鮭嵐

もちもち

鮭嵐

「嵐が来る」


 いつもの深夜レジ。守山は鮭にぎりを一つ置きながらそう言って笑いかけてきた。

 はあ、と俺は曖昧に頷き、パッケージのバーコードを読み込んだ。ピッと軽快な音を立ててレジスターのモニターに151円という実に中途半端な数値が置かれる。

 守山が妙に楽しそうな顔をしているので、俺も昔は嵐が来るのが少し楽しみだったなと思い出した。轟々と鳴る風とバタバタと強弱を付けて叩きつける雨音。親に外には出るなと言われるのを素直に守っていた俺は、吹きすさぶ外界の様子に思いを馳せたものだ。


 ところが近年は、そんなちょっとした好奇心を吹き飛ばすほどの災害レベルである。家の中にあっても命の危機を感じてしまう。一人暮らしを始めてから尚更だ。

 季節は晩夏に差し掛かっている。今朝のニュースで列島をなぞるように通過していく渦を見たような気がした。

 守山も同じく一人暮らしであったが、しかし今の彼の顔には、俺と同じ不安は微塵も見られない。


「気をつけろよ、お前、川の様子を見に行くとかフラグ立てかねない気がする」

「さすがに」


 親切に俺が警告したのに、守山は肩を竦めて苦笑いである。

 深夜のコンビニに、わざわざそれだけを話にやってくるような男だ。川の一つや二つくらいホイホイと見に行きそうだろう。


「鮭が、嵐に乗ってやってくる」

「は?」


 201円をトレイに載せて、守山は重々しげに告げた。まるで鹿の背に乗って神様がやってくるとか、そんな空気だ。

 50円をトレイに返したが、守山はそれをそのまま募金箱へ入れてしまった。そうして、袋に詰める前のおにぎりを手に取り、その場で開封してしまう。

 彼は左利きのようで、パッケージを剥ぎ取る順番の二番目と三番目が逆転していた。それでは綺麗に剥がれず海苔がちゃんと巻かれないのだが…… 守山は特に気にせず自分で形を整えて食んだ。


「母川回帰」


 バリッと乾いた音が鳴る。もぐもぐと守山は元気よくおにぎりを頬張るので、少しの間、彼が来る前の沈黙に似た空気が俺との間に流れた。

 最初のひとくちを飲み下すと、守山は欠けた箇所を確認し、俺の方へ向ける。オレンジ色の鮭の身が覗いていた。


「鮭って、生まれた川の匂いを辿って戻ってくるんだってさ。

 川の匂いってなんか不思議だよな、どんな匂いなんだろう」

「…… 水の匂いなんじゃないか」

「松島は素直でいいなあ」


 はは、と笑った守山の口元に海苔が付いていた。言ってやろうかと思ったのだが、明確に馬鹿にされたらしいので黙ってやった。深夜だ。別に誰に見られることもないだろう、俺以外には。


「川の匂いと台風と、どんな関係があるんだよ」

「台風というか、まとまった雨というか」


 守山は俺に鮭の身を見せたいがためだけにおにぎりを頬張っていたようだ。切り出してすぐに残りを食べてしまった。


「川の水量が増えて海に流れ込む量が増えると、川の匂いがそれだけ海中に拡散するから。

 鮭が匂いを見つけやすいんだそうだ」

「…… ふうん」


 というリアクションしか出てこない。それ以上の興味がどうにも湧いてこないのである。

 だが、守山にはこの反応で正解だった。にこにこと彼は笑って話を続けた。


「松島は、生まれはどこ。地元はここかい」

「いや。新幹線で二時間くらい離れる」

「随分遠かったんだな」


 へえ、と守山は驚いていた。そういえば、彼に自分の身の回りのことをあまり話したことが無かったかもしれない。

 お前は、と返そうとして、先に守山が口を開いていた。


「故郷の風の匂いは覚えてるかい」


 その言葉に、ふと思い浮かんだのは、自分の部屋だった。家を出る間際の適度に片付けられ、なんだか自分から切り離されてしまったような実家の部屋。

 光景ばかりが目に浮かんでいる。そこに匂いはない。

 俺の様子を見て取ったらしい守山が、はは、と笑った。苦笑いだった。


「俺たち、ちょっと故郷に戻るのが難しいかもしれないな」


 嵐がやってきても、かき混ぜられた冷たい海水の中に、ぽつんと取り残されてしまった俺と守山の姿が思い浮かんだ。


 帰れないのは残念だが、そこにいたのが一人ではなくて良かったなと、思っていた。

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鮭嵐 もちもち @tico_tico

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