3-1 春風とホワイトデー

 




「──ぶわっ」




 吹き付ける風に前髪が捲れ、伍月さつきの白いおでこが露わになる。


 放課後。学校からの帰り道。

 慌てて髪を整える彼女を見て、俺は「今日も風が強いな」と呟いた。



 三月に入り、都内は一気に春めいてきた。

 が、気温が上がる一方で、今週は風の強い日が続いていた。


 前髪を手櫛で直した直後、再び猛烈な風がびゅうと吹き、伍月は苛立ちながら髪を押さえる。



「もーっ。暖かくなったのはいいけど、春ってどうしてこう風が強いんですかね」

「この時期は南北の暖気と寒気の温度差が激しいから低気圧が発達しやすい。よって、強風が吹くというわけだ」

「へぇ。先輩もの知りですね」

「やはりジャージを穿いて正解だったな。この調子だとスカートの裾を押さえるのに手一杯で、髪を整える余裕などなかったはずだ」



 ……と、彼女の足元を一瞥する。

 制服のスカートが捲れることを危惧し、学校を出る前にジャージを穿くよう言ったのだ。

 俺の言葉に、伍月はぷいっと顔を逸らす。



「別に、スパッツ穿いてるから捲れても平気だったんですけど」

「駄目だ。例えスパッツを穿いていたとしても、伍月のスカートの中を俺以外に見られるのは我慢ならない」

「う……ていうか先輩にも見せないですからね!?」

「当たり前だ。何故なら俺は、スパッツが見えただけでも十分に煽られるからな」

「はぁ?! スパッツでって……このヘンタイ!」

「当たり前だろう。スパッツに包まれた伍月の尻を見て興奮しないわけがない。だからそうならないようジャージを穿かせたんだ」

「そんな話、真顔で堂々としないでくださいよ!!」



 頬を染めながら睨み付けてくる彼女。

 その眉に寄った皺も可愛いなと思いながら、ふと俺は、あることに気が付く。



「ところで……髪、だいぶ伸びたな」



 ふわふわと風に揺れる亜麻色の髪。

 付き合ったばかりの頃は肩に付かないくらいの長さだったのが、今ではブラウスの襟元を覆うまでに伸びていた。

 俺の指摘に、伍月は「あー」と毛先を摘む。



「切ろうと思っている内に冬が来ちゃって、そのままなんとなく伸ばしているんですよね。髪があると首元があったかいし。前髪だけは切っているんですけど」



 付き合いたての頃のショートボブも良かったが、現在のミディアムヘアも大人びた印象があって大変良い。

 しかし、髪が伸びたことで今日のような風の日は整えるのが大変になっているようだ。さらに、これからの季節は首まわりが暑いと感じるかもしれない。


 摘んだ毛先をくるくると弄ぶ伍月を眺め……


 ──これだ。


 と、俺は閃いた。

 しかしそれを悟られぬよう、「そうか」とだけ返すことにした。





 * * * *





 ──次の週末。

 部活を終え、俺はとある場所へやって来ていた。



吉武恒久よしたけつねひさ。十七歳、高二。空手部で主将やってます。宜しくお願いします」



 そう自己紹介し、礼儀正しく頭を下げるが……

 目の前にいる人々──下は大学生、上は四十代くらいだろうか、様々な年齢の女性十数名が、怪訝そうな顔で俺を見つめた。


 その内の一人、丸眼鏡をかけた女性が眉を顰め、



「あの……ここは女性向けのアクセサリーや髪飾りを作る教室で、今から作るのは髪を結ぶための『シュシュ』ですが……来る場所を間違えていたりしませんか?」



 と、俺の短髪を見ながら尋ねる。


 今、俺がいるのは、女性向けの『ハンドメイド教室』だ。

 当然、俺以外の参加者は全員女性。それらが、大きなテーブルを囲むように座っている。

 そこに一八〇センチ近くある男子高校生が来たら、まぁこういう反応にもなるだろう。

 想定の範囲内だ。だから俺は、きちんと理由を説明することにする。



「間違いありません。今日は彼女に贈るプレゼントを作りに来ました。ホワイトデーのお返しにしたいんです」



 そう。

 俺は、伍月のためのシュシュを作りに来たのだ。


 先月のバレンタインデーにチョコをもらってから、ホワイトデーのお返しはどうしようかとずっと考えていた。

 同じように菓子を贈るのも良いが、それでは芸がない。菓子に加えてもう一つ、伍月が喜びそうなものを何か添えたかった。

 しかし、アクセサリーショップや雑貨屋を回ってもいまいちピンとくるものが見つけられず……


 そこで、先日のやり取りから思いついたのだ。

 伸びた髪を結ぶためのヘアーアクセサリーを贈るのはどうか、と。


 せっかくなら、世界に一つしかない手作りのものを贈りたい。そう考え、教室を調べ予約したというわけである。



 俺の説明を聞くなり、丸眼鏡の女性──この教室の講師は手を合わせ、目を輝かせる。



「まぁ、なんて素敵! 失礼なことを聞いて申し訳なかったわ。可愛いシュシュを作って、彼女さんを喜ばせましょうね!」



 他の女性たちも微笑ましい目でこちらを見つめてくる。

 俺は深く頭を下げ、「宜しくお願いします」と、あらためて挨拶した。





 * * * *





 一週間後。

 ホワイトデー直前の休日。


 俺は、伍月をデートに誘った。

 もちろん、手作りのシュシュを渡すためである。


 ハンドメイド教室での製作は見事成功した。

 完成したのは、桜色のオーガンジー生地でふんわりと作った可愛らしいシュシュ。伍月の髪色や雰囲気にも合っていると思う。

 これに伍月の好きな紅茶フレーバーのクッキーを添え、ホワイトデーのプレゼントとして渡すことにする。


 今日のデートでは、まず伍月が観たいと言っていた映画を観に行く予定だ。そしてその後、カラオケへ向かう。密室モードな伍月にプレゼントを渡し、素直な感想を聞き出す作戦である。



 ハンドメイド教室の先生や他の受講生に応援されながら、心を込めて作ったシュシュだ。喜んでくれるといいが……



 と、少し緊張しながら待ち合わせ場所で待っていると、



「……うおっ」



 突然、後ろから何者かにタックルを仕掛けられた。

 少しよろめきはしたが、大した衝撃ではない。何故なら、仕掛けてきた相手が俺より随分と小柄だったから。


 俺にこんなことをする奴は一人しかいない。大方、久しぶりのデートが照れ臭くて体当たりしてきたのだろう。

 やれやれ、と笑みを浮かべながら、ゆっくり振り返ると……


 案の定、そこには伍月が立っていた。

 …………が。



「………………」



 その姿に、俺は絶句する。


 白のシフォンブラウスに、ハイウエストなデニムスカート。春らしいベージュのトレンチコートを羽織った、愛らしくも大人っぽい装い。

 そして……



 出会った頃のように短くカットされた、亜麻色の髪。



 麗しい。これが彼女との初対面だったとしても、やはり俺は彼女に恋をし、今度は俺から告白していただろう。


 だから俺は、



「…………好きだ」



 と、涙を流した。

 溢れる愛しさと、そして……



 …………なるほど。髪を切ったのか。

 これは……シュシュを贈る意味が完全になくなったな。



 という、焦りのこもった涙である。



「ちょっ、いきなり泣かないでくださいよ! 変な目で見られるでしょ?!」



 駅前を行き交う人々の視線を気にし、慌てる伍月。

 しかし俺は、涙を拭うことなく真っ直ぐに言う。



「すまん。髪型も服装も可愛すぎて……惚れ直してしまった」



 伍月は「なっ」と顔を染めるが、しかし満更でもない様子で、



「ふ、ふん。そろそろ暖かくなってきたので切っただけです。別に今日のためとかじゃないですからね!」



 と、ツンデレ構文の見本のようなセリフを吐く。

 そうか。今日のデートが楽しみ過ぎて、少しでも可愛くしようと美容院へ行ってきたのか。そうかそうか。好きだ。



「今日は映画を観に行く予定だったが……やはり下見に行こう」

「は? 下見ってなんの?」

「結婚式場に決まっているだろう」

「けっっ?! い、行かないですよ!!」

「なら、ハネムーンの旅券を買いに……」

「行かないですって!! 映画の前売り券買ってあるんでしょ?! 馬鹿なこと言ってないで早く行きますよ!!」



 真っ赤な顔で言い捨てると、背中を向けて歩き出す伍月。

 そのさっぱりと短くなった後ろ髪を見つめ……


 ……嗚呼、本当にどうしよう。


 と、密かに頭を抱えるのだった。


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