毒キノコのパスタ(前編)

 外ではザアザアと強い雨音が響いていた。


 松美家まつみや琉泉るせんは寝室で起床した。時間は午前7時を過ぎた頃。外は天気が悪く、室内の気圧が低いうえに湿度も高い。お世辞にも目覚めの良い朝ではなかった。琉泉は身体を起こし、ベッドの上で簡単なストレッチをする。今日は休日だった。普段なら少し遠くへ行って食事を楽しむ彼女であったが、この悪天候では流石に外出は気に乗らなかった。


 ならば、やることは一つ。自宅で料理をすることだ。


 琉泉は寝間着から室内着に着替えると、1階のキッチンへと向かう。今日のメニューはまだ考えていないが、材料は既に決まっていた。冷凍庫を開け、多種多様なキノコが入ったジップロックを取り出す。これらは市販で買ったものではない。都心から3時間はかかる、とある山で収穫し、洗浄後に保存していたものだった。


 キノコには食用に適したものもあれば、人間にとって有害なものもある。見た目だけでは毒の有無がわからない上に、有毒のものと無毒のものの形状が似ていることもあるため、キノコに詳しくても見た目だけで判断するのは推奨されない。勿論、琉泉も予め毒があると分かっている種類に関しては採取はしていない。しかし、彼女がキノコ狩りで興味を見出したのは、キノコだった。過去の先人たちによる犠牲もあってキノコの研究は進んでいる現在においても、食べるまでは毒の有無が分からないキノコが多い。キノコ毒についても、軽いもので食中毒、最悪のものでは死に至るケースもある。

 それでも、彼女の食欲と好奇心を抑制することはなかった。死に慣れている琉泉からすると即死性の高い毒よりも、食中毒で中途半端に苦痛が続くことの方が脅威であった。『試食』の際にはを常に用意しているのもそのためだった。


 今日の『試食』に選んだのは、先日のキノコ狩りで見つけた、見覚えのない種類のものだった。年季の入った樹木の傍で、土の中から飛び出るように生えていたのを採取したのだ。土筆に近い形状で、肌色の柄は琉泉の親指より太く、先端には柄より一回り大きい傘が付いている。松茸と色合いこそにているが、その仲間と呼ぶには細く長いため違うだろう。似ているキノコこそ複数該当はするが、その確信が得られるほどの類似性はなかった。ハッキリとした種類がわからなかったからこそ、琉泉はキノコ狩りの際にこれを採取したのである。傍から見れば不用心にも程があることをしている自覚は彼女にもあったが、未知の味の誘惑が勝つのは珍しいことではなかった。


「さて、どうやって頂けばいいかしら?」


 キノコと一括りしても、それに適した食べ方は多種多様だ。琉泉はとりあえず卓上網焼き機の用意をする。遠赤外線で炉端焼きができる代物だ。キノコを2本ほど網に乗せて、焦がさないよう向きを変えつつ数分間炙る。柄に軽く焦げ目がついた辺りで、皿に乗せて熱を冷まし、まずは一本口にする。何も味をつけていない素のキノコの味だ。歯ごたえはあるものの、強い力を加えなくても裂ける程度の硬さだ。味にクセはないものの、キノコ類特有の旨味を嚙むたびに感じることが出来る。味付けをしなくても食べ続けられる程度には飽きが来ないなと琉泉は感じた。


「これは、中々に美味ですわね」


 琉泉はメモ帳を取り出すと、自分が感じた食感、味わいなどを書き込む。こういうがあるから、この危険な『試食』を辞められないのだ。

 素の味について一通りメモをしたあと、別の味に挑戦してみたくなった。続いて小皿に醤油を垂らすと、2本目のキノコをそれに軽くつけ、そして口へと運ぶ。やはりだ。醤油の味わいとキノコの旨味の相性がいい。類似しているものだと、エリンギに近いだろうか。

 もしそうならば……2本目を食べ終え、メモに記入し終えた琉泉は、残り5本程のキノコを全て取り出すと共に、冷蔵庫から複数の食材を用意する。バター、ベーコン、薬味ネギ、玉葱がキッチンに並べられ、棚からは乾燥パスタを手に取った。何を作るのかを既に決めた琉泉は、水を入れた鍋を沸騰させると同時に食材達を一口大に切り始める。コンロは3つあるため、鍋を沸騰させると同時にフライパンを加熱させることが可能だ。中の水が沸騰した鍋へと乾燥パスタを入れてタイマーをセットする。それと同時に、十分熱したフライパンにバターを投入し、切り分けた食材達を炒める。バターによって焦がれたベーコン、玉葱、そしてキノコの匂いがキッチンに漂う。十分加熱された食材を一旦皿によそうタイミングでタイマーが鳴った。シンクにステンレスのザルを設置し、ゆであがった麺の水気を切る。最後に、フライパンへ麺を投入し、加熱済みの具材と和える。そして出来上がったのは、バターと醤油ベースの和風パスタだった。


「さて、早速頂きましょうか」


 フォークで一口分のパスタを捻じり寄せ、口に入れる。咀嚼する度に


 美味だ。口には出さず、あくまで心の中でそう呟く。


 パスタを味わいつつ、早くも彼女は後の予定を考えていた。『試食』予定のキノコならまだ他にもあるが、流石に朝食の直後だ、一服置いて起きたいところだった。調理にもっと手間をかけてもいいだろう。趣向を変えて天婦羅にするのはどうだろうか。どうせこの雨で外にはいかないのだ。時間ならたっぷりある。

 スマートフォンが鳴ったのはその時だった。画面には『南須原なすはら』と表示されている。キノコ狩り場がある山の地主だ。通話に出ると、南須原の声が耳に響いた。


「あ、松美家さんですか朝早くすみません今大丈夫ですか」

「あらあら、これは。おはようございます、南須原さん」

「休日に申し訳ありませんちょっと連絡しないといけないことができてしまいまして」


 電話越しに南須原の荒い息遣いが聞こえてくる。琉泉の記憶が正しければ、普段の彼はここまで落ち着きのない人物ではなかったはずだ。


「松美家さん実はちょっと大変なことになってしまったんですよ……」

「大変なこと、ですか?」

「うちの山、あのキノコ狩り場で、死体が見つかったんですよ!」


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「死体ですか!?」


 唐突に物騒なワードが彼女の口から飛び出たことで、安城あんじょう歩夢あゆむは堪らず口を挿む。


 安城と琉泉がいるのは、『スタァライト』編集部のあるビルから徒歩数分程度の場所にある、雰囲気の洒落たレストランだった。洋食ランチが格別だからと打合せの場に琉泉が指定をしたのだ。注文は既に済んでおり、食事が届くまでの時間つぶしとしてさっきまで琉泉は自分の昨日の出来事を話していたのだった。


「死体が発見されたことと、松美家さんが食べたそのキノコに何か関係があるんですか?」

「ああ、あのキノコが生えていた場所が問題でして、まあ、不謹慎な話なのですが……」

「不謹慎? ここで言えないような?」


 安城は辺りを見渡す。平日の昼にも関わらず既に満席となっており、人々が食事を楽しんでいるのが目に入る。これだけの人がいるが、真っ昼間からキノコと人の死体の話で盛り上がってるのは自分達だけだろう。


「ええ。何故なら、あのキノコが生えていた場所から、その死体が発見されたのですから」

「はあ?」


 安城は思わず声を上げ、直ぐに自分の様子を見繕う。幸いにも、安城達を睨みつけているような人物は見当たらなかった。


「わたくしがキノコを採集する際に地面を掘ったのがきっかけで、その付近の地盤が弱くなっていた。それで、散歩途中のお犬さんが死体があることに気が付いてしまった。そういう話と聞いていますわ。安城さんはキノコ狩りの仕方はご存じで? 地面から生えているタイプのキノコを深く掘ってしまうと、キノコの本体である菌糸を傷つけてしまいますの。なので、なるべく柄の根本までを掘るようにしないといけないのですわ。深堀りしてなかったからか、わたくし、全く気が付かなくて……」

「えっとちょっと待ってくださいよ」


 安城は琉泉の説明を思わず遮る。


「それってもしかしてですが……そのキノコが生えていた根本にあったのが死体ってことですか?それだとまるで」

「まるで、、そういうことですわ」

「ですが、記事を見たところそのようなことは書いていませんでしたが」

「でしょうね。死体は既に白骨化していたらしくて、偶然その場にキノコが発生していただけじゃないか? というのが現地の警察の認識らしいですわ」

「まあ、有り得ない話ですからねえ……死体からキノコが生えるなんて」

「いえ? 生物の死体からキノコが生えること、それ自体は珍しいことではありませんわ」


 琉泉は一旦お冷を口にして、喉を潤す。


「安城さん、『冬虫夏草』というのはご存知ですか?」

「なんですか、それ」

「虫に寄生して殺し、死体からの栄養で成長をするキノコですわ。チベットのものは漢方には使われますが、日本のものは残念ながら薬用どころか食用にも不向きですわね」

「それじゃあ、今回松美家さんが食べたのは、『冬虫夏草』ならぬ、『冬夏草』ってことになっちゃいますね。いや、哺乳類、それも人の死体に寄生するキノコなんて聞いたことないですが」

「はい。わたくしも初耳ですわ。まあ、あのキノコが死体から生えていたという証拠はありませんからね」


 それよりも……と琉泉はバッグからファイルを取り出すと、安城に手渡す。


「あれ? これは……」

「はい、既に次回の記事用のレシピの方は完成させましたわ。わたくし、これからそのキノコ狩り場へ行って、まだあのキノコが残っていないか確かめてきますわ」

「なんでですか?!」

「生憎、採取したキノコは全て食べてしまいましたから……もし新種のキノコでしたら、あの付近にまだあるかもしれないじゃないですか」


 安心してくださいませ、と琉泉は続ける。


「現地にもノートパソコンは持っていきますので、もし記事の直しがあればすぐに連絡をしてくださいませ」

「キノコのために行くんですかあ? ここから遠いんですよね」


 例のキノコ狩り場は都心から電車等使っても4時間程度はかかる場所にあるはずである。


「でも死体がみつかったんですよね。警察が現場検証しているからキノコ狩りどころじゃないのでは? それなのに行くなんて、どうして……」


 その時、レストランのウェイターがようやくランチを持ってきた。ハンバーグとサラダが1枚の大皿に乗っているものだ。琉泉も安城も同じものを注文していた。


「警察が他の場所まで調査する前に行く必要があるんですよ」


 自分の目の前に食事を配膳されて、琉泉はナイフとフォークを手に取る。


「だって嫌じゃないですか。もう二度と、あの味わいができないなんて」


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 琉泉が宿についたのは、その日の夕方過ぎだった。都心からは電車とバスを乗り継ぐことで来れる場所にある。ここから徒歩10分程度の場所に、件のキノコ狩り場があるため、以前にも琉泉がこの宿で宿泊をしていた。


「ごめんくださいませ」


 玄関に入り、挨拶をする。が、従業員は一行に迎えに来ない。前回は愛想のいい女将が出迎えてくれたのだが、今日は違うようだった。


「あの、すみません、誰かいらっしゃらないかしら」


 再度声をかけるが、応答がない。仕方なく、琉泉は宿へと入っていく。今日が営業日なのは前日に予約したときに確認済みだ。それだけじゃない。宿内が明らかに静かすぎた。今日は平日で宿泊客がいない可能性も考えたが、それでも従業員はいるはずなのに、生活音すら聞こえない。

 不気味だ。そうは思うものの、ここでただ立っているわけにもいかなかった。琉泉は土足から室内用スリッパへと履き替えると、宿の中を探索する。玄関のすぐそばには確か従業員用の休憩室があったはずだ。琉泉が入った事こそないが以前女将がそこで休憩していたのを目撃したことがある。扉を見つける、ノックをする。やはりというか、返答がない。ここにはいないのかと彼女は思ったが、念のためにとドアノブを引いた。


「あら……これは、一体……」


 彼女の目に飛び込んできたのは、椅子や簡易ベッドがあるだけの殺風景な室内だ。そのベッドの上に女将はいた。寝ているわけではないとすぐに気が付いたのは簡単な話で、彼女は目を開けて天井を見ていたからだ。生気のない虚ろな目と無表情に口を開けているだけの顔はどうみても生者のそれではない。

 よく見れば、喉から真っ赤な血が流れ垂れており、ベッドの真下には血に濡れた包丁が落ちていた。


 間違いない、死んでいる。


「まずは警察に電話を……」


 琉泉は懐からスマートフォンを出し、110番を押そうとした。そのときであった。


 ゴッという鈍い音がすると共に、琉泉の後頭部に強烈な痛みが迸った。なにか硬いもので殴られた。そう気が付くよりも先に琉泉はその場で倒れ込んだ。強い痛みで意識がかすれていくのを琉泉は感じた。


 誰が、一体……


 琉泉はなんとか顔だけを後ろに向ける。


「貴方は……なんで……?」


 そこに立っていたのは、見知っている顔の人物だった。大き目のスコップを持っている、中年の男。琉泉が知っている彼は常に笑顔で人懐っこい印象だったが、今の彼は冷たい無表情と言っていい顔をしていた。本当に同じ男なのか最初分からなかったレベルだ。


 南須原。


 苗字しか覚えていないが、何度も顔を合わせ、それなりに親しくしていたはずの相手だった。その相手が、何故?

 その答えが出るよりも先に、南須原は再度琉泉へとスコップを振り下ろした。

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Mの食卓~~The Mounsterous Dinner~~ 笛座一 @fetherwan

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