後編
ヒバゴンは1日に数回、食べ物を持ってきてくれて、俺はそれをありがたく頂いた。
そして驚いたのは、ヒバゴンは俺を助けてくれた一匹だけじゃない。何体かの個体がいたのだ。
ある時ヒバゴンはいつものように木の実を持ってきてくれたのだけど、その時いつものやつとは違う別のヒバゴンが2匹、一緒にやってきたんだ。
「ガウガウ」
「バウバウ」
「ホーホー」
ヒバゴン達は何かを喋りながら、興味深そうに俺を眺めている。
3匹のヒバゴンに囲まれるのはちょっと怖かったけど、襲ってくる気配はない。それどころかむしろ、俺の事を心配してくれているようにも見える。
ありがとうなヒバゴン達。助けて面倒を見てくれるなんて、コイツら本当にいい奴だ。猿だけど。
そうして一週間ほどが過ぎ、ヒバゴン達のおかげで、体の痛みは完全に引いて、俺は立って歩けるようになった。
「治った……ヒバゴン、お前のおかげだよ」
「ガウガウー」
何を言っているのかは分からないけど、喜んでくれているのかな?
するとヒバゴン、俺の背中に手を回して押してくる。
「バウバウ」
「え、ついてこいって言ってるのか?」
「バウ!」
たぶんそうなのだろう。言われるがままに歩き出した俺は、一週間ぶりに洞窟の外に出る。
久しぶりに見る太陽の光が眩しかったけど、そんな光に照らされた外の世界を見て驚愕する。
外に出て初めて分かったけど、どうやらここはどこかの谷の中らしい。周囲を高い崖が囲っているけど、驚いたのはそこじゃない。
崖には俺が出てきたのと同じような洞穴がいくつもあって、そこから何体ものヒバゴンが出入りしていたのだ。
え、ひょっとしてあの洞穴の一つ一つが、ヒバゴンの巣!?
おそらく間違いないだろう。その証拠に谷の中では多数のヒバゴンが普通に歩いていて、挨拶でもしているのかバウバウと鳴きあっている。
ここはヒバゴンの集落ってことか。まさか幻と言われていたヒバゴンがこんなにたくさんいて、固まって生活していたなんて。
しかも更に驚いたのは、何体かのヒバゴンはこん棒のような道具を持っていたこと。
えっ、ヒバゴンって道具を使えるのか!? メチャクチャ知能が高いじゃないか!
次々と分かるヒバゴンの情報に、興奮を隠せない。
これほどの大発見、帰ってから公表したらきっと世間は大騒ぎするに違いない。そして俺はヒバゴンの発見者として、一躍有名人に。
楽しみだなー。
だけどここでふと思った。そういえばここって、いったいどこなんだ?
場所が分からないと、帰ることができないじゃないか。
ヤベ、どうしよう。せっかく世紀の大発見をしたのに、これじゃあどうすることもできないじゃないか。
そうだ、まずはこの谷から出る方法だけでも見つけないと。
やるべき事を決めて、歩き出そうとしたその時。
「バウ」
「わっ!?」
急に首根っこを掴まれて、歩くのを止められた。
痛てて、なんだよいったい?
するとヒバゴン、よく見たら何かを手に持っている。これは……植物のツルか?
「バウ」
「わ、何をするんだ!?」
ヒバゴンは何を思ったのか、そのツルを俺の首にくくりつけた。
苦しいほど強く絞めるわけではなかったけど、俺は首に縄をくくりつけられたみたいな、何とも変な格好になる。
そして首から伸びたツルを、ヒバゴンが持つ。
「えっと、これは……自分から離れるなってこと?」
「バウ」
「分かったよ。それで、どこに連れて行こうって言うんだ?」
「バウバウ」
そうしてヒバゴンに連れられてやって来たのは、谷の下を流れる川。水が美しく景色も綺麗だけど、こんな所に来てる場合じゃないんだけどなあ。
とはいえ命の恩人……もとい命の恩猿に逆らう気にもなれずに佇んでいると。
「おや、新人さんかな?」
「え?」
突然聞こえた人間の言葉。そして声のした方を向いた俺は、何度目か分からない驚きの声を上げる。
そこには俺と同じように、首にツルを巻き付けてヒバゴンに連れられた、人間の男がいたのだ。
髪はボサボサで、歳はたぶん30歳くらいか?
俺以外に人間がいたことにもビックリしたけど、それとは別にもう一つ、驚いたことがある。それは彼が一糸纏わぬ、素っ裸だったからだ。
「あ、あんた人間だよな? 何だよその格好!? どうして服着て無いんだ!?」
「ああ、これか。しょうがないだろ、服なんてとっくにボロボロになって、着れなくなったんだから」
「着れなくなった?」
「ああ。何年も同じ服を着続けていたら、ダメにもなるだろ」
「は?」
男が何を言っているのか分からなかった。
そりゃあ何年も着てたらそうなるかもしれないけど、いったいどうしたらそうなるんだ。着れなくなったのなら、新しい服を買えよ。
なんて思っていると。
「あら、新しい人が入ったのね」
「ああ、ヨウコさんこんにちは」
別の声が聞こえたと思ってそっちを見ると、今度はもうちょい若い女性の姿が。
そして彼女もまた下着すら身につけていなくて、しかも体を隠すことなく平然と立っているじゃないか。
うわっ! 何なんだこの人は!? 俺は女性の体を見ないよう、慌てて後ろを向く。
「ちょ、ちょっと。見えてますよ! 早く服を着て!」
「ああ、来たばかりの人の反応だ。あたしもね、そうしたいのは山々なんだけど、その服がもう無いからねえ」
「ほんとほんと。素っ裸で外を歩くなんて、最初は死にそうなくらい恥ずかしかったけどさ。今ではすっかりこれが当たり前。慣れって怖いよなあ」
意味不明な事を言う二人。お前ら痴漢と痴女かよ!?
すると男の方が、ゆっくり語りかけてくる。
「君は驚いたと思うけどね。ここではこれが普通なんだ。俺達もここに迷い込んできた時は普通に服着てたけどさ、帰ることができずに何年もアイツらのペットになっているうちに、気づけばこの有り様だ」
「は? 帰ることができない? つーかペットってなんだ?」
「どうやらあの猿たちの間では、人間をペットにするのが流行っているらしいんだ。時々迷い込んでくる人間を捕まえて、ペットとして飼っている。俺も彼女も元は遭難者なんだけど、奴らに助けられて、今じゃすっかりペットだよ」
「ペットって、そんな……」
んなバカな話があるか。こっちは人間様だぞ。何が悲しくてヒバゴンのペットにならなきゃいけないんだ。
てことは俺を助けてくれたのも、ペットにするためだったのか。このツルは、犬につけるリードかよ!?
「じょ、冗談じゃない。ペットになんてなってたまるか! 俺は帰る!」
俺はツルを取ろうと首にに手を持っていったけど、それを二人が慌てて止める。
「バカ、やめろ。滅多な事を言うんじゃない」
「そうだよ。あの猿たち、逆らわなくったら大事にしてくれるけど、逃げ出そうとしたら容赦なく襲ってくるんだから」
「えっ?」
襲うって、あのヒバゴン達が?
「前に君のように逃げようとした人がいたんだけど、そいつは……」
「お願いだから、逃げようなんて考えないで。人が無惨に殺されるのなんて、見たくないのよ」
こ、殺される!? コイツら今さらっと恐ろしい事を言ったぞ!
しかしこの様子だと、嘘を言っているようには見えない。もしかしたら俺、とんでもない所に来てしまったんじゃ。
「ま、待てよ。それじゃあ、家には帰れないのかよ。一生ここで暮らさなきゃならないって事か!? あんたらはそれでいいのかよ。あんな猿のペットとして、生きていくなんて」
「仕方ないだろ。逆らって殺されるよりマシだもの」
「うん。それにね、考えようによっては悪くないよ。だって食事は毎日貰えるし、運動もさせてもらえるんだもの。働かなくてもいいし、慣れたら案外快適だから」
なんて言ってるけど、冗談じゃないぞ。一生猿のペットでいるなんて、俺はごめんだ。
そして何が恐ろしいって、コイツらが本当にこの状況に、慣れてしまっているということ。
コイツらだって当然、最初からペットとして生きていくことを受け入れてたわけじゃあるまい。にも拘らず今ではこれが当たり前になってしまっているんだ。
慣れとは本当に恐ろしい。もしもこのままペットにされたら、いずれは俺もそれを受け入れてしまうかもしれない。
そうすれば確かに悩まなくてすむし、生きていけるかもしれないけど、そんなものはもう人間じゃない。猿以下の動物になり下がれってことじゃねーか。
そうなった自分を想像するだけで、ゾッとして背筋が寒くなる。
すると話をしている俺達の前に、一匹のヒバゴンがやって来て、ポイッと何かを地面に転がした。
「ガウッ」
「おお、木苺。くれるんですか? ありがとうございます!」
「これ旨いんだよねえ。新入り、アンタも食べなよ」
言うや否や、二人は地面を這うようにして、転がった木苺をムシャムシャと食べ始める。それはもう、とても美味しそうで幸せそうな笑みを浮かべながら。
だけど俺は、それに手をつける気にはなれなかった。
人としての尊厳を忘れて、まるで獣のように木の実を貪り食う男女と、それを眺めながらガウガウと笑うヒバゴン達が、あまりに不気味だったから。
ペットになれば俺もいつか、こうなってしまうっていうのか……。
「い、嫌だ。家に帰れないのも、ペットになるのも。誰かー、助けてくれー!」
絶望の声が、谷に空しく響く。
広島県の比婆山にいるとされる、伝説の類人猿ヒバゴン。
それは山で迷った人間を拐ってペットにしてしまう、恐ろし猿達だった。
了
ヒバゴン 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます