自分の頭と顔を拭って、それからどこを見るでもなく立っている火傷の男に目を向けた。


「それで、何の用?」

「しつこいとは思うんだけどな、アンネがずっとお前のことを気にしててな。緊急依頼達成おめでとうってことで、食べに来ないかと誘いに来た」

「あの、町に来てすぐのときに会った宿の女の人ね。何でそんなに?」

「さあな。アンネはとんでもない世話焼きだから、一目見てお前の世話をしたくてしょうがなくなったんじゃないか? あいつは、大層気の多い女でもある」


 火傷の男は何かを思い出したのか、ひどく愉快そうに口許に手を当てて歪む唇を隠した。その理由を知ろうともシュトルは思わなかったが、苦手と感じていたアンネの顔を思い出して、手の中の布を見て、ちらりと血濡れたまま突っ立っているアレクを視界に入れた。


「それで、何の料理が得意なの?」

「アンネか? 何でも言えばつくってくれるけどな。料理の専門家というより、腹いっぱい食える家庭料理が得意だな。ああ、外からの食材を使うから、毒は気にしなくてもいい」

「スープの味は、薄かったりしない?」

「男所帯だから、肉がごろごろ入った味の濃いこってりしたシチューがよく出てくる」

「……あの人も、連れていっていい?」


 シュトルが指差した方向は見ずともわかったらしい。火傷の男はちょっと返事に迷ったようだが、うなずいた。


「暴れさせないってんなら。俺も、あいつには勝てる気がしないからな」

「それなら、行く。ただ、さすがに今日は疲れたし、こんな格好だから行けない」

「なら、都合のいい日でも教えてくれ。事前に教えてくれりゃあ、アンネが上機嫌でいろいろ準備するだろうからな。じゃ、よろしくな」

「…………あっ」


 そう言って、火傷の男はほかの探索者たちと同じように町へ帰ろうと行ってしまった。距離が離れたところで、布を返していないことにシュトルは気づいて声を上げた。咄嗟に投げようとしたが、背を向けたままひらひらと男に手を振られる。どうやら返さなくてもいいようだった。


「お、おともだちかぁ?」


 ずっと後ろで口を閉じて待っていたアレクが、心配性な兄のようになって声をかけてくる。シュトルは違うと短く否定して、宙で踊っているその手に自分の持っていた布を握らせた。


「さすがに、そのままじゃ帰れないよ。頭だけでもいいから拭いて」

「わかったぁ」


 端から乾いてきた血がアレクの頬にこべりついていた。ぐりぐりと顔を拭っているアレクに、そろそろと近づいてくる人がいた。やっと描くのをやめたらしいグゼが、胸にペンと紙を抱きながらアレクの前にちょっと距離を置いて立った。シュトルは気づいたが、アレクは目に入っていないようだった。

 あの、えっとと言い淀んでいるグゼは緊張しているようで、熱くなった顔を冷ますように手で頬をつまんでいる。シュトルは奇特な趣味だなと心底思っていたが、黙っていた。


「あのっ、次に出す新聞を、楽しみにしていてください!」

「…………うぅん?」

「あと、シュトルさんもありがとうございました! かっこよかったです! いつか取材させてくださいねっ!」

「え、いやだ……」


 言うだけ言って、グゼはばたばたと走り去っていった。アレクは、首をかしげて誰もいなくなった空間を見ている。血が拭われて、やっと人間らしさを取り戻せたようだった。といっても、血まみれの服のままでは殺人鬼のようではあったが。


「それじゃ、そろそろ戻ろうか」

「ああぁ、そうだな……」


 2人は並んで、町への道をゆっくりと戻っていった。

 やっと宿カゲカケにたどり着いたとき、ワメルトが絶対にそのまま敷居をまたぐなと絶叫して、2人まとめて上から水をぶっかけられることとなった。


● ● ● ● ● ● ● ● ● ●


 そして、数日後。

 シュトルは、アレクをつれてアンネという女主人が営む宿屋の食堂で夕食を食べに来ていた。万が一、アレクが暴れたら危険だということで、1階バルコニーに設けられた外の席ということになった。その日の夜は機嫌が良く、心地よかった。

 2人の囲むテーブルの上には、これでもかというほどに料理がいっぱいに並べられている。揚げ芋チップスのサラダに、茹でた根菜と香り高い果実オリジナルソースのディップ。ふわふわと分厚いオムレツの中をフォークで突くと、とろりと中から肉の餡が出てくる。ソースがたっぷりかかった肉団子はじゅうじゅうと鉄板の上で油の音がしている。焼きたての手作りパンは籠の中で山盛りになっていた。そして、さらにシュトルの前に出されたのは、じっくり煮込んだごろごろ野菜と肉たっぷりのシチューだった。ふわっと湯気が顔を撫でる。


「言ってくれれば、おかわりもあるからねっ!」


 にこにこと楽しそうに宿の主人のアンネは笑った。くるくると忙しなく働いているせいか、腕をまくりをしているアンネの額には汗がにじんでいた。それすらも眩しくなって、シュトルは目を細めた。


「あの、こんなに頼んだ覚えがないんだけど」

「サービスさっ! 気にしないでおくれ!」

「それは、どうもありがとう……」

「どういたしまして! ふふっ、ごめんね。あんたが来てくれるって聞いて、朝から浮かれっぱなしなのさ」


 機嫌がいいのは見ればわかるが、理由がわからない。シュトルは何度も椅子に座り直して、じっとこちらを見つめてくる視線と目を合わせない理由をつくった。

 そこに、宿屋の中からアンネッと呼ぶ声が飛んできた。シュトルには、それが助けの声にも聞こえた。


「なんだい! ちょっとぐらい待ちなよ! 大事なお客様をおもてなししてるってのにさ!」

「あの、私のことなら気にしないでいいから。さきに仕事をやったほうが、いいと思う」

「そう? じゃ、後で気に入った料理の味を教えておくれ!」


 きっちり固く結ばれたエプロンの紐を揺らして、アンネは宿屋の中に戻っていった。ほっとしてスプーンを握り直したシュトルは、向かいの席でじっと手元に目を向けたまま動かないアレクに声をかけた。


「そんなに、気に入ったの?」

「ああぁ……すごく、気に入ってる」


 なかなか目が離せないようだったが、シュトルに声をかけられてやっとアレクは顔を上げた。そして、手に持っていたものを空いている椅子の上に慎重に置く。それは、町の掲示板に貼られる予定の地方新聞の写しだった。せっかくだからどうぞとグゼから渡されたものだった。そのうちの記事の一つに、探索者たちが町の畑を守ったというものがある。


「まさか、俺が記事になるなんてなぁ」

「あなた、記事になりたいって言ってたっけ。でも、メグイノコシがメインになってなかった?」


 記事には、グゼが描いた絵も添えられていたのだが、それは巨体を震わせて凶悪な牙を振りかぶるメグイノコシとその前に頼りなく立っている大斧背負った男の小さな背中が描かれていた。アレクが記事になっていると、言えなくもないレベルだった。

 スプーンを手に取ったシュトルは、つやつや肉が光る香りのよいシチューに差し入れた。熱々の湯気で鼻を湿らせながら、ほどけるように柔らかい肉を頬張る。こってりした油とコクがあって舌に残る濃い味にシュトルはまばたきをした。そして、今度は底のほうから目一杯スプーンですくってシチューを飲んだ。


「そのシチューは、パンをひたして食べるのも、おいしいと思う」

「そうなんだ」


 籠からパンを一つとって、半分にわってシチューにひたす。汁が垂れないように素早くシュトルは食いついた。香草とチーズを練り込んだ軽いパンとシチューの組み合わせは非常に合っていた。


「おいしい」

「それなら、よかった」

「あなたも、食べたら?」


 パンをシチューにひたしながら、まだフォークもスプーンも握らない目の前の男に食べるように促した。せっかく奢ろうと思ったのに、これではシュトルが誘った意味がない。


「うん……そうだなぁ」

「好きな食べ物がなかった? 追加で注文してもいいけど」

「いや。なんというか、悩んでてなぁ」


 アレクが背もたれにもたれかかると、椅子がぎしりと大きく音をたてた。並べられた食事の皿を見つめているが、焦点はぐらぐらと定まっていない。狂気に絡めとられているようだった。


「このぐらいじゃあ、意味なんてないだろうなぁ。わかってるんだけど、でもぉ、少しでもこれであの子の恥がうすまったらいいのになぁ。英雄にでも、なれたらいいんだけどなあぁ。それでも、この記事の片隅分ぐらいにはぁ、おれはお前の兄ちゃんでいられる価値ができたと思いたくて……」


 つらつらと並べられる言葉はシュトルに向けられたものではない。揺れる頭は今ある現実から意識を飛ばして、遠い日の後悔の記憶だけをアレクに見せていた。

 すすり泣くように謝る対面の相手に、シュトルはスプーンを置いた。テーブルの上で握り込んでいる左手が、心臓をそこへ移動したように熱いようにシュトルは感じた。初めて誰かの手を取った。だから、握っていた手をかすかに開いて、シュトルは名前を呼んだ。


「アレク」

「だから、にいちゃんは……あ、ああ、うん。シュトル、さん?」

「その記事を切り取って、あなたの妹に送ればいい。そうすれば、あなたがどんなことをすることができたか伝わるから」

「そんなことをして、怒られないか?」

「……あなたの妹のことは知らないけど、私なら怒らない。もし怒られたら、そのときはまた奢ってもいいよ」


 言い切ったシュトルは、アレクの顔が見れず、誤魔化すように果実のミックスジュースのグラスに手を伸ばそうとした。その前に、左手からするりと伸びた蔦がグラスを引き寄せる。


「ちょっと、元気になった?」


 小声で尋ねると、蔦がやさしくシュトルの指先を撫でた。グラスの中のジュースは、発酵して甘味が増した果物がしゅわしゅわと舌の上で弾けた。


「そう、だなぁ。どうせ、無視して捨てられているかもしれない手紙に、勝手な希望を込めたっていいか……」


 アレクはフォークを手に取ったかと思うと、鉄板の上の熱々の肉団子を突き刺した。そして、大きな口で丸々一つを咀嚼した。ごくんと呑み込んだアレクはシュトルに向かって笑った。


「ありがとう。ここのごはんは、おいしいなぁ」

「それならよかった。おかわりもできるらしいから、いっぱい食べたらいいよ」


 夜の涼しい風が吹いたが、温かい食事を囲んでいるアレクとシュトルにはちょうどよかった。騒がしさから少し外れたバルコニー席で、2人は満足するまで食事を楽しんだ。



 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●



 それから、季節が移り過ぎた頃。

 記事の切り抜きを同封して送った妹への手紙に返事がやってきた。動揺でおかしくなりかけていたアレクに頼み込まれて、シュトルは一緒に手紙を開封することになる。おそるおそる手紙を開いたアレクは、文面をじっくりと目を通して、隣にいるシュトルを見た。ぼんやりと手紙を眺めていたシュトルが顔を上げる。

 2人は目を合わせて微笑んだ。

 だから、この日は良い日になったのだ。


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狂ったアレクは英雄になりたい 運転手 @untenshu

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