百合の花咲く、岸辺にて
間川 レイ
第1話
1.
ザクザクと、木立を踏みしめる音が木霊する。私とユリは、たっぷりの落ち葉の積もった山の中を、ザクザクと歩いていた。ザクザク、ガサガサ。あたりに響くのは、落葉を踏みしめる足音と、私たちの荒い息遣いのみ。私はひいひいと荒い息を吐いているユリを振り返り尋ねる。
「休憩する?」
だがユリはううん、と首を振ってこたえる。「私はまだ大丈夫」と。そっか、と私は頷くと前に向き直る。その背中に「捜索願、もう出されたかな」との言葉が投げかけられる。
「さあね」
私は、そう答えるしかない。そう、私たちは堂々とこの場にいるわけではない。私たちは全てを投げ捨ててここにいるのだ。学校も、友人も、塾も習い事も家族も、すべてを投げ捨ててここにいる。すべてはこの世界に別れを告げるために。時間的に見て、そろそろ私たちの残してきた遺書が見つかるころ合いだろう。そうなればきっと、あのお節介な両親や警察によって、大々的に捜索隊が組織されるはずだ。そうなる前に、私たちは可能な限り前に進む必要があった。
それがユリにもわかっているのだろう。不安そうな顔で「急いだほうが、いいよね……」といってくる。そうだね、と私は一つ頷くと足を速めた。
2.
涸れ川を越え小川を渡り、ずんずんと私たちはその先へと進んでいく。
「そう言えばさ、いろんなことがあったよね」
そんなことをぽつりとユリが言う。
「去年の文化祭とかさ。まさか田中にあんなに漫才の才能があるとは思ってもみなかったよ」
そう言うユリ。汗が光っているけれど、その顔はひどく懐かし気で。まるで届かぬ過去に思いをはせるように。
そうだね。汗を拭いながら私は頷く。今から死のうとしているせいか、いろんな思い出が流れ星のように現れては消えていく。そう、色んなことがあった。必死に汗水たらして声が枯れるまでまで応援した体育祭。打ち上げにはカラオケコンパに行った。必死にダンスの練習を積み重ねた文化祭。最後のポーズを決めた時に受けた万雷の拍手を今でも忘れられない。
「楽しかったなあ……」
そう言ってつう、と。涙を流すユリ。私は黙ってその涙をぬぐってやる。ついでに水筒に入った水も渡す。半分ほどを一気に飲み干すユリ。
そう、楽しかったのだ。私たちの人生は辛いことばかりではなかった。楽しいことだってあったのだ。それでも、それでも。
「辛いことも、あったよね……」
そう私はぽつりとつぶやく。黙って頷くユリ。水筒を返してくる。残りを一気に空にする。
私たちには辛いことが多すぎた。やってもやっても終わらぬ課題たち。予習復習日々の授業で一日が終わる。息を抜く間もない毎日。成績が下がれば容赦なくぶたれた。誰のおかげで学校に通えていると罵られた。
膨大な習い事。興味のない分野でも、教養のためには必要だとやめることを許されなかった。私の興味のある習い事は、低俗だとすぐさま辞めさせられた。それはあんまりだと怒って見せれば私はあなたのためを思って言っているのにと泣かれた。親を泣かすとは恩知らずな奴めと散々に殴られた。
いい大学に入り、いい就職先に入り、いい人と結婚する。それがお前の幸せだと説かれた。私には私なりの夢があるといった。子供のたわごとだなと冷笑された。そんな進路で飯が食えるものかとあざけられた。そう言う進路をとりたいなら好きにすればいい。ただし、家は一切その支援をしないと宣言された。私は、私たちは夢を諦めざるをえなかった。
私たちを取り巻く世界はとてもとても窮屈だった。あなたのためを思って、あなたのために。そんな言葉とともに雁字搦めに縛られていき、いつしか呼吸さえおぼつかなくなる。どこまでも親の敷いたレールの上の人生。親が正しいと信じたレールの上をただ黙って走っていくだけのお人形。それが、私たち。とてもとても窮屈だった。
そうはいっても、案外こんな思いにもいつしか慣れて、親の敷いたレールの上を黙って走ることを疑問に思わなくなるのかもしれない。案外、みんなもただ親の敷いたレールの上を黙って走っているだけで、そうしたことに苦痛を感じる私たちは異端なのかもしれない。
そうだとしても、この世界は私たちにとってあまりにも息苦しかった。私たちの意思はどこにあるのと叫びたかった。そう叫んだ。誰も理解してはくれなかった。周囲の大人も、祖父母も、先生だって。君の親御さんが正しいというばかり。親御さんのいう通りと、訳知り顔でいうばかり。
大人からしたらそうなのかも知れない。でも、もう、うんざりだった。やることなすこと全てに口を出され、歯向かえば罵倒や暴力が返ってくる。親の決めた規範に雁字搦めの私。私は自由になりたかった。それはユリも同じ。だから私たちは、死ぬことにしたのだ。
「この世界はとっても残酷だよね」
汗を拭いながらそうユリが嘆く。そうだね、と私は頷く。無限の可能性があるように見えていて、実はそうでもない。周りの環境や私たちの年齢でとりうる選択肢なんて限られてくる。ああ、なんて息苦しい人生。
「来世はもっと、自由だといいな」
そう言うユリの手をぎゅっと握りしめる。その汗で湿った手を。ユリもぎゅっと握りしめ返してくる。ユリの温もりが伝わってくる。私の温もりが伝わっていく。私たちは山の奥へ奥へと進んでいった。
3.
鬱蒼と絡まりあった木々を抜けた先に、その湖はあった。うっすらとはった霧の中に佇んでいる、磨き抜かれた鏡のように凪いだ、一つの湖。白鳥の親子が泳いでいく水音以外、一切の音のないとてもとても静かでひんやりとした世界。
岸辺には百合の花が咲き茂っていて、私たちのいるところまでふんわりと芳香が漂ってくる。白鳥の親子が飛んでいく。鶯の歌声がどこからか聞こえてくる。それは、とても穏やかな世界。
ここが、私たちの終着点だった。
「わあ……」
思わずユリが感嘆のため息をこぼす。私も同じ思いだった。ネットで調べた時から素敵な場所だと思っていたけれど、ここまで素敵な場所だったなんて。
荷物を降ろす。もう、ここからは必要ないから。バックをおろし汗に濡れた服をしまい、下着も含め新しい服に変える。今日のために親に内緒で買ってきた真っ白なワンピース。これが私の死に装束。鞄からザイルを取り出し、同じく着替えているだろうユリに手渡そうとして。私と同じく真っ白なワンピースに身を包んだユリが、微かに震えていることに気づいた。
「怖い?」
そう尋ねる。怖いのならやめてもいいんだよとの意を込めて。私はここで死ぬけれど、ユリも無理に付き合う必要は無いのだから。だがユリはゆるゆると首を振ると
「ちょっとだけね。でもユイちゃんと一緒なら怖くないよ」
そう言って微笑む。ありがとう、私はそう答える。その台詞を聞いてホッとしなかったと言えば嘘になるから。正直死ぬのは怖い。だが、死ぬのを辞めたところで待っているのはまたあの地獄の日々。否、一度こうして自殺を計って見せた以上、締め付けは一層厳しくなるだろう。これまで以上に、一層。そんなの耐えられない。耐えられるわけがない。絶対に再び自殺を図る自信がある。そしてその時はユリもおらず、1人寂しく死んでいくしか無いのだ。そんなのは嫌だ。そんなのには耐えられない。だったらここで死んだほうがまだましだ。
それに一人ぼっちで死ぬのは寂しいけど、ユリと一緒なら寂しくない。怖く無い。
だから私は、もう一度ユリにありがとう、といった。
いいよ、そう言って微笑むユリ。
私たちはお互いをザイルで結びつける。変に浮き上がって苦しまないように。一緒に死ねるように。あの世でもずっと一緒にいられるように。二、三度強く引っ張ってみてザイルがほどけないことを確認する。これでいい。
せっかくなので、ユリの頭に近くに生えていた百合の花を挿してやる。ユリは微笑むと、私の頭にも同じように挿してくれた。微笑みあう私たち。
そうして私たちは向き合うと。両手を握って頷きあう。これでいい。これでいいのだ。これで私たちは自由になれる。もう苦しみも無い、悲しみも無い自由な世界に旅立てるのだから。
そしてもう一度私たちは頷きあうと。
勢いよく地面を蹴って。
ドボン、と。
暗い暗い水底へと飛び込んでいった。
百合の花咲く、岸辺にて 間川 レイ @tsuyomasu0418
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