2、カナヤの決断

 とにもかくにも、カナヤは心の底からの安堵だった。


(よ、良かったぁ……)


 テオは決して、嫁の不出来さに悩んではいなかったのだ。

 当然、嫁の放逐ということにも考えは至っていないに違いないのだが……カナヤはわずかに首をかしげる。


 安心して、冷静さが戻ってきたのだ。

 どうでもいいなどと考えることにもなったが、それよりもカナヤの脳裏にあったのは彼の発言の内容である。


(探し人で、女性の魔術師?)


 さすがに連想されるものがあったのだ。

 テオは変わらずの様子で、言いにくそうに口を開いた。


「その……なんと言いましょうか。色々と……そう、色々とありましてな。女性の魔術師殿に危ういところを助けていただきまして。ただ、彼女は名乗ること無く立ち去ってしまったわけでして」


 カナヤは「あぁ」である。

 に落ちたのだった。

 彼が言い淀んでいたのはそれがエラルドにまつわる話だからだろう。

 万が一にも、娘に父親の汚点、蛮行が伝わるのはしのびないとして、気遣いをしてくれたに違いなかった。


(優しい人ですねぇ)


 この好人物が夫であると思うと、何やら不思議な感慨深さがあったのだが、それは当然気のせいだとしてともかくである。

 

(気にされていたのですね)


 これまた彼らしいのだった。

 すでにあの日から10日が過ぎているのだが、受けた恩を簡単には忘れることは出来ないらしい。

 テオはカナヤに首をかしげて見せてくる。


「なにか心当たりはありませんか? あれば、是非ともお聞かせ願いたい」


 もちろん、カナヤには心当たりがあった。

 当人であれば当然である。

 ただ、口にするつもりはまったく無い。

 何故、助けてくれたのか? 

 そう問われてしまうと、色々と恥ずかしい思いをしてしまいそうな気配が濃厚以上に匂い立っているのだ。


 知りません。

 その一言で良かった。

 しかし、カナヤはその一言を口には出来なかった。

 なんといってもテオの様子だ。

 彼の灰色の瞳には、相当な切実の色があった。

 どうか手がかりをくれはしないかと、その双眸そうぼうは強く物語っていた。


(そ、そこまでということですか?)


 そこまで見つけ出したいということなのかどうか。

 そこまで恩を返したいということなのかどうか。

 彼の執心しゅうしんは相当なものに違いなく、名乗るつもりの無い当人としてはどうにも申し訳ない思いをさせられた。


「……べ、別によろしいのでは? 名乗らなかったということは、見つけて欲しくはないという思いの表れでは?」


 心変わりを期待しての声かけである。

 だが、テオはそれが期待出来るような様子を見せなかった。深く眉根にシワを寄せ、首を左右にした。


「いえ、そういうわけにはいかないのです。これはまったく、それで済ませて良い問題では無いのです」

「そ、そうなので?」

「はい。ですが、学院の知人に相談しても心当たりは無いとのことで、それ以外でも八方手を尽くしてはいるのですが……うーむ」


 彼の意識はもはや食事には完全に無いようだった。

 腕組みをして、悩ましげに眉をひそめている。

 その様子に、カナヤは逆に心変わりだった。


(な、名乗った方が良いのでしょうか?)


 あまりに申し訳なく思えたのだ。

 この分であれば、彼はきっとこの先もくだんの魔術師を探し続けるだろう。彼の時間、労力を無駄な行いに費やさせてしまうことになってしまうのだ。


 それはカナヤの本意では無かった。

 多少恥ずかしい思いをするかもしれないが、これはもう仕方が無かった。

 よ、よし! と胸中で気合を入れる。

 意を決して、カナヤは言葉を紡ぐべき息を吸い込む。


「……ふぅ。あ、あの……っ!」

「はいはい。お待たせいたしました」


 カナヤは口を開いた姿勢で固まることになった。

 理由は、突如の闖入者ちんにゅうしゃにある。

 いや、闖入者とするのは失礼だった。

 登場したのはいつもの侍女殿であり、両手にはそれぞれに湯気を立てる深皿ふかざらがあった。

 出来上がった麦粥むぎがゆを運んでくれたに違いなかったが、その彼女はカナヤの様子に大きく目を丸くした。


「……えー、お邪魔だったでしょうか?」


 これに応じたのはテオである。

 腕組みを解き、軽く首をかしげた。


「いや、そうでは無いと思うが……カナヤ殿?」


 真剣な目をしての問いかけだった。

 何か情報が得られると期待しての眼差しであり、事実彼にとって有益極まりない情報をカナヤは口にしようとしていたのだが、


「な、なんでも無いです! あの、すみません!」


 侍女の登場で気合は見事に空消費されてしまったのだった。

 どうしようもなく口をつぐむと、今度は侍女が首をかしげた。


「何やら妙な雰囲気ですが、む? まさか、またでしょうか? ふさわしき嫁ぎ先をなどと、また妙な話を?」


 あの日──再嫁さいかの話を耳にして以来、どうにもテオに不信感を抱いているらしい侍女殿なのだった。

 ただ、今回は何も関係は無く、テオの反応はやや慌てつつの否定であった。


「ち、違う! あの話は当分先送りと言うか、もはや話題にするつもりもないが……アレだ。私の探し人についてだ」


 少しばかり深い意味を探りたくなるテオの発言の前半だったが、カナヤはひとまず後半について意識を向けた。

 どうやら、侍女はすでにこの話題を聞かされていたらしい。「あぁ」と納得の頷きを見せる。


「そのことでしたか。奥様に手がかりを尋ねておられたと?」

「その通りだ」

「そうでしたか、そうでしたか。しかし、ご執心しゅうしんですね。良いではありませんか。本人に名乗る気が無いのであれば、そっとしておいて差し上げれば」


 深皿を配膳はいぜんしながらの、侍女のそんな提言だった。

 気合の貯蓄に苦労していたカナヤは、思わず同意の頷きである。


(そ、そうです! それが一番平和ですとも!)


 是非とも心変わりして欲しいのだったが、現実はそうはいかないようだった。

 テオは気難しい表情をして、軽く首を横に振る。


「だから、そういうわけにはいかないのだ。この国の貴族の1人として、かの魔術師殿が在野ざいやの存在であればそのままにはしておけん」


 カナヤは「ん?」だった。

 謝礼をするために探し当てようとしている。

 てっきりそう思っていたのだが、どうにもそうとばかりは言えない様子だった。


「あの、貴族の1人としてというのは……?」


 尋ねかけると、彼は険しい表情のままで答えてきた。


「かの魔術師殿の実力はいっそ異常とも言えるものでした。烈火を操り、学院出身の魔術師を子供の手をひねるように一蹴して見せたのです」


 カナヤは「は、はぁ」だった。

 あの程度が異常とも言える実力なのか疑問であったが、とにかくまだ話の筋が見えない。


「その魔術師殿に異常な実力があったとして、それがどうされたので?」

「仮に、かの人が王家に仕えていれば……宮廷魔術師として存在していれば、その意味は非常に大きいのです。この国の魔術の水準は恐ろしい高みにあると諸外国に思わせることが出来ます」


 カナヤも一応は貴族の娘である。

 あぁ、と頷きを見せることになる。


「外交に寄与きよするところが大きいと?」

「この国には学問でも軍事でも決してかなわない。そう思わせることが出来るのは、計り知れない国益となります」

「ですからお探しに?」

「もちろん個人的にお礼したい思いはあります。ただ、貴族の1人としてはやはり……」


 国益が、国民の安寧あんねいが第一である。

 きっと彼はそう言いたいに違いなかった。

 カナヤは「ふーむ」である。

 やはり好人物だと感心することになったのだが、一方で「うーむ?」でもあるのだった。


(これは……どうなりますかね?)


 自分がその当人であると名乗り出たらどうなるのか?

 当初の想定では、恥ずかしい思いをすることは確定だった。

 そして、何となくではあるが悪いようにはならないような気もしていた。テオからの称賛と感謝は間違いなく、あるいは何かそれ以上の感情表現も期待出来そうな気がしないことも無かったのだ。

 だが、テオの胸中を知ると、どうにも想定した程度でことが収まるとは思えないのだった。


「……では、えー、無事にその魔術師殿に出会えましたら、やはり王家へ紹介を?」


 テオはもちろんと頷く。


「それはもう、無論です」

「本人が嫌がっても?」

「説得を尽くしたいと思います」

「……旦那さまの力にこそなりたいとの申し出があっても?」


 テオは苦笑を浮かべた。


「そんなことはまず無いかと思いますが……まさにサルニア伯爵には過ぎたるものでしょうからな」


 拒否して、王家へ紹介する。

 それがテオの意思であるようだった。


(……ふむふむ)


 現状がよくよくである。

 よくよく理解出来たのだった。

 カナヤが思わず頷いていると、テオはにわかに真剣な表情を見せてきた。


「しかし、カナヤ殿? 先ほど何か口にしかけておられましたが……魔術師殿についてまさか?」


 考えることになった。

 自分は彼の誠実な思いにどう答えるべきか?

 答えはひとつだった。

 カナヤは笑みでテオに応じる。


「いえ、まったく。まったく欠片も存じ上げておりませんとも、えぇ」

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実は至高の魔術師である公爵令嬢は、嫁ぎ先でようやく力を貸したい相手に巡り会えたようです。 はねまる @hanemaru333

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