川にクラゲがいる

PURIN

川にクラゲがいる

 昔、神奈川県の横浜市に住んでいた。

 近所の川には、よくクラゲがいた。

 うじゃうじゃいる時もあれば、ほんの数匹だけの時もあった。

 もちろん、一匹もいない時もあった。

 どうやら、潮の流れやら餌となるプランクトンを追いかけてきたやら、そういうことが原因でやって来るらしかった。

 そういえば、クラゲがいる時の川からは、潮のような香りが漂っていることがあった。


 クラゲ達の体は白みがかった透明で、頭頂部に四つの円で構成された四葉のクローバーのような模様があった。種類としてはミズクラゲだったのだろう。


 小さな体でふよふよと水中を漂う様子はかわいらしく、どこか神秘的でさえあった。

 一方で、その不可思議な動作のためか。「顔」と呼べるパーツが見当たらず、感情を想像しにくいためか。

 眺めていると、自身の意識が現実から離れていくような、妙な感覚に陥ることがあった。


 誰だかなんて、「クラゲって何考えて生きてるんだろうな」と呟いていたことがあった。

 まあ、動物の生き方を人間の価値観だけで判断してどうのこうの言うのは正しくはないのだが、言わんとすることは分からないでもなかった。




 というわけで、色々な人から聞いたクラゲにまつわる話を書いていこうと思う。




 Aさんは幼稚園児の頃、クラゲがやって来る川の近所に住んでいた。

 その日も、川にクラゲがいた。一匹だけで、ぷかぷか浮いていた。

 Aさんはその様子を見て、ふと思いついた。


「その辺に手頃な木の枝が落ちてたんだよ。

 で、これをクラゲの頭に向かって投げたらポーンって弾んで面白いんじゃないかって思ったんだ。トランポリンみたいに弾むんじゃないかって……」


 Aさんは、その木の枝をクラゲに向かって投げた。

 枝はクラゲに向かって真っすぐに落ちていって、クラゲに当たってポーンと弾む……

 どころか、まるで吸い込まれるようにクラゲの頭にグサッと刺さった。十㎝くらいの長さの枝の、半分くらいが貫通したように見えたという。


「今思えばあんなに綺麗に刺さるもんなのかってなるけど……

 でもとにかく、刺さった瞬間怖くなって、すぐに逃げたんだよ」


 妙なことが起こり始めたのはそれからだった。


 Aさんがいつ川を見ても、あのクラゲが浮かんでいるようになったそうだ。

 他のクラゲに紛れ込んで、あるいは一匹だけ、微動だにせずに浮かんでいる。

 枝が貫通したままで。


 他の人達には見えない。Aさんにだけ何かを訴えるように、Aさんにだけ見えた。

 恐怖を覚えて、Aさんはあまり川を見なくなった。


 すると今度は、他の川にもあのクラゲが現れだした。

 やがては海に、プールに、水族館の、クラゲがいるはずのない水槽の中に。

 Aさんが成長すればするほど、水の存在する、ありとあらゆる場所に。

 動かず、何も言わず、ただただそこにいる。

 枝が貫通したままで。


「『子どもは遊びながら虫を殺したりしちゃうけど、それを通して命について学んでいくんだ』って言う人がいるけどさ……

 だとしても、殺された方には関係ないもんね……」


 「夏場って湯舟入ってる?」という私の質問にAさんが「いや…… ていうか、夏に限らず入ってない。だって……」と答えることで始まった一連の会話を、Aさんは上記の言葉で終わらせた。




 ある時、Bさんは妙なクラゲに出会った。


 数匹いたクラゲ達。

 そのうちの一匹の頭。そこにある、四つの円。

 白みがかった半透明のはずのそれが、真っ黒になっていた。


 始めは一匹だけ突然変異した個体がいるのかと思ったのだという。


「でもさ、次に見た時はそういうクラゲが三匹ぐらいいたんだ。

 で、次見た時はもっと増えてて。

 次はもっと、次はもっと…… って、見れば見るほど増えていった」


 そうして、いつの間にか。

 Bさんの目に見える、川にいる全てのクラゲの頭の模様は、四つの黒い円として見えるようになった。

 白っぽい半透明の、そこだけ黒い、水に浮かぶ生物。

 その真っ黒い円は、まるで人間の目玉のように見えたのだという。


 そう見えるようになってから、Bさんには妙な変化があった。

 

「常に誰かに見られてるような気がするようになったんだ。

 家にいようが仕事をしてようが。たくさんの目が、こっちをじーっと見てる。

 振り返っても誰もいない。どこから見てるのかも分からない。

 でも、確かに見られてた。

 あのクラゲの頭にあった、黒い模様に似た黒い目が、四六時中こっちを見てる。よそ見もせずに見てる。無数の視線が、ずーっと見てる」


 最初は気のせいだろうと思い、気にしないように努めていたBさん。

 しかし、視線への恐怖心から、徐々に眠れなくなっていった。

 食欲も落ち、少しずつ元気がなくなっていった。人に会う気力すらなくなっていた。


 その日も、浅い眠りから目覚めてすぐに、あの大量の視線を感じた。

 布団にもぐってうずくまっても、なお感じる視線。

 脳内にこびりついて離れない、あの黒い丸。

 もう参ってしまいそうだった。


 けれど、トイレには行かなければならなかった。

 ビクビクしながら立ち上がり、廊下を歩いた。

 用を済ませ、手を洗い終わり、顔を上げて…… ギョッとした。

 

 目の前の鏡に、あの真っ黒な目玉が二つ映っていて、自分をじっと見ていた。

 ほとんど反射的に、目玉に向けて拳を力いっぱい突き出した。


 甲高く、激しい音と、あたりに飛び散る破片。血を流す自分の拳から、今の二つの目玉は鏡に映った自分の目玉だったのだと気が付いた。

 息を切らしながらも、砕け散った鏡にほっとした。目玉が二つ減ったから。


 ああ、そうだ。

 目玉が怖いなら、こうやって目玉を潰せばいいんだ。


「それ以来、もう変な視線を感じることはなくなったんだ!

 本当に快適だよ。もっと早くやっておけば良かった!」


 笑顔でそう言うBさんの両目には、包帯が巻かれていた。




「笑っちゃうような話なんだけどさ」


 Cさんは言った。


「小学校低学年くらいまで、クラゲっていう生物について勘違いしてたことがあってね」


 Cさんは、小さい頃からクラゲを眺めるのが好きだった。

 犬よりも猫よりも兎よりも、柔らかそうで、膨らんだりしぼんだりする動きが面白いクラゲが好きだった。

 ただただ眺めるのが好きだった。川にいるのを見かけた日は、それだけで楽しい気分で過ごせた。


 だが、川を泳いでいるのを見る以上に好きなことがあった。


「真夜中にこっそり家を抜け出して川に行くとね、満月の日だけなんだけどね、見れたの」


 一匹、一匹と、クラゲ達が。

 川から離れ、空中へと浮かび上がっていく。

 水中にいる時と同じように、膨らんだりしぼんだり、不思議な動きをしながら、ひたすらに上へ、上へと昇っていく。

 暗い空に浮かぶ、真ん丸の満月へと向かって、少しずつ少しずつ。

 月明りを浴びて虹色に輝きながら、そうやって空へと昇っていくクラゲ達が美しくて、夢中で眺めていたのだという。


「クラゲはお月様の子どもで満月の日だけ里帰りしてる宇宙人なんだなって思ってた。

 でも、クラゲは海に棲んでる地球の生き物だって認識してからは、あの光景見られなくなっちゃったんだよね……

 本当は、また見たい」


 


 それはそれとして。

 人間共が騒ごうが騒ぐまいが、今日もクラゲ達は川を漂い続けるのである。

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