二、約束

「ごめんなさい、結婚はできません」

香夜かやは男たちの目を見て、キッパリと返事をした。三人は断られるとは思っていなかったのか、目を見開き凍りついたように動かなくなる。その反応に、かえって香夜のほうが驚いた。

元々そういう文化があるならばともかく、初対面の男性に突然プロポーズをされて、はい喜んでと応える方がおかしくないだろうか。

男たちと見つめあうだけの、居心地の悪い時間が過ぎる。ゲームのような状況といえども、適当に一人を選ぶのは失礼な気がして、香夜は全員断るという選択をした。が、プログラムのバグのように沈黙し動かない三人を見ていると、致命的な選択ミスをしてしまったような気持ちになる。

香夜の心を読んだように黒髪の男が言った。

「断るという選択肢はないんだ」

男はハハ、と自嘲じちょうするように笑い、香夜を見つめる。

ほかの二人も、あきれとも苛立ちともつかない表情で言う。

「そうそう、死にたくなかったら結婚するしかないんだよ」

「何のつもりか知らんが、早くしろ。もう無理やり連れていくか?」

「じゃあ眠らせようか」

「面倒くせえ、気絶させりゃあいいだろ」

衝撃的な発言の連投で、突如として恋愛ゲーム風味からホラー調へと変化した状況に、香夜は呆気にとられた。

えっと、これは誘拐されそうになってる?

混乱する香夜の目の前で、男たちは何やら話し合っていたかと思うと突然、明るい髪の男が香夜の腕をつかんだ。

「とりあえず今日、婚礼の儀と祝言しゅうげんはあげないとね。そのあとは、追い追い考えるしかないかな。まあ恨むなら、考え無しだった自分を恨むしかないね」

ニコニコ顔で腕をにぎる男の言葉は、香夜の耳に届いたが頭には入ってこなかった。素肌にふれている武骨な手の感触への、強烈な拒否感。

いやだ、いやだ、気持ち悪い!

瞬く間に、香夜の感情が沸騰した。


気付くと、勝手に体が動いていた。

腕を力任せに引くと、男の手は驚くほどあっさりと腕から離れ、その拍子に男はたたらを踏む。香夜はカバンと紙袋を地面にほうると一歩踏み出し、男の襟と袖をつかんで、体をひねり勢いよく投げ飛ばした。

ドン!と背中から着地した男の明るい髪が地面に広がり、呆然とした表情で空を見ている。

「おい!」

慌てた様子で香夜のほうに駆け寄るのは、青い髪の男。

それを見た香夜は反射的に後ろへ下がったが、あっさり手首をつかまれる。拳を握りしめ、思いっきり腕を振り上げて男の手を引きはがすと、先ほどと同じように、男の襟袖をつかんで投げ飛ばした。

男二人が地面に転がる姿に、香夜は我に返る。

格闘の経験など一度もないのに、息が上がることもなく、頑強な男を軽々と投げ飛ばした。その事実に、終わった今になって身体が震える。

「落ち着け」

すぐ横で声がしてパッと顔を向けると、渋い表情で黒髪の男が立っていた。

「何が気に入らないんだ。こうなることは分かってただろう?お前の心境がどうかは関係ない。結婚するしか無いんだ。今さらゴネるのはよせ」

動揺がおさまらない中、男の身勝手な言いように再び香夜の感情が膨れ上がる。

「……気に入らないことだらけですけど。なんで今日初めて会った人と結婚しないといけないんですか。プロポーズ断ったら死ぬとか連れていくとか意味不明です!そもそも初対面なんだから、まずは名乗ったらどうですか!」

叫ぶように言うと、黒髪の男を見る。

「ほら!名前!」

男は気圧されたように、「ホウライだ」と言った。いつの間にかそばに戻ってきた二人を睨むと、明るい髪の男は「タカツキだよ」、青い髪の男は「……ミクモ」と答える。

香夜はまだ気がおさまらず、三人を前にして文句が止まらない。

「そもそも面倒くさいのにプロポーズする人なんて論外です。もし恋人だったとしても、あんなプロポーズだったら振られますよ。意味ないです!

それに私だって好みというものがあるんです。断ってビックリするって、どれだけ自信過剰なんですか?

だいたい恋人が二人もいるのにプロポーズとか、いい加減にして!

え、恋人じゃない?付き合ってもないのにあんなにベッタリしてるとか、もっと無理だから!」

言いたいことを一気にまくして、香夜は少しスッキリする。いつの間にか敬語も抜けてしまったが気にしないことにした。

「私はたちばな香夜。そういえば私の名前を知ってるみたいだったけど、どうして?」

黒髪の男、ホウライに聞くと彼は顔を歪めた。

「全く覚えていないのか……」

つぶやくように、ポツリと言った。


ホウライは香夜の質問には答えず、タカツキとミクモに小声で何か話しかけた。二人がそのまま暗がりへ消えると、ホウライは香夜に向き直る。

「とにかく今は時間がない。事情はあとで話すからついて来てくれ」

香夜は顔をひきつらせて、嫌です、と言った。あれだけ不穏な発言をする男に、誰がついて行くというのか。

だが無表情で間近に寄ったホウライは、警戒心を露わにした香夜を強引に抱き上げた。子どものように抱えられた香夜は、彼の予想外の行動に頭の中が白くなる。緊張で動けない香夜をチラリと見たあと、ホウライは闇夜の道を歩き始めた。

やがて、先ほど消えた二人が行灯あんどんを持って合流したが、香夜にそれを気にする余裕はない。心臓が尋常ではない速さで脈打ち、顔が茹だりそうだった。

顔が近い、近すぎる……!手、手はどこに置いたらいいの?首に回したほうが安定するだろうけど、さすがに無理!でも胸に置くのも……肩はどうかな?

香夜は、他の二人に触れられたときと違い嫌悪感がないことを、深く考える余裕もなく。周囲の状況を認識できるようになったのは、波の音が聞こえる場所に着いてからのことだった。

ザァアー……ザァ……

ゆっくりと波が寄せ、引いていく音がする。

熱気を含んだ湖風こふうは香夜の長い髪を乱し、行灯に照らされた松林の枝がかすかに揺れた。

「名前は、お前から聞いたんだ。香夜が十三のときだ」

ホウライが穏やかな口調で話し始める。

十三歳。その年齢に、香夜はドキリとする。

「ここはな、香夜からすると異界とか異境と呼ばれる世界になる」

……つまり乙女ゲームではなく、異世界に転移をしたということだろうか。

「お前の住んでいた世界で、常世とこよ幽世かくりよ神界しんかい……そんな名前で呼ばれる場所に近いかな」

「あの世……死んだあとの世界ってこと?」

「少し違う。あちらで死んでも、この世界に来るわけではないからな。神が暮らす国、と考えると分かりやすいか」

神の国と言われても、正直なところ香夜には実感がわかなかった。電車を降りてから会った人はみんな神様には見えず、神の奇跡のような現象が起こったわけでもない。

だが確かに、会ってすぐプロポーズされることや、突然怪力になることは奇異なことではある。

「この世界には時々、ほかの世から人が迷い込むことがあってな。香夜もその一人だった。十三のときにこっちの世界にきて、そこで俺たちと知り合ったんだ」

「……」

「その時に結婚の約束をした」

「……は?」

「十八になった日に嫁入りすると約束して、香夜は自分の世界に帰ったんだ。この世界では、約束事は強い力を持つから、口約束だろうが守らないと、どうなるか分からない。死ぬ可能性もある。お前は忘れてしまったらしいが……それでも約束は無かったことにはならない」

にわかに信じがたい話だったが、香夜は一つ思い当たることがあった。中学一年の夏休みに起きたこと、そしてそのあとの出来事。

「前に私がこちらへ来たのは、夏だった……?いたのは十日くらい?」

ホウライが眉間にシワを寄せる。

「なにか思い出したのか?悪いが、時期も期間も答えようがない。ここは季節の流れも一日の長さも決まっていないから、お前の世界と比べようがないんだ。ただ、香夜がこちらに来たときは、今のお前と同じように袖の短い服を着ていたな」

「ほかに何か、ない?この世界に来た私が残していったものとか」

「俺がお前に渡しておいたものは、いくつかあるが」

そう言って、ホウライは香夜の手を取る。

「今日、こちらの駅に着いた時、手に切符を持っていただろう?あれは、香夜がこちらの世界に戻ってこられるように俺が渡した切符だ。それを持っていたから、今日こちらの世界に来られたし、改札から出られただろう。あとは、こちらの世界との縁が切れないように俺の神力を少し貸しているから、ミクモとタカツキをぶっ飛ばせただろう。なかなかいい投げっぷりだったな」

あれはそういうことだったのか、と香夜は得心がいった。そしてこの、奇妙な状況が現実であることも、嫌でも受け入れるしかなくなる。初対面の、実際には会うのが二度目の人と今日、結婚をするという現実。

そこで香夜は重要なことに気付く。

「私、誰と結婚する約束をしたの?まさか……三人とも結婚するなんて怖い話じゃないよね?」

『はあ?!』

男三人の声がいい感じにハモった。さすがに我慢ならんと言った表情で、ホウライが叫ぶ。

「今の話の流れで、俺以外のわけがないだろう!」

「そっか、よかった。でもじゃあ、三人からプロポーズされたのは何だったの?」

「このあたりの風習だな。遠方からきた女性をめとる場合、ほかの求婚を断ることで結婚の意思確認をするのと、無理やり結婚させられるわけじゃないってこと知らしめる意味合いがあるんだろう。誘拐婚が全くないわけではないからな」

「ああ、そういう。いきなり三人からプロポーズされるから、なんのゲームあそびかと思ったよ」

香夜は唇をとがらせて抗議すると、二人の会話を聞いていたらしいミクモが口を挟む。

「お前がやって欲しいと言ったんだぞ」

「……嘘でしょ?」

「ほんとだよ。今ではほとんど誰もやってない風習だけど、どうしてもやって欲しいって言ってね」

タカツキが笑いながら言う。

「ちなみに結婚の約束をしたのも、君がホウライに熱烈な求愛をして、ホウライが折れた形だったんだ」

「泣きながら、結婚してくれないと生きていけない、とか言ってたな」

二人とも呆れたように笑う。

香夜はあまりの羞恥心に、両手で顔を覆い隠して体を丸めた。耳まで真っ赤に違いない。きっと他にも、過去の自分は色々とやらかしているのだろう。記憶にない十三歳の自分を知り、忘れていてよかったかも、と初めて思った。

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山城国の娘、蓬莱に嫁入りす リムムント @rimurimutime

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