五ノ夜 路肩の家族
私の叔父がかれこれ40年以上前に体験したできことです。
当時、叔父は施工管理の仕事をしており、その日は土砂で埋没したとある道路の復興工事の任に就いていました。
道路は県境の山奥にあり、国道や県道でもないおよそ地元の人間しか使わないような道でしたが、下った先に集落があったためそこに住む人々にとっては欠かせないインフラでした。
その為工事も夜通し行われ、現場作業員の方々の頑張りで災害から3日目の午後には何とか開通する目処が立っていました。
会社で報告書の整理に当たっていた叔父に現場監督から作業完了の電話が入りました。時刻は昼の2時を過ぎたくらいで、叔父は荷物をまとめると社用車で現場に向かいました。
会社から現場まではおよそ二時間。当時はカーナビなんて便利なモノはありませんから、町を抜けて現場まで行くのには舗装の悪いくねくねとした山道を地図を広げ道を確認しながら進まなければなりません。
最初に現場を訪れた際は、現場監督が先導してくれたため迷わずに済みましたが、今回は完全に一人であったため思うように進むことができず少しイライラしていたそうです。
暫く走っていた時でした。峠のカーブを曲がった際、10mくらい先の路肩に一台の車が停まっているのが目に入りました。
またその車の背後にはおそらく家族連れと思われる三人が、父親は荷台のトランクを開けて何かを取り出している様子で背後には母親らしき女性と子供が手を繋いでぼうっと道路の方を見ていました。
-こんなところで何やってるんだろう?
叔父の車が近づくにつれ、母親と子供の容貌がはっきりと分かりました。
その顔は明らかに不健康気に痩せ細っていて、目の下には一体どれだけ寝ていないのか大きな隈ができています。二人ともおよそ生気など感じられないような眼差しで運転中の叔父のことを目だけでじっと追っていました。
-不気味な家族だ...
叔父はそう思いましたが次のカーブを曲がると家族の姿は完全に見えなくなり、取り敢えず急いで現場に向かいました。
現場に到着すると既に道路は整備され、覆い被さっていた土砂も、割れたアスファルトもキレイに修復されていました。
工事現場での立ち会いを済ませ、下の集落の方々に工事完了の挨拶に行きます。後処理や作業員全員の帰社を見届ける頃には既に日は落ち、辺りはうっすらと暗くなっていました。
ようやく終わったと安堵した叔父は、地図を広げてもう一度自分が通ってきたルートを確認し車を発進させました。
一つ目のカーブを曲がり、二つ目のカーブも過ぎます。右手は絶壁で道によっては車一台ギリギリすれ違える程の幅しかありません。録に街灯も整備されていないため、車のライトで前方を確認しながらゆっくりと進んでいた時でした。
-ん?
ライトが照らした先、そこには見覚えのある一台の車がありました。
「まだいるのか...。」
思わず声が出たと叔父は言いました。
そこにはつい数時間前に見た家族連れが、先程と全く同じ状態で路肩に居たのです。
相変わらず父親はトランクから何かを取り出しているような様子で、母と子は虚ろな目で前を見据えています。日も落ちた山道で一体何をやっているのか...少し背筋が寒くなった叔父はアクセルを強めに踏んでその親子の前を通り過ぎました。
ルームミラー越しに親子の方を見ると、母親だけ僅かに身体を傾け運転する叔父を見ていました。気味が悪いと感じましたが、叔父は運転にだけ集中しようと再び見えてきたカーブをゆっくりと曲がりました。
カーブを過ぎたら直線になりました。ふうっと息を撫で下ろした時、再び数十メートル先の路肩に一台の車が停まっているのが目に入りました。
今日はやけに多いな、そう思ったのも束の間、徐々に車との距離が近づいた時思わず叔父はブレーキを踏みました。
「えっ...なんで?」
それは今しがた自分が追い越した車と同じものでした。車体の色もナンバーも瓜二つです。
信じられないと言わんばかりに叔父は身を乗り出して後ろを振り返ります。しかし、既にカーブを過ぎているため先ほどの親子連れを確認することはできません。
-そんな訳が無い、たまたま似た車がそこにあるだけだ
叔父は無理矢理自分を納得させゆっくりとアクセルを踏みます。車との距離が近くなり、その後方に誰かが居るのが見えます。いよいよ顔が視認できる距離になった時、叔父の口からくぐもった悲鳴が漏れました。
そこにいたのはあの家族でした。つい数刻前に見たあの奇妙な一家が、どういうわけか今は自分の目の前にいるのです。
-いったいどうして...
既に叔父の頭の中は恐怖と疑問でパニックでしたが、何とか冷静さを保ちその家族の前を再び通り過ぎました。
やがて次のカーブを曲がり少しの直線になります。数十メートル先の路肩に再び車が停まっているのを認めましたが、叔父はブレーキを踏むことはしませんでした。
その家族は叔父がカーブを曲がる度に出現しました。同じ姿勢でまるでそこだけ時間が切り取られてしまったかのように存在し続けています。
通りすぎる度に嫌でも目の端で母親と子供の不気味な容貌が目に入ります。まるで死体のように血色の悪い土色の顔...叔父にはその時、彼らが明らかにこの世のモノではないことがはっきりと分かりました。
叔父はあまりの恐怖に車を停めて地図を確認することができず、山道を抜けることを祈ってひたすら進み続けました。既に車は昼間通ってきた道を外れ周囲は鬱蒼と繁った雑木林が、日も完全に落ち辺りに闇が立ち込めています。
変わらず現れる不気味な一家、暗中模索の道中、どうしようもない恐怖と不安に駆られる中、叔父は正気を保つためにハンドルを力一杯握りしめていました。
どれくらい走ったのか、一本の坂道を下る間際、木々の向こうに見知った町の明かりが見えました。適当に走っては来ましたが、このまま進めばなんとか山道を抜けることができそうでした。
更にその直線にはこれまで必ず停まっていたあの車も一家の姿もありませんでした。叔父は、まるで長く息を止めていたかのようにふうっと大きく息を吸い込みました。
一体あいつらは何だったのか、疑問は尽きませんが一先ず胸を撫で下ろした叔父は胸ポケットからタバコを取り出し、ライターで火をつけました。
-ん?
一瞬、ライターの火で僅かに車内が明るくなった時、運転席側のガラスに何か映ったように感じました。
何だろうそう思った叔父が、右手側に視線を送った時でした。
「うわっ!!!」
車内に叔父の悲鳴が響き渡りました。ガラスの向こう側に、まるでこちらを覗き見るようにあの女の顔がピタリと張り付いていたのです。
女は何の感情も無いような表情でじっと叔父を見ていました。叔父はパニックになりながらハンドルを右に左に切り、車体をガクガク揺らしながら進み続けます。
その時叔父は、女の恐怖と同等以上に死への恐怖を感じていたそうです。いくらか峠を下ったとはいえ、右側は断崖です。ハンドルを滑らせてしまうと車もろとも奈落の底に沈んでしまいます。
今にも失神してしまいそうな精神状態の中、辛うじて握り締めたハンドルは脂汗でぐっしょりでした。手の震えも相まって操作もままならないでいたとき、車内にバンッ!!!というガラスを叩く大きな音が反響しました。
バンッ!!!バンッ!!!バンッ!!!
女が一定の間隔で窓ガラスを叩き始めました。まるで中に入れろと言わんばかりのように。構わず叔父は進み続けます。
バンッ!!!!バンッ!!!!バンッ!!!!
なお一層力を込めて女はガラスを叩きます。音に混じり、女の口から低い呻き声が聞こえてきました。
地の底から響いてくるようなその声は叔父の正気を確実に蝕みます。いよいよ叫び出しそうになった時前方に家々の明かりが見え、やがて国道の交差点に差し掛かる頃には女の姿は完全に消えていました。
息も絶え絶えの叔父は会社に戻る気力が持てず、そのまま自宅まで帰ったそうです。
後々分かったことですが、かつてその峠で親子二人の死体遺棄事件があったそうです。犯人は父親で、犯行後暫くして自宅で首を吊り、残された遺書に妻と子を殺害した旨が記されていました。
叔父はあの家族を思い出す時、父親がトランクを開けて何を取り出そうとしていたのか考えるそうです。それはおそらく二人の死体だったのではないか...母親は子供共々殺された無念から叔父の前に現れたのではないか...現在でもその道は残っていますが、今でも叔父はそこを通ることができないそうです。
(O県H市Sさんの譚)
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