不幸せのタルト(前編)

『今度は事故死だって』


 SNS上に一つの『呟き』が流れる。


 ネットニュースサイトを引用しただけの『呟き』


 内容は、運転手がハンドル操作を誤ってガードレールへ追突したというもの。運転手は亡くなったらしい。


 この不幸ではあるがされど珍しくもないはずの交通事故の記事に対して、複数のアカウントから引用が、あるいは直接リプライが飛び交った。


『またかよ』


『交通事故かあ』


『前はなんだっけ? 病死?』


『血を吐いて死んだ人もいたよな』


 恰も見世物であるかのように、彼らは群がり口をはさむ。


『やっぱり、『不幸せのタルト』ってマジなんだな』


 誰かがそう呟いた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


松美家まつみや琉泉るせんさん……ですか」


 安城あんじょう歩夢あゆむ富増とみます泰司たいじ編集長に聞き返した。もしかしたら自分の聞き間違いかもしれない、そういう淡い希望があったからだ。


「安城くんさあ、もしかして知らないの? 松美家琉泉を?」

「いや、そういうわけではないのですが……」


 自分が聞きたかったのは「松美家琉泉とは誰か?」ではない。「何故自分が松美家琉泉の担当編集になるのか?」ということだった。松美家琉泉のことなら知ってる。彼女は良くも悪くも業界では有名な女性なのだから。


「ですが、松美家さんのコーナーの担当って荒木さんのはずでは」

「そう。その荒木くんがさあ、体調崩して休職しちゃったのよね。その代理にってわけよ。君、確か、今は担当してるの、ないよね?」

「はい。そうですが、いきなり松美家さんの担当に僕がですか……」


 担当と言うのは、旅行雑誌『スタァライト』における記事のことだ。『スタァライト』は全国各地の観光名所の紹介を中心とした雑誌であるが、その中に地域特有の料理を自宅でも作れるようレシピを掲載している『ご当地グルメを自宅で料理する!』というコーナーがある。そのレシピの制作、及び監修をしているのが松美家琉泉だ。


「じゃ、決まりだな!松美家さんには既に担当が変わることは連絡してあるから。明日からだけど、次の記事の打ち合わせに行って」


 そういって、富増は書類の束を安城に押し付ける。これを読んで前任者の引継ぎをしろ、と言うことだろうか。最早、安城が断る隙すら与えないのは、松美家琉泉という『変人』の担当を安城が断ることを防ぐためだろう。


 松美家琉泉は料理研究家であるが、世間では『美食家』としても知られている。『美食家』と言うが、彼女の場合は自分が興味を引いたものであればどんなものでも口にしている。それは、彼女がSNSに投稿している『その日に食べたもの』を見ても分かる。会員制の高級料亭で晩御飯を食べた翌日に、チェーン店の期間限定メニューをランチにしてる程だ。また、不定期にだが創作料理も作っているらしく、珍しい食材を使った料理の写真を載せることもある。以前興味本位で琉泉のSNSアカウントを覗いたことはあるが、数万人が彼女のアカウントをフォローしていた。普段見ないような料理も載せられるためだろうか。


 ここまでならある程度食事や料理が好きな女性で済むが、彼女が良くも悪くも有名な理由は、異常なまでの『食への探求心』にある。自分が食べたことのない料理を見聞きしたら、例え遠方の地域であってもその日のうちに移動手段を確保して、現地へ向かうということが何度もあった。現地の祭りの際にしか振舞われない御馳走を食べたいがために海外へ行ったこともあるらしい。ようは、その時の食指の気分によってその日の過ごし方を決めている、そういう女性なのだ。

 担当編集からしたら、彼女の気まぐれに戦々恐々するしかないだろう。都心の喫茶店で打ち合わせをするはずの彼女が唐突に地方へ旅行にいってしまったという話も聞いたことがある。今の時代はオンライン会議ができるとはいえ、担当している料理家が急にいなくなるのは、担当編集からしたら気が気でないだろう。

 彼女のこの暴挙が許されているのは、その食に対する幅広い知識でによって珍しい料理のレシピを毎度掲載しているからに他ならない。地方の郷土料理を都心で簡単に作ることの出来るレシピは、全て琉泉オリジナルだという。彼女の突発的ながそういう点で役に立っている以上、編集部も強く出れないらしい。


 結論として、食に狂った『変人』というのが彼女の評判であった。


「打ち合わせに関してなのですが……松美家さんって今はどこにいるんですか? まさか、海外とかじゃないですよね」

「あー大丈夫大丈夫、最近はずっと東京にいるから。明日のことだけど、事前の打ち合わせのメールも既に君のとこに転送してるから、それ見て」

「は、はあ……」


 自分が松美家琉泉の担当になることは決定事項であることを実感し、安城は自分の席へと戻る。富増の言う通り、琉泉とのやり取りと打ち合わせの日時、場所が明記されたメールが転送されていた。場所は編集部のあるビルから徒歩圏内の喫茶店のようだった。知らない名前だったので早速検索したところ、つい1か月前にできた店舗らしく、喫茶店と言いつつもランチタイムには創作料理が食べられるようだ。打ち合わせの時間を見れば、そのランチタイムと重なっていた。


 打ち合わせついでにランチか……いや、琉泉の場合は後者が目的ではないのか? そう安城は思った。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 松美家琉泉の容姿は安城も知っていた。だが、いざ実物を目にするとその美貌に先ず目が行く。大きい瞳、高い鼻、艶やかな唇が日本人離れした整った顔を構成している。本業はモデルや女優と言われても違和感がないだろう。このような女性と仕事とはいえ同席する機会があったら、普段の安城であれば気分が舞い上がっていたはずだった。


 問題があるとすれば、これから打ち合わせというにも関わらず、彼女が黙々と食事を続けていることであるが。



 打ち合わせ当日。

 指定された店は新装されていて新しさはあるものの、椅子やテーブルは木製の洒落たデザインのものを採用している。照明はやや薄暗い程度の光度なのが、店内全体の雰囲気を落ちついたものにしている。

 安城は打ち合わせの時間15分前には店についていた。どうせ琉泉はここでランチを食べるのも目的にしているのだろう。食事前にさっさと打ち合わせを済ませればいいと思っていた。だから、自分が到着したときに既に琉泉が食事中だとは思いもしなかった。


「初めまして、松美家琉泉さん、ですよね?」


 安城からの問いかけで、琉泉は食事を中断する。


「松美家琉泉とはわたくしのことでございますわ。もしかして、貴方が新しい担当編集さんかしら?」

「はい。安城歩夢です。よろしくお願いします」


 安城は琉泉の向かい席へと座る。本来ならこれから記事の打ち合わせをしたいのだが……テーブル上には琉泉が注文したのであろう料理が既に置かれている。内容は、一枚の大皿にパンケーキ、そしてサーモンが散りばめられたサラダを添えたものだった。パンケーキをデザートではなく主食―しかもサラダを添えて―にするという発想は安城にはなかった。一見ミスマッチのようなその組み合わせだが、『美食家』がわざわざ食べに来ているということは、味は保証されているということだろうか。


「松美家さん、次回の記事の内容についてなのですが……食べ終えてからにしますか?」

「ああ、それなら今で構いませんわ」

「へ?」

「わたくしが食事中のときはそのまま内容だけ話して頂いていますの。わたくしのことは気になさらずに……食べながら聞いていますわ」


 そういうと、琉泉は食事を再開した。琉泉はパンケーキを切り分けると、その欠片とレタスを一緒にフォークで刺して、口に運ぶ。そして、静かに咀嚼をする。じっくり味わうように何度も何度もパンケーキの欠片を口の中で吟味し、そして飲み込む。琉泉の食事の仕方は、恰も高級レストランにいるかのようだ。姿勢は真っすぐなまま、ナイフとフォークを駆使して口に食べ物を運んでいる。その過程も、食器同士のぶつかる音がほぼ聞こえないレベルの丁寧な所作だ。テーブルマナーには疎い安城であったが、それでも、彼女の食事作法はとしか形容ができなかった。

 だが、それと同時に安城は理解した。彼女がであることを。彼女が完食するまで待っていたら確かに埒が明かない。仕方なく、安城はバッグから資料を取り出す。


「えっと、次の記事の題材は沖縄の郷土料理、『ラフテー』です」


 安城はさっそく引継ぎ資料に書かれた内容を琉泉に伝えるが、琉泉の視線は安城ではなく皿に盛りつけられたパンケーキにいっている。本当に聞いているのだろうか?不安が過ぎりつつも安城は打ち合わせを続ける。


『ラフテー』は本土でいう豚の角煮と類似したものだ。角煮との大きな違いは2点あり、一つは皮付きのままの三枚肉の塊を使うこと、もう一つは煮込みの際に料理酒やみりんの代わりに泡盛を使うことだ。これらの情報は、前任者荒木からの資料に記載されていたことをそのまま鵜呑みにしただけであるため、安城は『ラフテー』と『豚の角煮』の違いがよくわからないままだった。本来ならばそう言った細かい違いなどの説明も琉泉からして欲しかったのだが、食事に夢中である彼女に聞いても答えてくれるのか怪しかった。

 その後も、安城は引継ぎ資料に書いてあることをそのまま琉泉に伝えた。彼女は安城の言葉にところどころ相槌のように頭を上下していたが、それは内容を理解した上での動作なのか、単に食事を堪能しているだけなのかは結局わからなかった。


「次の記事の内容は以上となります。編集部からは、松美家さんに沖縄地元の味を再現できるようアレンジをお願いしたいとのことですが、問題はありませんか?」


 一人である程度語り尽くした安城は琉泉の顔を見る。結局食事中に一言も発することはなかった。話を聞いていると言われても、これでは内容を彼女が把握しているのか不安になる。大皿を見れば、ようやく全体の四分の一まで食べ終えた辺りだ。本当ならもっと急いで食べて欲しいんだけどなあ……と心の中で彼はぼやいた。

 これで打ち合わせが終わったことにならないか?安城は思った。必要なことは全て琉泉に伝えたのだ。それで彼女が何も言ってこないのなら、自分の役目は終わりだ。沈黙は肯定と受け取らせてもらおう。


「安城さんは何かお食べにならないのですか?」


 この場を退散する仕度をしていた安城を、琉泉が唐突に呼び止める。


「折角のランチタイムですよぉ? 次回の記事の話も終わりましたし」

「え、いや、僕は後でいいかなと」

「そんなぁ! ここのパンケーキランチ、美味でしたわ! 折角いらっしゃったのに勿体ないですよぉ」

「あ、はあ……」


 グイグイと迫る琉泉の態度に安城はたじろいだが、彼女の無邪気な少女のような表情を見ていたらどうでもよくなった。ランチ一つにここまで楽しそうな顔をする大人を安城は初めて見たのだ。一体、どんな料理を食べたらこのような表情になるのか?それとも毎回このような様子なのだろうか?


「ランチがまだなら……ホラ、今日のおすすめは『パンケーキとサーモンサラダ』ですわ! 『パンケーキとアボカドエビサラダ』もあります!」


 琉泉にメニューを押し付けられ、安城は仕方なく内容を確認する。『パンケーキとサーモンサラダ』はやっぱりミスマッチに見えるし、何より値段が普段の安城の昼食代の3倍で思わずしかめっ面になる。だが、琉泉からの誘いを断るわけにもいかず、打ち合わせ時の食費はいくらまで経費扱いだったのかを安城は必死に思い出そうとした。



 結局、琉泉と同じものを安城は注文した。『パンケーキとサーモンサラダ』がテーブルに届いた頃には、琉泉は既に完食していた。今度は安城が食事をしてる間に琉泉を待たせる形になってしまった。安城は恐る恐るパンケーキを切り分けると、サーモンとレタスの欠片と一緒に口に入れる。


「ん! これはイケます! 美味しい!」


 食感の違う三つの食べ物を同時に味わうという未知の経験であったが、なるほど確かにこれは悪くない味だった。パンケーキが甘すぎないことで食パンにレタスを挟む感覚と変わらない味わいになっている。サンドイッチを食べている感覚に近いだろうか。サーモンの油とオリーブドレッシングが程よくパンケーキに染みているのも旨味に繋がっている理由だろう。ミスマッチかと思っていたが、これはアリだ。

 さて、これをどうやって彼女に伝えればいいのか……相手は『美食家』なのだ。安城は食事の味の優劣を気にしたことがなく、単に『美味い』か『不味い』でしか判断していなかった。無い知恵を絞って安城は琉泉へと伝える。


「なんて言うんですか……パンケーキが意外とサラダに合うというか、食感の違うものが上手く嚙み合っているって言いますか、その」

「ふふふ」


 意味ありげに琉泉は笑う。


「そんな慌てて食べなくてもいいんですのよ? 食べる度に『味』について考えるの、疲れちゃいませんか?」

「え、そうなのですか? そういうのって松美家さんの方が気にしているとばかり」


 松美家琉泉は『美食家』であるのだから、味わったものに関しては人一倍こだわりなどがあると思っていた。


「勿論、味わえるものは千差万別ですわ。その違いを楽しむのも一興。ですが、一番大事なことって毎回の食事をこと、そうじゃありません?」


 食事が


 その発想は安城にはなかった。彼にとっての『食事』とは一日3回食べ物を摂取して空腹を満たす程度の意味合いだったからだ。彼女……松美家琉泉は違うらしい。食事をするのは単なる栄養補給でもなく、まして味の違いを吟味して評価するわけでもない。そういうことなのだろうか。


「食事が楽しい……ですか」

「ええ。味わったものをどうやって伝えるのかとかは、余り重視していませんの」


 勿論、仕事で求められたらそれ用の言葉は考えますけども、と琉泉は付け加えた。そういえば、幾度かテレビのグルメ番組にも彼女は出演していたはずだ。その手の仕事も琉泉にとっては道楽に近いのだろうか。


「このお店でランチをすることを選んだのも、ここのメニューに興味があったからですか?」

「はい。パンケーキのサラダランチって面白そうじゃないですか!」

「面白そうですか。美味しそうではなく?」

「ええ。近所にたまたまできたのを見かけて、興味がでたのですわ。お店の雰囲気も落ち着いていますし、人と会うのにも最適ですしね」

「なるほど……」


 つまる話、彼女のそのときの気分次第なのだろう。彼にはその判断基準は分からないが、彼女は少しでも気になるものがあれば何でも食べに行く。改めて彼女の性分を知った気がした。


「安城さん、今日の打ち合わせで他に要件はありますか?」

「いえ、あれで以上です」

「わかりました」


 そういって腕時計をチラリと見たと思えば、琉泉は唐突に自分の荷物を片付け始める。先程までゆっくり食事をしていたとは思えないほど慌ただしい。まるで、この後予定があるのを今になって思い出したかのようだ。


「記事については、レシピ完成次第また連絡しますわ。それでよろしくて?」

「わかりましたが、松美家さん、何かこの後用事でもあるんですか?」

「ええ、ちょっと最近SNSで話題になってるお店がありまして。そこがここからだとちょっと遠いんですの」

「へえ、なんてお店ですか?」


 興味本位で聞いた安城に対し、琉泉の口から出たのは意味深な形容詞のついた言葉だった。


「はい、『不幸せのタルト』を」

「ふ、?」

「はい。ご存じありません?」


 安城はSNSの話題はそれなりに把握していると自負していたが、『不幸せのタルト』なんていう不謹慎なものは聞いたことがない。尤も、SNSは自分がフォローしている層によって話題の内容が偏るものだ。琉泉の周りはおそらく『食』を中心とした内容で溢れているのだろう。


「なんで『不幸せのタルト』を食べに行くのですか?なんというか悪い噂がついてそうというか」

「そうですわね……」


 意味ありげに琉泉は笑う。


「幸、不幸問わず、食物に対して『ジンクス』が付き纏っている、それってつまりは、普通のものとは違う『ナニカ』があるから、ってことですよね。ちょっと興味が湧きません?」

「ジンクス……?」


 琉泉の言葉に納得ができたようなできないような、安城は答えかねた。


「ではまた、これからもよろしくお願いしますわ」


 今さっきランチを食べたにも関わらず、次の『食』に向かって、琉泉はルンルンとその場を後にした。取り残された安城は食事を再開しつつ、松美家琉泉という女性と実際に会ってみた印象を思い返す。思っていたよりも人当たりは良かったが、やはり変わった人という認識は変わらなかった。

 これから編集として付き合っていくのは大変かもしれないな。そう思った。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 最寄りの駅から徒歩10分はかかる位置にその店はあった。商店街からやや離れた場所に立地しており、大きさもこじんまりとしたものだ。店内はショーケースとレジがあるだけのオーソドックスなもので、その裏側には厨房がある。つまり、出来立てのタルトがショーケースに並べられているわけだ。

 店名は、『幸せのタルト』

 店長兼パティシエの塚木は『噂』に頭を抱えていた。


 そもそものキッカケは、開店当初から続けていたSNSを使ったキャンペーンだった。

『幸せのタルト』でタルトを購入したことをハッシュタグ『#幸せのタルト』をつけて投稿してくれた客にはサービス割引をするというものだ。『幸せのタルト』は開店してからまだ1年程度で知名度は乏しい。だから、話題になればと思ってこの企画を講じたのだ。最初は良かった。SNSで拡散されたことで、来客数が明らかに増えたのだ。塚木の作るタルトは見た目のカラフルさにも力を入れているからか、『映える』と評されているのも、人気が出た要因だったのだろう。

 だが、ある日を境に、SNSで妙な『噂』を流されるようになった。


『『幸せのタルト』でタルトを購入した客は不慮の事故によって死ぬ』と言うものだった。

 

 誰が最初に言いだしたのかはわからないが、塚木が気が付いた頃には既に『不幸せのタルト』呼ばわりが定着していた。ふざけるな! どうしてこんな言いがかりをつけられているんだ! そう思った塚木はSNSで『幸せのタルト』について言及している『呟き』を調べた。その結果、『不幸せのタルト』呼ばわりする根拠がどうやら『#幸せのタルト』のハッシュタグをつけた投稿者のにあるらしいことが分かった。


『#幸せのタルト』を投稿したアカウント主が、何人も亡くなっていたのだ。


 塚木はハッシュタグをつけて投稿してくれた客をフォローなどしていなかった。だから、彼らがハッシュタグをつけた後の動向を把握していなかった。だから、客のハッシュタグ投稿後の動向を可能な限り調べた。


『このアカウント主の家族です。○○は本日、交通事故を起こし、帰らぬ人となりました……』

『●●の友人です。本日、心不全によって永眠しまいした。』

 その他、直前までは頻繁に更新していたにも関わらず、ハッシュタグを投稿してから全く『呟き』をしていない、そういうアカウントも複数存在した。


 ハッシュタグ投稿者全員が死亡、または未更新状態になったわけではない。だが、タグを検索して調べてみれば、その後に『不幸』が訪れている数が異様であることは誰が見ても明らかな状態だった。最初はやらせか嫌がらせかと思っていたが、少なくとも購入者に不幸が起きていること自体は事実のようだった。

『噂』が流れて以降、客数は激減していった。事実無根な『噂』のせいだ。だが、調べれば調べるほど、塚木自身が『不幸せのタルト』のジンクスを信じかけていた。自分の作ったタルトを購入したことで不幸になった人がいる……そんなわけがない。非科学的だ。そう自分に言い聞かせながら、今日も彼は厨房でタルトを作っていた。


「今日こそお願いします……」


 開店直前、店内の角に設けた神棚に向かって、塚木は礼をする。神棚と言っても、棚板の上に簡易な御宮があるだけのシンプルなものだ。その上にはお供え物としてフルーツが置かれている。今日は林檎だ。タルトに乗せる果物に『幸せ』のパワーを貰えるようにと、やり始めたものだった。この神棚は、元々は願掛けと商売繁盛のためのにと独学で調べた上で設置したものであったのだが、今となっては店の窮地を救ってくれるのを祈願するためのものとなっていた。自分に出来ることは神に縋ること、そして、黙々とタルトを作ることしかないのだ。


「ごめんくださいませ~」


 開店直後の店内に女性の声が響いた。レジ打ちの須々木に応対を任せ、塚木は厨房でタルト生地を練っていた。以前の厨房は他にも作業者がいたのだが、ここ最近は塚木一人でタルトを作っている。今の客入りでは、アルバイトを多く雇う余裕すらないのだ。

 彼が淡々と作業をしていると、店の方から喧しい声が聞こえてくる。内容は聞き取れないが、どうやら先程の女性客が須々木に対してあれこれ質問をしているらしい。須々木の困惑した声もたまに混ざって聞こえる。まさか、『不幸せのタルト』についてのことではないだろうか……SNSの噂を聞きつけて冷かしに来る客がいないとも限らない。

 しばらくして、二人の声が収まった。なんだったのだろうか。塚木は一旦タルト生地を放置すると、厨房から店内へと向かう。

 店内には須々木の他に人はいなかった。女性客も既に帰ったらしい。


「須々木君、さっき何があったの」

「店長、先程の客が妙な事を聞いてきまして……」

「妙な?」

「はい。御宅のタルトは他のお店と何が違うんですか? とか、なにか特別なものを使っているんですか? とか、とにかくうちのタルトが他店と何が違うのか気になってたみたいで」


 これでは面接みたいですよ、と須々木は愚痴る。


「それで? なんて答えたの?」

「見た目は他の店のよりは力を入れています。SNSで投稿したら『映える』のが美点ですって伝えたら、納得してくれたのか微妙な顔して、ブルーベリータルト一つ買って帰りました」

「そ、そうか……」


 わざわざ店に来てまで、その店の『個性』を聞いてくるのは確かに変わった客だ。だが、『幸せのタルト』は見た目の綺麗さにこだわって作っていたことは事実であり、その面に目を向けてくれる客が今もいることに、塚木は感動を覚えた。『不幸せのタルト』なんていう身もふたもない風評被害を真に受ける必要などない。今でも『幸せのタルト』自身に興味を持ってくれる客がいるのだから。


「あ、そうだ。その人、買ったタルトの写真をハッシュタグ付きで投稿したらしいのですが、見ますか?かなりフォロワー多い人みたいですけど」

「え、そうなの?」


 須々木が手にしているスマートフォンを覗く。


「えっと……須々木君、これ、本当に本人だった!?」


 画面には、塚木でも知っている有名な『美食家』のアカウントが写っていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 琉泉が自宅についたとき、丁度20時を過ぎた頃だった。夕食は自宅で食べるつもりだったが、『幸せのタルト』から帰る途中に食べたことのないラーメン屋があったため、そちらで済ませてしまった。その時の気分で食べるものを決めてしまうのは、彼女の日常ではよくあることだ。


「さて、もう夜ですが……」


 リビングに置かれたテーブルへ着席し、ひと段落している琉泉は、卓上にある箱に目をやる。中に入っているのは、『幸せのタルト』で購入したブルーベリーのタルトだ。早速蓋を開け、中身を取り出し、用意した皿に置き換える。その傍らには、タルトの甘味と酸味に合うようにと紅茶を淹れたカップが一つ。ティーパックからではなく、葉から直接淹れる方を彼女は好んでいる。

 琉泉が購入したタルトは、大きさは女性の掌よりやや小さめ、パイで出来た皿の中にカスタードが詰められ、その上にブルーベリーが並べて置かれたものだ。コーティングに飴を使っているのか、表面は照っている。照明の光を反射している様は、食べれる宝石と言ったところか。


「『幸せのタルト』ですか……見た目は確かに美しいですが、タルトの見た目にこだわるお店は珍しくありませんわ。それなのに、何故『不幸せのタルト』なんて呼ばれるようになってしまったのかしら……」


 そう呟きながら、琉泉はナイフを手にし、タルトを切り分ける。


「どうして、貴方だけが『不幸せ』になってしまったのかしら?」


 切り分けたタルトをフォークで刺すと、口に運ぶ。口の中でパイ生地が、カスタードが、ブルーベリーが嚙み砕かれ、弾ける。ブルーベリーは程よく酸味が聞いており、カスタード由来の甘味がそれを更に際立たせた。購入してからある程度時間が経っているにも関わらず、パイはサクサクとした食感だ。


「ふむ……確かにこれは美味しいですわ」


 タルトの試食後、紅茶で口を潤す。


「ですが、味そのものにはありませんわね。見た目が美しく、味も美味。ですが、今まで食べたタルトと明確な違いはありませんわね……」


 では、『不幸せのタルト』と呼ばれる一連の事件は、何故起きたのだろうか?


「わかりませんわ……こんなに美味しいのに、どうして……」


 琉泉が再度タルトを口にしようとした、その瞬間であった。


 チクリ。


「え?」


 首筋に針で刺したような痛みがほとばしる。それと同時に急な眩暈が琉泉を襲った。上半身の姿勢を保持することもできず、琉泉は机の上へ倒れ込んだ。何が起きたのか理解できないまま、意識だけがどんどん薄れていく。痛みの箇所を触ると、薄っすらとだが血が指についた。


「これって……まさか」


 琉泉はそのまま意識を失った。



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