたい。」


初めは冗談で言っているのかと思いました。けどお母さんの口振りはまるで人見知りの子供をあやしているかのようで、本当に人形を一人の人間として扱っているようにしか見えないのです。


絶句する私を他所にお母さんはマグカップを手に取り人形の口に運びます。当然飲むことなんてしないので溢れたジュースがポタポタと人形の服と床に溢れました。


余りの異様な光景に私は恐怖と困惑で固まってしまいました。同時にその時初めて、仁美ちゃんが頑なに私を家に呼びたくなかった理由が分かったのです。


お母さんは溢れたジュースを拭き取ると「夕食まで三人で遊んでいてね。」と言って部屋から出ていきました。一気に静まり返った部屋で、私はただその人形を見つめていました。


まるでホラー映画に出てくるような日本人形は赤ちゃんサイズのお洋服を着させられ、お世辞にも似合っているとは言いがたく、却って不気味に感じました。


「仁美ちゃん...どういうこと...?」


恐る恐る私が仁美ちゃんに尋ねると、仁美ちゃんはぽつりと「これが私のお姉ちゃん...」と呟きました。

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