光の残像

幸まる

ブランコ

―――私が初めて貴女の乗ったブランコを押したのは、私が12歳で、貴女がまだ4歳の頃だ。




暑い暑い毎日を乗り切るべく、辺境の別荘に避暑で滞在していた富豪一家は、社交の一環で出掛けた主人を除いて、この日は川縁でピクニックと洒落込んでいた。


「母様、シュリエラはひとりであれに乗りたいわ」


金に近い黄銅色の髪をふわふわと揺らし、シュリエラは大木の枝から下ろされたブランコを指した。


夫人は4歳の娘が一人で乗ることに難色を示した。

大人が膝に乗せて一緒に乗ったことはあっても、一人で漕いだことはまだなかったからだ。

しかし、娘はひとりで乗ると言い張って、少しも諦める様子はない。

それで、まだ1歳に満たない下の娘を抱いた夫人は、溜め息混じりに言った。


「アラン、少し押してやってちょうだい」


突然の指名にアランは驚いたが、言われた通りブランコにシュリエラを乗せた。


別荘付きの従僕頭の息子で、従僕見習いだったアランは、シュリエラの兄に歳が近いからという理由でここに連れてこられていたが、当の少年は大人と川原の探索へ行ってしまっている。

それで、夫人はあぶれているアランに仕事を与えたというわけだ。


「アラン、早く早く!」

「お嬢様、決して手を離さないで下さいね」

「わかったわ!」


大きく返事をして、期待に頬を上気させたシュリエラが目を輝かせる。

アランはそっと、彼女の小さな背中を押した。


ブランコが揺れる。

前へ、後ろへ。


「もっと強く押してちょうだい!」

「……もう少しだけですよ」


再び押されたブランコは、先程より大きく前後に揺れた。


きゃあっ、と楽しげな声を大気に放ち、シュリエラが満面の笑みを見せる。

黄銅色の髪がなびき、陽光を弾いて眩しく輝く。

頭上には、澄み切った青い空。

広がる空に向かう、その光を放たんばかりの後ろ姿は、生命の力強さ、そのもの。


今、ここに生きる生命。

全身で生きていることの喜びを放つ、眩しいばかりの輝きだ。


アランは目を見張る。

心臓が早鐘を打つ。


世界は、生命に、輝きに満ちている。

そんなことを感じたのは、生まれて初めてのことだった。



満足してブランコから降りたシュリエラは、上気した頬のまま、降りるのを助けたアランに向かって言った。


「とっても! とっても楽しかった!」

「…………私も楽しかったです」


普段無口なアランの口から、思わずそんな言葉が漏れた。

シュリエラはパアッと顔を輝かせる。

ふふふ、とくすぐったく笑って、母である夫人の下へ駆け戻って行った。




アランは結局、富豪一家が滞在した二週間、毎日シュリエラのブランコ補助係となっていた。


歳の離れた兄には相手にされず、母は下の子中心の生活。

シュリエラは寂しかったのかもしれない。

いや、それはただの憶測で、ただブランコが楽しかっただけなのかもしれなかったが、アランはそれに付き合わされたのだった。


一家が別荘を去る日、シュリエラはアランに握った何かを差し出した。


「ご褒美よ」


手のひらに置かれたのは、小さなキャンディ。

淡い珊瑚色の包み紙に包まれたそれを、アランは仕事終わりに口に含んだ。

口内に甘く甘く広がる味は、不思議と心が温まる気がした。




その年から、毎年夏に別荘を訪れては、シュリエラはアランを指名してブランコを押させた。

滞在中、彼女から他の用事を言いつけられることはない。

ただ、『ブランコに乗るから、来て』と毎日連れて行かれるのだ。


そして、アランは彼女の背を押す。

そっと、優しく。


前へ、後ろへ。

彼女の背中が前後へ揺れ、黄銅色の髪が風に散る。

アランはそれを見詰めながら、シュリエラが満足してブランコを降りるまで、数十分間、黙って背を押す。

ただ、それだけ。


そして、決まって別荘を去る日に、シュリエラはキャンディを差し出した。


「アラン、ご褒美よ」


彼女の笑顔は、年々輝きを増した。



アランが成人した、16の夏。

富豪一家を待つ広間に並ぶと、別荘付きの従僕頭である父が、彼の前を通りながら言った。


「アラン、分不相応な夢を見るなよ」


正式に別荘付きの従僕になったアランは、先輩からのアドバイスだと思い、良く分からないまま、ただ首肯した。




アランがブランコを押すようになって、数年。

シュリエラは12歳になっていた。


夏のある日、お決まりのようにブランコのある大木まで連れて行かれ、アランはシュリエラの背を押す。

その重みに、彼女の成長を感じ、アランはふと口を開いた。

無口な彼が、話しかけられる前に口を開くなど、滅多にないことだ。


「お嬢様は、もうご自分でブランコを漕げるのでは?」


揺れるブランコから地面に足をつき、簡単にそれを止めたシュリエラがアランを振り返る。

その顔は、何故か傷付いたように、僅かに口元が歪んでいた。


シュリエラの顔を見て、アランはきれいだな、とぼんやりと思った。

まだあどけなさは多少残るが、やはり、彼女はもう誰かに背を押してもらわなければブランコに乗れないような、小さな子供ではない。


そんなアランの考えを打ち消すように、シュリエラはプイと子供っぽく顔を背けた。


「いいの! 押してちょうだい! 早く!」


その物言いも、小さな子供に戻ったようだ。


アランは首を傾げたが、言われた通りブランコを揺らした。

側に控えていたシュリエラの侍女が、大きく溜め息をついたのが聞こえた。




シュリエラが成人した16歳の夏。


例年通り大木の所に呼ばれたアランは、ブランコに座るシュリエラの後ろに立った。

彼女の背を押すタイミングを待つが、彼女は一向に地面から足を浮かせない。


「中央の新興貴族に嫁ぐことになったの」


ポツリと、シュリエラがこぼした。

その話は既にアランの耳にも入っていたので、彼は驚くこともなく、祝いの言葉を口にする。


「おめでとうございます」


シュリエラがパッと振り返った。

その顔は、いつか見たように口元が歪んでいたが、あの頃のようなあどけなさは少しも残っていなかった。


一拍おいて、彼女の顔が逸らされた。


「……私がいつか子供を連れて来たら……、その時は、アラン、またブランコを押してくれる?」

「はい。お嬢様がお望みなら」


アランの答えを聞いて、シュリエラは静かに立ち上がる。


「ブランコには乗らないのですか?」

「ええ。……もういいの」


乗り手のいなくなったブランコが、僅かに揺れる。

シュリエラは振り返らずに、侍女を連れて別荘へ戻って行く。

アランは少し間を空けて、後に続いた。



建物近くまで帰った時、シュリエラが立ち止まって振り返った。

握った手を差し出す。


「今日はキャンディを持っていないの。だから、これをあげるわ」

「……今日はブランコを押していません」

「いいの。……いつか子供を乗せてもらう時の、ご褒美よ」


そんな先のご褒美と言われても、アランは戸惑うばかりだったが、シュリエラはグイと彼の手のひらにそれを押し付けた。

手のひらに乗せられたのは、濃い珊瑚色の丸い石が付いた、耳飾り。


こんな高価なものを頂けないとアランは固辞したが、シュリエラは一度下賜かしした物を受け取りたくないと突っぱねた。

最後には、要らないなら捨てろとまで言われ、アランは仕方なくそれを自分の荷物の奥へ仕舞ったのだった。




年が明けてシュリエラは結婚し、その年の夏からは、シュリエラを除く一家が避暑に訪れた。

アランにブランコを押してとねだる者は、もういない。


ブランコは主を失ったまま、月日は流れて行く。



そうして5年が過ぎたある春の日、アランの耳に届いたのは、流行り病によるシュリエラの訃報だった。


シュリエラが嫁いで、既に何年も経っていたし、ここはただの避暑地だ。

別荘で働く人々は、彼女に対する哀悼と懐かしさを口にしたが、それもそう長いことではなかった。




その夏、富豪一家は別荘を訪れなかった。

新しく購入したという別の別荘に滞在するのだと聞いたが、その理由がここに飽きたからなのか、亡き娘の面影を見ることを辛く思うからなのかは分からない。


もしかしたら、このままこの別荘は売りに出されることになるのかもしれない。

そんな噂がまことしやかに囁かれている頃、彼女はやって来た。


「アラン、ブランコを押してちょうだい」


言ったのは、シュリエラ付きの侍女だった。

その腕には、金に近い黄銅色の髪を揺らす少女が抱かれていた。


「……お嬢様……?」


アランがそう口にしてしまった程、少女は昔のシュリエラそっくりだった。


「奥様の……、シュリエラお嬢様の忘れ形見よ」


侍女は涙ぐんで言う。


「だから、アラン。約束通り、ブランコを押してちょうだい」




アランは、久しぶりにブランコの側に立った。

別荘と周辺の管理に伴い、ブランコは季節毎に点検されている。

シュリエラの娘を乗せるのは、何の問題もなかった。


少女の背中を、アランは押す。


前へ、後ろへ。

また前へ。


ブランコは軽く揺れた。

それと共に、少女の黄銅色の髪が、陽光を弾いた。


その光の眩しさに、アランは目を細めた。


『きゃあっ』


シュリエラの光を放たんばかりの声が聞こえた気がして、アランは息を呑んだ。

不意に、頬を何かが滴り落ちる。

視界が滲み、黄銅色の光が彼の内から流れ落ちた。


小さな背中が、アランの手に戻る。

彼は、ただ黙ってその背中をそっと押し出す。


前へ、後ろへ。


ブランコは少女を乗せたまま、揺れ続ける。





その年の冬、別荘は売却されることが決まり、別荘付きの使用人達は、別の職場への紹介状を手に、殆どがこの地を去って行く。


アランは僅かな荷物の入った鞄を置いて、大木の側に立った。

ナイフを取り出し、ブランコのロープを切ろうと手を上げる。


不意に風が吹いて、ブランコが僅かに揺れた。


前へ、後ろへ。

頭上には、くすんだ空が広がっている。


アランはまるで眩しい光を見たように目をすがめ、ナイフを仕舞うと、揺れるブランコを止めた。


―――貴女は私の光でした。


心の中で呟いて、アランはブランコから手を離し、そのままこの地を後にした。




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この物語は、蜂蜜ひみつ様の『薄荷の滴』の中の一話、『ブランコ』にインスピレーションを得て創作したものです。

興味を持たれた方は、物哀しくも切ないこちらをご覧下さい。↓

(掲載の許可は頂いております)

https://kakuyomu.jp/works/16817330660651323865/episodes/16817330660651358874


尚、全くイメージ違うじゃないかと思われる方もいらっしゃると思いますが、妄想が膨らんでしまったので、あしからずご了承下さいませ。ペコリ。

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光の残像 幸まる @karamitu

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