不幸せのタルト(後編)

 酷い頭痛の中、松美家まつみや琉泉るせんは目を覚ました。机の上には、食べかけのタルトと飲みかけで冷えた紅茶があるのみだった。

 スマートフォンで時間を確認する。丁度午後9時だった。約1時間ほど自分が眠っていたことを彼女は理解した。


「否、違う……わたくしは、タルトを食べていた。その途中に、急に痛みが……」


 そう呟き、自分の首元に手を当てる。そうだ、あのときに『チクリ』と何かが刺さる痛みがしたのだ。そして、自分は意識を失ったのだ。

 琉泉は洗面台へと向かい、鏡で自分の首筋を見る。薄っすらとではあるが、人差し指の関節程度の距離があいた二つの小さな穴があった。まるで何かの生物に噛みつかれたかのようだ。その噛み跡も、徐々にふさがりつつある。琉泉ののせいだ。怪我をしても自動的に治癒をしてしまう。気が付くのがもう少し遅かったら、自分が噛み付かれたことにすら、彼女は気が付かなかっただろう。

 何故自分の首筋にそんな噛み跡がついたのかはわからない。だが、この状況を鑑みて、琉泉は一つの結論を見出した。


「まさか、わたくし、また死んでしまったのかしら?」


 松美家琉泉はの身体だ。だが、死んだ瞬間に『死』を確信できなければ、彼女にとっては『失神』と大差がないのだ。以前だって、ひったくりに遭った直後に転倒したとき、その犯人に指摘されるまで転んで意識を失っていたと勘違いしていた程だ。

 自分の身に何が起きたのかは分からない。だが、少ない材料でも推測できることはあった。


「『不幸せのタルト』でしたか……まさか、他の人も同じように?」


 SNSで騒がれていた内容を思い出す。事故死、心不全など、彼らに降りかかった『不幸』には統一性はないと思っていた。だが、琉泉の身に起きた様な『ナニカ』に噛み付かれた結果であるならばどうだろうか? 車の運転中に死亡した場合、それは傍から見たら事故死になるだろう。大病の気がなかった人が急死したら、原因がわからない場合、心不全を疑われるだろう。事件性がなければ司法解剖だってされることだってないのだから。

 では、彼ら、そして琉泉の本当の死因はなんだったのだろうか?


「噛み跡に即死となると、毒、かしら?」


 問題は、それが『幸せのタルト』とどう関係があるかだ。わざわざ客を殺すためにタルトを作っているとも考えにくかった。琉泉は閑古鳥が鳴いていた店内を思い出す。『不幸』が起きていることは、少なくとも店側にメリットがあるように見えない。そもそも、タルトを購入した客だけを襲う『ナニカ』がどう『幸せのタルト』と関係があるのか、それすら琉泉にはわからないことであった。


『幸せのタルト』の店自体になにか問題があるのか? それとも、タルトを作る過程で問題があるのか?


 そこまで思考を張り巡らして、琉泉は、考えるのを一旦辞めた。


「そんなことより、今はこれを片付けないといけませんわ」


 食べかけだったタルトに琉泉は目をやった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 安城歩夢は出社早々、富増編集長から呼び出しをくらった。


「安城くん、これ見てよ」


 富増はスマホを安城に見せる。見覚えがあるSNSアカウントが見えた。


「あ、松美家さんのアカウントじゃないですか。これがどうしたんですか?」

「炎上、してるみたいなの」


 炎上? そう思って該当の投稿を見る。


『今日のデザートにと、気になっていた『幸せのタルト』を買いに行きましたわ。#幸せのタルト』


 投稿には、ブルーベリーが散りばめられたタルトの写真が添付されていた。


 琉泉が『不幸せのタルト』という風評被害を受けているタルトに興味を持っていたことを思い出した。この投稿自体にはおかしな点は見受けられなかったが、問題は、どうやらこれ以降琉泉の投稿がないことにあるらしい。コメントや反応の数も普段の数倍はあるが、これも『不幸せのタルト』のせいだろうか。コメント欄は琉泉の安否を心配するものが大半だが、その他に『不幸せのタルト』のジンクスが発動したとはしゃいでいるもの、その他『不幸せのタルト』をネタにすること自体を批判する内容のものまで多種多様だ。今回、松美家琉泉という著名人が『不幸せのタルト』を買ったことで、多くの人の目についてしまった故の状況だろう。


「昨日の打ち合わせが終わった後に買いに行くって言っていましたね、松美家さん。『不幸せのタルト』っていうのに興味があるみたいで」

「知ってたらなんで止めないんだよ! そんな変な噂がたってる店に松美家さんみたいな有名人が行くのなんて、自分から油被って火遊びしているようなもんじゃないか!」

「その時は僕も『不幸せのタルト』ってよくわかってなかったんですよ。調べたらかなり悪質な風評被害受けてるお店のようですね」

「俺も調べたけども、こんなの真に受けるわけじゃないけどさあ……松美家さん、生きてるよね?」

「え? 流石に『不幸せのタルト』ってデタラメじゃあ」


 そもそも、普段の琉泉は毎回の食事をSNSに投稿しているわけでもない。だが、最新の投稿が『幸せのタルト』だったことで、投稿がなくなったと思い込んで不謹慎な想像をする輩が出たのだろう。


「松美家さんの連絡先知ってるでしょ? ちょっと生存確認してきてよ。ついでに、SNSのことで釘も刺しておいて」

「は、はあ……」


 自席に座ると、早速琉泉の持つスマートフォンへ連絡をとる。プルルル、プルルルと着信音こそすれど、直ぐに応答がなかった。まさか、本当に死んでいるんじゃ? そんな不安が過ぎった矢先に、ようやく彼女が出た。発信から30秒程経ってのことだった。


「はい、松美家ですわ」

「『スタァライト』編集部安城です」

「あら、レシピならまだ完成はしていませんわ?」

「そのことじゃなくて……SNSのことなんですけど」

「え?」


 どうやら琉泉は、自分の投稿した『呟き』の状況を把握してすらいないようだった。


「今確認しましたわ。皆さんにご心配をおかけしてしまったようで」

「言われるまで気が付かなかったんですか?」

「ごめんなさい、普段は人からの反応ってあまり気にしていませんの。通知もオフにしていますし」

「松美家さんのSNS運用をこちらが管理するわけじゃありませんけど、気を付けてくださいね」


 それと同時に、琉泉が声の音量を抑えて話していることに安城は気がついた。


「ところで、今どこにいるんですか? さっきから声が若干聞こえにくいのですけど」

「近所の図書館にいますわ」

「図書館!? どうしてそんなところに」

「ちょっと調べたいことがありまして、ね」

「もしかして、沖縄の風土料理についてですか?」

「あーそれもあるのですけども……」

「けども?」

「安城さん、ちょっと調べ事を手伝ってもらうのは可能かしら? 今から指定する場所のことを調べて頂きたいのですが」

「僕がですか?」


 唐突な琉泉からの依頼に安城は思わず困惑の声を出す。厄介事はごめんだぞ……琉泉の気を悪くしないような断りの言葉を繕っていた間に、目の前にあるパソコンがメールを受信した。差出人は、今丁度通話をしている琉泉からだ。安城に拒否権は無い様だった。渋々メールの内容を確認する。そこに記載されていたのは、『幸せのタルト』という店名とその住所だった。


「今送りました地域……否、その店舗のを調べて欲しいのですわ。『幸せのタルト』以前にどんなお店が、否、それだけじゃなくてそこにのかを調べてもらえたら幸いですわ。わたくしも図書館で資料を漁っていますが、流石に限界はありましてねえ」

「『幸せのタルト』のことをなんで調べてるんですか? 変な風評被害を受けているのは事実ですけど、あんなの真に受けないほうがいいと思いますよ」

「『幸せのタルト』は、普通のタルト屋さんでしたわ」

「普通のタルト屋?」

「ええ……普通のタルトを作り、売る、只のタルト屋さん……それなのに、あんな酷い噂が流れるなんて、なにか原因があると思いませんか?」

「原因……ですか」


 琉泉はまさか、『不幸せのタルト』の噂自体は実在すると考えているのだろうか? 『不幸せのタルト』については、一部の不幸な投稿を誇張しているだけの、SNSでよくある悪質な悪戯と安城は考えていた。だが、琉泉はそうではないらしい。本気で『不幸せのタルト』という厄災があると思い込んでいる。こうやって安城と会話をしている以上、彼女自身が『不幸せのタルト』など嘘である証人に等しいはずなのに、だ。


「安城さん。わたくしとの仕事は初めてですわね?」

「そうですね」

「それなら、わたくしの郷土料理に対するスタンスを説明しなければなりませんね。料理というものはの影響を大きく受けるものなのですよ。『食』はその土地の環境だけでなく、風土によって作り方、味付けが変わるわけですわ。近頃はチェーン店が増えてしまったことで、感じることは少ないかもしれませんが」


 そして、土地に影響されることで料理に『個性』が生まれるのですわ。琉泉はそう言い切った。


「『スタァライト』で記事を書く時は、その場所の歴史や風土、文化を調べるようにしていますの。何故その料理が生まれたのか、何故その味つけになったのか、そういう理由を知っておかないと、離れた土地で『再現』することができませんからね」

「郷土料理についてはわかりますが、松美家さんが調べているのはタルト屋のことですよね? 地域の文化と洋菓子が関係あるとは僕には思えないのですが」

「いえ、『幸せのタルト』も無関係ではありませんわ。ただのタルトを作っているだけなら、他の店と違う『不幸せ』なんて起こりえません。あのお店のタルトだけ『不幸せ』になるなにかがあるとしたら、それは作り手ですら把握していないが悪影響を与えている、そう思いませんか?」

「そういう超常的な話は僕には理解できないですね……」


 思わず琉泉の論を否定する言葉を吐いてしまったが、安城さんが理解する必要はありませんわ、と気にもしてない反応を彼女は返した。


「あくまで、わたくしが気になっているから調べて欲しいんです。それだけの話ですわ。」


 では、お願いしますわね。そう言って琉泉は通話を切った。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 開店間際になっても塚木は安堵が出来ない状態だった。タルトの仕込みの最中であるにも関わらず、時間が空けばスマートフォンを片手に画面を直視してしまっていた。そこに映っているのは、『松美家琉泉』のSNSアカウントだ。

 現在、彼女の最後の投稿は『幸せのタルト』での購入報告で止まっている。それが原因だろうか、投稿に対してのコメント数が時間を置くごとに増大している。勿論、『不幸せのタルト』の噂のせいだ。彼女が午後になっても更新をしていないせいで、コメント欄がもはやお通夜のような状態になっている。既に松美家琉泉が亡くなったかのように発言してるアカウントまである。

 まさか、松美家琉泉は死んだのか?不謹慎な想像ばかり頭に浮かぶ。だが、少なくともニュースで彼女の死が報道されてる様子はない。バイトの須々木は知らなかったが、松美家琉泉と言ったら『美食家』としてテレビのグルメ番組に出演しているレベルの著名人だ。彼女の身になにかあったらマスコミが騒がないはずがない。そうに決まっている、と塚木は自分に言い聞かせる。昨日のうちは著名人がハッシュタグ投稿で宣伝をしてくれたことで汚名返上できると浮かれていたが、まさかこのような事態になるとは思ってもいなかった。


「頼みます!これ以上はもう厳しいんです!お願いします!」


 神棚に果物の盛り合わせを載せ、松美家琉泉の生存を祈って塚木は必死に頭を下げる。こうなっては、最早頼れるものが神以外にいないからだ。


「ふむ……困った時の神頼みとは言いますが、そのやり方はちょっと間違っているのではないかしら?」


 女性の声がした。開店前だぞ、なに勝手に入ってきているんだと思い振り返る。そこいたのは、丁度塚木が今もっとも安否を確認したかった女性だった。


 松美家琉泉だ。


「ま、松美家琉泉さん!無事だったんですか!」

「ふふ、皆さん同じことを言いますわね。ちょっとSNSを更新していないだけで死んだと思われるのは心外ですわ」

「申し訳ないです……」


 ところで、と塚木は問う。


「まだ開店前なのですけども、松美家琉泉さん程の人がどうしてうちのお店に? 昨日買っていただいたタルトに何か問題でもありましたか?」

「タルトは美味しく頂きましたわ。それとは別に、ちょっと気になった事がありまして、ね」


 琉泉は店内に設置してある神棚を指差す。


「昨日チラリとしか見えなかったのですけども、神棚に『果物』を供えるのは初めて見ましたわね。本来であれば供え物には『米』や『塩』を使うはずですわね。勿論、果実を供える場合もありますが、それは特別な日に限られるはずですわ。やり方、間違っていましてよ?」

「お、お詳しいんですね……」


 何故琉泉が神棚のことに触れたのかがわからないまま、塚木は自家製の神棚を見つめる。


「お恥ずかしい話ですが、これは自己流のアレンジを加えたものなんですよね。あそこに備えられている果実に神様からの『幸運パワー』がもらえたらいいなって思って。うちの店名、『幸福のタルト』じゃないですか。だから、全てのタルトは無理でも、一部のタルトには神様からのおすそ分けをできたらいいなって思いましてね」

「ああ、わかりましたわ! あの神棚に捧げられた果物をんですね!」


 琉泉は小学生女児のようにはしゃいだ声で言う。


「『幸せのタルト』の正体は、神棚に捧げられたフルーツを使ったもの。それがこのお店の『個性』というわけですね!」

「そういうことになりますねえ」

「そうなると、ちょっと問題がありますわ」

「え?」


 琉泉は頬に手を当て、神棚へ目線を向けている。


「この神棚……具体的にのでしょうか?」

「誰を?」

「神棚というのは本来、地域を守る『土地の神』を祀る、小さな神社と言えばいいでしょうか。そのため、神棚を構成するものもある程度決まっているはずなのですが……ここの神棚は些か簡易すぎますわ」

「はは……勉強不足でしたね」

「そうなると……これは本当に『土地の神』を正しく祀っていたことになるのでしょうか? わたくしも神学は不得意ですわ。ただ、やり方を間違っているのはわかります。こういう時、最悪の場合……ことになっているかもしれませんわね」

「別の存在? それは一体なんですか」

「さあ、わたくしにもそれはわかりません」


 話がどんどんとスピリチュアルな方向に流れてくることに困惑しつつも、琉泉の深刻そうな顔から塚木は目を逸らすことができなかった。


「お聞きしたいのですが」


 琉泉は神棚から塚木へと目線を変える。


「何故『幸せのタルト』ってお名前にしたのですか? 先程の神様からの『幸運パワー』の話からみても、『幸せ』や『幸福』に対する執着を感じますわ」

「執着ですか……」

「例えば……『幸福』であることを強調しないといけないような事情がこのお店にあるとか、ですか?」

「そ、それは……」


 彼女は一体、どこまで知っているのだろうか? ことを? 事前の不動産屋の説明から、この店舗は過去に人死にが起きたらしいことを? それでも、個人で洋菓子店を商う夢を捨てられずに承諾したことを?

 尋問をされているわけでもないのに、塚木は冷や汗が止まらなかった。そうだ。『幸せのタルト』という名前にしたのも、過去の『不幸せ』を払拭するために名付けたのだ。本来ならジンクスなど信じていない塚木が独学で神棚を作り、果物を捧げるようになったのもそのためだった。


 だが、実際にはそれは意味がなかったのかもしれない。琉泉からの指摘で、塚木は自分のこれまでの行いへの自信が無くなっていた。


「こういうのを有名な『美食家』さんに聞くのはおかしいと思うのですが」

「はい、なんでしょう?」

「どうしたら『不幸せのタルト』なんてものがなくなるのでしょうか……SNSのコメント見ていたら知っているかと思いますが、うちのタルトを食べた人が不幸になるって噂を流されていまして……」

「そのことは存じていますわ」

「自分のやり方が間違っていたからでしょうか? 『幸せのタルト』を作るつもりが別の禍々しいものを作ってしまっていたってことでしょうか?」

「気を落とさないでください。 少なくとも、貴方に悪意があったとは思いませんわ」

「ですが、実際には良くないことが続いている……松美家さんの身には何も起きなかったのは幸いでしたが、今のままでは」

「ふむ……わたくしが言えることは二つだけですわ」


 琉泉は最初に神棚へと目線を向ける。


「あの神棚を作り直し、で土地の神を祀ること。近くに神社があるのなら、そこの神主さんに基本的なことを教わるべきですわ」

「それで状況は良くなると?」

「保障は出来ませんが、今のような間違ったでするよりはマシかと。そして、もう一つは……」


 今度はショーケースへと視線を移す。陳列されている多種多様なタルトをじっくりと見つめると、塚木に問う。


「この中に昨日を使ったタルトはあるかしら?」

「昨日捧げたのは林檎なので、今並んである林檎タルトは全てそうです」

「全て頂けないかしら?」

「はい?」

「ちょっと気になることがありまして、ね」


 ありがたい話ではあるが、曰く付きであることを知っていて尚タルトを購入してくれるのは何故なんだろうか?

 そんな塚木の疑問に答えるように琉泉は呟く。


「折角の美味しいタルトが、下らない『噂』で食べてもらえないなんて、かわいそうじゃないですか」


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 両手にタルトの入った箱を抱えたまま帰宅した琉泉は、早速昨日と同じように紅茶を淹れる。昨日は酸味のあるブルーベリーだったが、今日は林檎だ。林檎のほのかな甘みに合うよう、紅茶は昨日よりも癖のない味の、甘い香りを楽しめるものを採用している。

 テーブルに並べられたのは、昨日と同じくタルトに紅茶。違いがあるとしたら、彼女の足元に青色のバケツがあることか。プラスチック製で、15Lの水が入るくらいの大きさの、蓋をかぶせられるものだ。琉泉はこれを帰り道の途中でよったホームセンターで購入した。自宅に蓋のあるタイプのバケツが無かったからだ。


「さて」


 琉泉は早速ナイフをタルトに刺しこみ、一口大に切り分ける。林檎のタルトは、カスタードの上に荒い粒状の林檎ジャムが塗られ、その上に林檎のスライスが敷かれたものだ。切り分けたタルトを口にする。ブルーベリーとは違って、サクサクとした林檎の食感が最初に彼女を楽しませた。林檎とカスタード、異なる甘味が口の中で混ざり合う。昨日とは違う味わいだが、こちらも美味であると彼女は賞した。

 黙々とタルトを食べ続ける琉泉。昨日と違うのは、その食べる仕草がいささか作業的なものであることだ。本来であれば、もっと味わって食べたいのが琉泉の本音であったが、今日はそう悠長に食事を楽しめる状況ではない。何故なら、彼女の推測が正しければこの後自分の身に『不幸』が訪れるからだ。


 タルトを1つ食べ終わりそうな辺りだった。


 チクリ。


 昨日と同じように首筋に痛みが走った。そのまま、琉泉は意識を……



 失わなかった。


「ああ、やっぱり、そうでしたか」


 琉泉は首元に噛みついているを片手で捕まえると、バケツの中へと放り込む。そこにいたのは、小柄の白い蛇だった。


「なるほど、どんな生物が襲ってくるのかはわかりませんでしたが……蛇ですか」


 恰も想像通りであるかのように、琉泉は落ち着いた仕草を崩さなかった。蛇はシャーシャーと威嚇をし、再度琉泉へと飛びつこうとするが、その直前に琉泉はバケツに蓋をする。密閉されたバケツの中で蛇が暴れまわっている音が響く。


 蛇の毒への耐性を持つのは不可能ではない。ミトリダート法のように人体へ微小な毒を投与することで、特定の蛇の毒への耐性をつけることは可能である。まして、琉泉は一度の毒を味わっているのだ。その身体は同じ蛇の毒が効かない身体になっていた。


 問題は、この蛇が何故二日連続で琉泉へと襲い掛かったか。


「やはり、このタルト……いえ、この果物が原因かしら」


 琉泉が今口にしている林檎のタルト、昨日購入したブルーベリーのタルト、共通するのは『幸せのタルト』店内にてであることだった。本来であれば、神棚に捧げられた食物は時間を置いたあとには下げる、つまり神の代わりに食べて消費するのが普通である。しかし、神棚に捧げられたものを食べた人に対して攻撃をするという話は聞いたことはなかった。つまり、この蛇はことになる。


「貴方の正体はなんなのかしら?」


 バケツの中の蛇へと目を向けるものの、琉泉はタルトを食べることを優先した。先ほどまでは、いつ噛みつかれるか分からなかったことで、食事に集中できなかったのだ。ようやく自分のペースで食事が出来ることになった琉泉は、そのまま2個目のタルトへと手を伸ばした。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 琉泉から指定された場所に安城が着いたのは、午後2時50分。集合時間10分前だった。今度の打ち合わせ場所は、安城でも知っているようなコーヒーチェーン店だった。琉泉曰く、この時期の限定商品を味わいたいからだという。

 やはりと言うべきか、琉泉は先に席についており、既にケーキを食べていた。既に半分以上食べられているが、ガトーショコラケーキであることは辛うじてわかった。そういえば、某チョコレートブランドとのコラボ商品が出るということを目にした覚えがあった。彼女の目当てもそのケーキだったのだろう。

 安城は席に着席したが、琉泉はケーキを食べることに夢中になっているのか、彼を一瞥するだけだった。食事中の琉泉はこの有様なことに慣れないとなあ、そう安城は思いつつ、琉泉から依頼されていた調査結果を机に広げる。古い新聞記事を印刷したものだ。


「『幸せのタルト』があった場所について調べてみました。タルト屋が入る前にはパン工房があったのですが、そこで店主が不審死をしていた、つまり元は事故物件だったらしいです」


 琉泉は相変わらず黙々と食事を続けている。安城の言葉に合わせて頭をコクコクと動かして相槌を打っているので、話自体は聞いているのだろう。


「その店主がパン工房に改築する前、つまりパン工房ができる前にあった場所には貸倉庫があったようなんですが、ここでも事故が頻繁に起きて、数年で売却にだされたようです。ここら辺、地方新聞の小さな記事を探してようやくわかったことでしたね。元から曰く付きな店舗だったみたいですね。なにか原因があるのかなと思ってより古い情報を探ってみたら、こんなものが」


 そう言って、安城はA3コピー用紙に印刷された地図を広げる。それは戦前の地図だった。勿論、『幸せのタルト』の店舗などない時代だ。彼は地図上のある一点を指差す。


「ここに小さいですが祠があるのがわかりますか? ここ、この地域でかつて災いを引き起こす神様を祀っていたらしいんですよね。ようは、神の機嫌を損ねないように祠を建てて祀る、よくある話なんですが……」


 琉泉は目線を地図へと向ける。ケーキは残り4分の1程度にまで減っていた。


「問題はこの祠、戦時中の空襲で壊されて、その跡地に『幸せのタルト』が入っている建物ができたようなんですよ。だけど、祠って本来なら神様を祀るための場所ですよね? しかも、元々は災いを起こしていたタイプの神様ですよ。もしかして、勝手に建物を建てたから呪っている、そういう『不幸せ』なことが多発しているんじゃないでしょうか」


 安城がここまで調べたのは、安城が所謂神学に精通しているからでもオカルト趣味があるからでもない。琉泉が『不幸せのタルト』などという『噂』を信じていることに対して、そんな『噂』など迷信だと突きつけるつもりだっただけだ。まさか、琉泉の推測通りに元が事故物件だったなんて思っていなかったのだ。戦前の地図まで漁ったのは、琉泉のためだけではなかった。『不幸せのタルト』という怪奇現象を調べれば調べるほどきな臭い情報が見つかることに対して、自分が納得する答えを見つけたかったからに他ならなかった。理由がない『災厄』程恐ろしいものはないと安城は思っていたのだ。


「何故、『幸せのタルト』では店長自身に不幸がなかったのかはわからないのですが、確か『幸せのタルト』では自作とはいえ神棚を作っていたんでしたっけ? それで神様から不敬ではないと認知されていたから、ということなんでしょうかねえ。松美家さんの推測だと、と解釈されたかもしれないとのことでしたが」


 安城は昨日に琉泉から来た店の様子が記されたメールを思い出す。非科学的な根拠しかないものの、『不幸せのタルト』という災いがで起きていたのは、逆に言えば災厄の意思は店長等には向いて無かった証拠ともいえるだろう。尤も、代わりに客が犠牲になり、それによって生じた風評被害までは避けられなかったようであるが。


「その災いの神と言うのは」


 唐突に琉泉が口を開く。見れば、いつの間にかケーキを完食していた。


「もしかして、使い魔にを使ってはいませんか?」

「蛇、ですか? 生憎、そこまで詳しくは分からなかったですねえ。具体的な資料は見つからなかったので……」

「そうですか……」

「えっと、調査は以上となりますが、これで大丈夫でしょうか?」

「ええ、気になっていたことがわかったのでスッキリしました。まさかここまで調べてくれるなんて、ありがとうございますわ」


 琉泉の『蛇』という言葉に妙な引っかかりを感じたものの、依頼人である彼女が納得したのならこれでいいだろう。


「『幸せのタルト』、今後はどうなってしまうんでしょうか」

「さあ? ただ、専門家のアドバイスをもらうようには言いましたし、今後は祀り方をすることは無くなるんじゃないかしら」


 自分で調べたことであるにも関わらず、琉泉はさも終わった話であるかのように呟いた。


「わたくしはあくまであのタルトの何が特別だったのかが知りたかっただけですわ。理由が分かった今は、もう不幸なことが起きないと願うだけ」

「そうですか」

「ああ、そういえば」


 琉泉は自分のバッグを漁ると、書類が入ったクリアファイルを取り出した。


「昨日のうちに次回の記事を仕上げてきましたわ。〆切はまだですが、早いうちに見せたほうがいいと思いまして」

「もうレシピが完成したのですか! 拝見します」


 琉泉から資料を貰うと、早速中身を確認する。




『蛇』という単語で、安城が思い出したことが一つあった。

 今日の朝、琉泉のSNSが更新された。『幸せのタルト』以来の投稿であるその内容は、琉泉の奇妙な朝食を写したものだった。

 タイトルには『変わった食材を手に入れましたわ』とだけ書かれていた。投稿された写真は、鰻の蒲焼のようなものだった。ようなものと表現したのは、その皮が鰻ではなく、白色の鱗がついていたからだ。

『不幸せのタルト』の正体が仮にも災いの神の使いによるもの……つまり、蛇によるものだとしたら、何故琉泉は死んでいないのか、何故急に『蛇』の話をしたのか、そして、何故このタイミングで蛇のような肉を手に入れたのか……


 先程の琉泉の発言とこの朝食の写真から、安城はあるストーリーを妄想してしまったが、それを本人に聞くのは流石に口が憚られた。

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