最終話 西陽

 日曜日。

 今は夏休みだから、曜日が関係するとすれば、バイトがあるか無いかだけで、あとは、毎日、同じようなことの繰り返しで、特に、何ら変化があるわけではなかった。

 それでも、しめじ君は、なんらかの変化を付けるために、お昼過ぎに近くのお弁当屋さんで唐揚げ弁当を買って荒川の土手に上がってみた。


 土手の傾斜の草っ原に腰を下ろして発泡スチロールの弁当の蓋を開けると、いつもと同じように唐揚げが4個に、お愛想程度の千切りキャベツとピンク色のおしんこがあった。

 そういえば、さっき、弁当の出来上がりを待っていたら、小学生の男の子が「店に出ている写真よりもおかずの盛りが少ないとお家の人が言って来いって言われたんです」とお店の人に言っていた。「写真はあくまで見本ですから」とお店の人は答えていたが、果たして、子どものお家の人はそれで納得するだろうか、としめじ君は思った。

 それより、なにより、そんなことで小学生の子どもをもう一度弁当屋に使いに出す親ってどんな親なんだろう、と怒りみたいな感情が芽生えたの感じつつ、しめじ君は、いつもよりもゆっくり唐揚げ弁当を食べた。



 唐揚げ弁当を食べ終わっても、土手の下のグラウンドで行われている少年野球は続いていた。遠くから見ているから試合の形勢はまったくわからなかったが「あのピッチャーの球だったら俺にも打てそうだな」としめじ君は思った。

 後々の中学校県大会で優勝した、と聞いた学校と練習試合をしたことがあった。顧問のコジタケには珍しく、新潟市の学校との試合を組んでしめじ君たち部員を国鉄に乗せて遠征させた。

 その学校のピッチャーは、中学生とは思えない大きな体格の左ピッチャーで、大げさではなく、投げたと思ったらキャッチャーミットに収まる音がするほど速いボールを投げた。

 実際にバッターボックスに立つとピッチャーが投げた瞬間からシューっと大きな音がしたかと思うと、ズバンとキャッチャーミットの音がして「ストライク!」という審判の声が後ろでした。


「速いボールを壁に投げるとボールは速く戻ってくる。それと同じだ。速いボールは打てば速く大きい打球で飛ばすことができる」


 コジタケは試合前の円陣でそう選手を鼓舞し、しめじ君たち選手はオーッと大きな返事はしたが、それは“打てば”という大前提あってこそのことで、そんな速いボールだと、まずは当たらないのである。

(スコアは忘れたけど、おそらく、自チームは0点で抑えられて負けたはず)

 そんなことをしめじ君はグラウンドの試合を観ながら思い出していた。


 右横では、ずっと、一人の女子がサキソフォンを吹く練習をしていた。そして、後ろの土手の一番高いところでは、この暑さの中、右に左にひっきりなしにランナーたちが走っていた。


(なのに、俺には、なんにもないなあ。せいぜい、この土手で弁当を食べているだけの日曜日だ)


 しめじ君は、空になった弁当をビニル袋に入れて縛って土手を後にした。


 アパートに戻ったしめじ君は、それがいつもやっている儀式のように扇風機の風力強のボタンを押し、リモコンの赤いところを押してテレビを点けた。テレビは、ゴルフの中継をやっていた。リモコンのチャンネルボタンを押すと、今度は、日本国内の旅番組で、よく見る芸能人がクレープを頬張っていた。さらにリモコンボタンを押すと、プロ野球中継だった。

 しめじ君は、テレビを消して、久しぶりにラジオの電源を入れて煙草に火を点けた。

 ラジオでは、ミュージシャンの誰かが音楽業界のことを語っていたが、そのうち、そのミュージシャンの曲が流れ始めた。


(結局、網戸を買わなかったけど、こうやって、窓を開けっぱなしにしても蚊なんて入ってこないし、夜になっても、灯りを求めて蛾とか蝉も入ってなんかこなかったからこれはこれでよかったんだな)


 西向きの大きな窓の遠く向こうに見える千代田線と常磐線の高架をぼんやり眺めながらしめじ君はそう思った。


(しかし、この暑さ。どうする? まだ焼けていない体の表面おもてめんでも焼けるかな)


 しめじ君は、扇風機の角度を下向きににしてから、Tシャツを脱いで短パン一丁の姿になって西の窓から射し込む太陽光が当たる畳に仰向けになった。

 ラジオから流れてくる曲は、いかにも夏の海岸で聴きたくなるような曲が流れていた。


 寝転んで間もなく、しめじ君の額に汗がにじみ始めた。


(そういや、スーパーで買ったオレンジジュース、まだ残ってたっけか)


 しめじ君は、赤い色をした冷蔵庫を開けて、スーパーの名前が印字されている1リットル入りの紙パックを出してコップに注いだ。


(あの冷蔵庫の中身だと、今夜の夕飯は、チャルメラに卵を落として、ご飯とだな)


(それとも、ポッチョンカレーの大盛を買ってきて、やっぱり、卵を落として食うか)


(ゆいちゃんにシュガーボウルで振られて、白い犬もとっくに居なくなって、すっかり独りになって、こうやってアパートの部屋に射し込む陽の光で身体を焼きながら貧しい夕飯のメニューを考える二十歳の男って東京にどれくらい居るんだろう)


 間もなく、風力強の扇風機がういんういんという音を出し始めたから、しめじ君は足の指を伸ばして切のボタンを押してから残りコップ半分になったオレンジジュースを一気に飲み干した。












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夏のお話をいたしましょう 橙 suzukake @daidai1112

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