3-2 春風とホワイトデー
──そうして、俺たちは予定通り映画を鑑賞した。
観たのは、海外で大ヒットしたアニメーション映画の吹き替え版だ。
本人の口からはっきりと聞いたわけではないが、伍月はこの手のファミリー向け映画が好きなようだった。終わった瞬間、「よかった……」と涙声で呟いていた。
俺もこういうわかりやすい映画は好きな方ではあるが、今回ばかりはあまり集中ができなかった。
何故なら、主人公の少女が長い髪を靡かせる度に、「あぁぁ……」と頭を抱えそうになったから。
伍月のために作ったシュシュ。
しかし、結うべき髪は、もうない。
数枚の紅茶クッキーと使い道のないシュシュでは、ホワイトデーのお返しとして不十分すぎるだろう。
これは……何か別のものを用意しなければ。
感動冷めやらぬ様子の伍月と共に劇場を出ると、売店に今観た映画のキャラクターグッズが並んでいた。
「……伍月。何か欲しいものはあるか?」
シュシュの代わりになるならと尋ねてみるが、彼女はすんとした表情で、
「いえ、大丈夫です。感動は胸の中に留めておくタイプなので」
即答する。
感情に流されて衝動買いなどをしない
映画館を出た後も街中を見回し、プレゼントに相応しいものが売っていないかと目を皿にする。
何か、何か彼女が喜びそうなものはないか……
と、通りに並ぶ店を片っ端からチェックしながら、伍月に尋ねる。
「……伍月。パン屋があるぞ。覗いていくか?」
「は? お腹空いてないので大丈夫です」
「お、本屋があるぞ。欲しい漫画とかないか?」
「こないだ新刊買ったばかりなんで平気です」
「見ろ、老舗の乾物屋だ。昆布や干し椎茸は間に合っているか?」
「間に合ってますよ! なんなの?! ふざけてないでちゃんと歩いてください!!」
駄目だ。万策尽きた。
そうこうしている間に、目的のカラオケ店に着いてしまった。
今からでもデートプランをショッピングに変更できないか提案しようとするが、伍月は俺を見上げ、
「私、さっきの映画の主題歌を練習してきたんです。日本語版の方ですけど、結構上手く歌えるようになったんですよ?」
と、いつになく歌う気満々な様子で言うので。
「……そうか、それは楽しみだな。録画してもいいか?」
「絶対にダメです。ちょっとでもカメラ向けたらスマホ叩き割りますからね」
俺の真摯なお願いは、残念ながら却下されてしまった。
というか『練習してきた』って、どれだけ今日を楽しみにしていたのだろうか。可愛すぎる。やはりこっそり録画しよう。
ということで、プラン変更を切り出せなかった俺は、彼女と共にカラオケ店へ足を踏み入れた。
密室なら本性を曝け出せるという性質のためか、伍月はカラオケが好きだった。これまでも何度かデートで行ったことがあり、毎回その美声を披露してくれている。
案内された個室に入り、ドアを閉めれば、二人きりの密室の完成だ。
さぁ、もう後には引けない。
この手持ちのプレゼントを、渡すしかない。
……がっかりさせてしまうだろうか。
結えないシュシュを贈っても、困らせるだけではないだろうか。
こんなことなら既製品のアクセサリーの方がよかったのではないか。
そんなことをくよくよと考えながら、個室のドアを閉め切った──直後。
「……ねぇ、先輩」
密室モードになった伍月が、俺の顔を見上げて、
「さっきから、何を考えているんですか?」
ぎゅっと身体を寄せながら、小悪魔な笑みを浮かべた。
どうやら悩んでいたことを見透かされていたようだ。
思えばシュシュのことを気にするあまり、彼女とのデートに集中できていなかった。
彼女を喜ばせるためのデートのはずが……これでは本末転倒だ。
俺は申し訳ない気持ちを抱えながら、覚悟を決め、鞄の中に手を入れる。
そして……
「すまない。これを渡すタイミングについて、考えていた」
用意していたプレゼントの包みを、伍月に差し出した。
「……先月のバレンタイン、本当に嬉しかった。ありがとう。これは、心ばかりのお返しだ」
伍月は驚いた表情で身体を離し、それを受け取る。
「……開けても、いいですか?」
「もちろん。ただ……先に謝っておく」
俺の言葉に、伍月は首を傾げながらも包み紙を開けていく。
そして……
中身を見た瞬間、くすりと笑った。
「……なるほど。そういうことですか」
「……すまん」
「ふふ。それで心ここにあらずだったんですね」
袋から取り出したクッキーと、シュシュを手のひらに乗せる伍月。
それを見下ろしながら、俺は言う。
「……それ、手作りなんだ」
「えっ。クッキーですか?」
「いや、シュシュの方だ」
ぽかん、と口を開き驚く伍月。
しかし、すぐに目を細め、
「……私のために、これを……ありがとうございます。すごく、嬉しいです」
と……
思わず見惚れてしまうような、柔らかな笑みを浮かべた。
そして、手の中のシュシュを愛おしそうに見下ろす。
「手作りだなんてすごいです。生地もふわふわで、色も可愛い。使うのがもったいないくらい」
「でも、それはもう……」
「『使えないから渡しても困らせるだけだろう』、って悩んでいたんですよね? もう…… 先輩って、本当に私のことが好きなんですね」
そう言うと、伍月はシュシュの輪を広げ……
頭の右上あたりの髪を手に取り、サイドテールに結び始めた。
「私、ずっと髪短かったんで、小学生の頃はよくこういう髪型にしていたんです。これならこの長さでも結べるから……ほら」
右上だけをちょんと結んだその髪型は、確かに子どものような雰囲気だった。普段なら絶対にしない髪型だろう。
しかし……
「どうですか? 先輩が作ってくれたシュシュ、似合っていますか?」
伍月は、付けている姿を見せようと……俺の贈り物を無駄にしないようにと、わざわざ結んでくれたのだ。
俺が選んだ桜色の生地は、彼女の髪色にとてもよく合っていた。その光景に、感動にも似た嬉しさが込み上げてくる。
「……うん。思った通り、よく似合っているよ。可愛い」
「でしょ? 私のレアな髪型見られるなんて、先輩役得ですね。他の人の前では絶対にしないですから」
そして。
伍月は、俺の腰に両手を回し、抱き着きながら俺を見上げる。
「……私、先輩のことが大好きなんですよ? こんな素敵なものをもらえて、喜ばないわけがないじゃないですか。だからもう、そんな申し訳なさそうな顔しないでください。髪はまた伸びるんですから」
「伍月……」
「いつか、このシュシュでポニーテールするのを見せてあげますから……また髪が伸びるまで、ずっと側にいてくださいね、先輩」
顔を近付け、にこりと笑う。
その可愛さに、いじらしさに、俺は……
どうしようもなく、キスがしたくなる。
しかし、その衝動をぐっと堪え──
彼女の頭のてっぺん、甘い香りがする亜麻色の髪に、口付けをした。
彼女の体温と匂いを感じながらゆっくり離れると、伍月はほんのり頬を染め、
「……今日こそは、唇にしてもらえると思ったのに」
と、恨めしそうな、しかしどこか嬉しそうな顔で言った。
冗談混じりなのかもしれないが、あわよくばという思いがあったのは間違いないだろう。まんまと誘われ、髪にキスしてしまったというわけだ。
誘い方が日に日に巧くなっている気がするが……単純に俺が、日増しに伍月に夢中になっているだけなのかもしれない。
だから俺は、自戒を込めて、
「
そう、自分に言い聞かせ。
健気にシュシュを結ぶ愛しい髪を、そっと撫でた。
* * * *
そうして俺たちはカラオケを存分に楽しみ、デートを無事終えた。
その翌週。
放課後。学校からの帰り道。
「むぅ……今日も風が強いですね」
吹き荒ぶ強風に目を細め、伍月が言う。
しかし、ショートボブに切り揃えた髪は大きく乱れることなく、さらさらと揺れるのみだった。
「やはり切ったからか、風が吹いてもまとまっているな。長いのもいいが、それくらい短いのも可愛いと思うぞ」
「ふん、言われなくても知っています。私はどんな髪型だって似合うんですから。また伸びてきたらすぐに切りますよ」
なんて、先日のデートとは真逆のことを言うが……
「……ぶわっ、目に砂入った! 目薬、目薬!」
と、慌ただしく鞄を漁る伍月の手が取り出したのは──
透明なジッパーケースにしまわれた、あの桜色のシュシュだった。
「伍月……それ……」
「あっ……! いや、これはその……!!」
「なるほど。そうして大事に持ち歩いているわけか。いつでも中身が眺められるよう、透明なケースに入れて」
「ちっ、違いますよ! 髪が伸びて邪魔になった時、結ぶものがあると便利だから携帯しているだけで……!!」
「ん? さっき『伸びたらすぐ切る』と言っていたが……伸ばす予定があるのか?」
「ぐぅっ……」
顔を真っ赤にし、悔しげに睨む伍月。
その眉間の皺を、やはり可愛いと思いながら、
「お前って、本当に俺のことが好きだな」
「うるさい!!!!」
ニヤリと放った俺のセリフと伍月の絶叫は、春風に乗り霞んだ空へと飛んでいった。
ヨシツネ先輩と密室弁慶ガール 〜絶対にキスがしたい彼女と絶対に回避したい彼氏の密室攻防戦〜 河津田 眞紀 @m_kawatsuta
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