『溜め込んだ睡眠薬の夢』

小田舵木

『溜め込んだ睡眠薬の夢』

 人生ってヤツに絶望していた。俺には明るい未来なんぞありはしない。

 考えれば考えるほど手詰まりした人生。

 この先に希望がないなら、いっそ身を処してしまおうか。こんな事をよく考える。

 前にロープを買った。でも俺の部屋にはロープを吊り下げるだけの高さがない。

 簡単に自殺出来る方法は何か無かろうか?こんな事ばかり考える日々が続く。

 

 ある日。心療内科に行った。そこで眠れない日々が続いていると訴えたら、睡眠薬を処方された。と。言っても効果は薄いタイプ。短時間の睡眠を導入するタイプの薬剤。

 一般に流通する薬はオーバードーズ過剰服薬しても、死には至らないと聞く。

 だが。酒と混合したらどうだろう?こんな事を考えちまった。

 それから、俺は睡眠薬を溜め込むようになり。1ヶ月分溜まったところで今回の実験の準備は整った。

 

 俺は1ヶ月分の睡眠薬とスパークリングワインを用意して。

 ついでに軽くツマミも用意した。胃に内容物をいれて置くことで睡眠中の吐瀉物ゲロ誤嚥ごえんからの窒息を狙ってみようと思ったのだ。

 ハムをツマミにスパークリングワイン。久しぶりの酒は回るのが早い。

 酔って寝ちまう前に、睡眠薬を飲む。

 しばらくは意識が続いた。だが、そのうち酔いと薬効がミックスされたなんとも言えない眠さが襲ってき。

 足腰が立たなくなった俺はいながらベッドに移る。そしてなんとか身体をベットに転がす。

  

                  ◆


 ベッドのマットレスが沈む。俺の身体はどんどん下に落ちていく―まるでベッドに底がないみたいに。

 いや。俺は今、何処かに沈んでいっているのだ。身体が妙な重力に支配される。

 まるで水の中に居るみたいだ。なんだか周りが冷たい。

 俺は下がり続けるまぶたを開ける。すると。ボヤケた水中が目に入ってきた…ああ。俺は今、水中に居るのだ。深く深く沈みこんでいっている。

 

 沈みゆく俺。不思議と息は苦しくない…これじゃ意味がないじゃないか、そう思うが。

 なんとも心地よい脱力感に襲われていた。強張った身体は弛緩しかんする。そこには、えも言えぬ快楽がある…

 視界を回せば。あたりには魚がいて。ああ。俺はこいつらのエサになるんだなあ、と思う。

 こういう時には走馬灯が回るもんだと思ったが、そうでもない。ただ、意識はクリアに研ぎ澄まされていく。

 

 身体が水底につき。俺はその岩盤の上に寝転ぶ。

 相変わらず身体は弛緩していて言うことを聞かない。

 そこにクリアな意識が付け加わる。なんと言うか暇…と言うか死ってこんなモノなのだろうか?

 周りには魚がいて。俺の事を興味深げに覗いてくる。おう。見せもんじゃねえ。死んだら身体をくれてやるが、まだ死んじゃいない。

 

 魚の1匹が俺の方にこわごわ近寄ってくる。その魚はなんとも醜い見た目で。ギョロっとした大きな目玉が気色悪い。

 その濁った目は俺を熱心に眺めている。まるで獲物の品定めをするように。

 こんな時に言うのも何だが、食っても美味くねえぞ、俺。声は出ない。声帯が震わない。力が入らないのだ。


 醜い魚は意を決したらしい。ついに俺のスネをつつき始めた。痛覚も弛緩してしまってるのか、鈍い感覚だけが伝わってくる。

 醜い魚は最初はつつくだけだったが、そのうち噛み付いてくるようになる。

 水中に赤い帯が漂う。俺の血だ。だが、痛みはまだない。

 その赤い帯に誘われ辺りの魚が集まってきて。俺の身体に群がりだす。

 全身を魚どもに突かれ、噛まれる。少し身体がかゆい。

 俺の身体は少しずつ食い荒らされていく。どんどんと身体は傷だらけになる。そして最後には頭を残して身体は全部食われちまった。骨だけが残ってる。

 それなのに痛覚はなく、意識だけはクリアで。

 ああ。コイツは夢なんだな、そう思う。睡眠薬の眠りって普段は夢を見なかったけど。

 

 頭を水底に転がしていると―突然。吐き気に襲われる。コイツは状況と矛盾してるぜ。今、俺の胃や腸は魚の腹の中なんだぜ?なんで吐き気がするんだよ。やっぱコイツは夢だ。

 俺は久々に身体に力をいれ。起き上がる。骨だけで。そして水底を蹴って。

 水中を上ろうとする。だが。骨が重い。中々うえの方に上がっていけない。

 俺は水中でもがく。すると骨はきしんで嫌な音を立てる。

 結局。俺は水底に沈んでいく。

 

                 ◆


 目が覚めた。体中汗びっちょりで。まるで水底から上がってきたみたいだ。

 吐き気がする。ついでに便意もすごい。このままじゃベッドが汚物塗れになっちまう。

 身体に力を入れるが。全然言うことを聞かない。全身が弛緩しちまってる。

 ベッドのヘリを掴んでなんとかフローリングに転がりだし。這うように部屋からキッチンへ、そして便所に向かっていく。

 

 まず吐くか、クソをするか迷ったが。とりあえずは無理やり便器に座って。

 汗まみれの身体で気張るとものすごい勢いで下痢が出た。ああ、慣れないワインを呑んだせいだな。

 身体はなんだか冷えている。汗をかきまくっているのに。寒い。

 しばらく便器の上の住人だったが、そのうち物凄い吐き気が全身を走り。便器に座ったまま吐いてしまう。眼の前には胃液の黄色が目立つ吐瀉物。吐瀉物の中には消化出来てないハムが混じっていた。ああ。コイツを始末せにゃならんのか。

 

 なんとかケツを拭いて。俺は眼の前の吐瀉物をトイレットペーパーで始末する。

 が。消化不良気味のゲロは水分だけで構成されていない。仕方がないから手で掬ってトイレに流した。


 クソをして吐いちまうと少しは気分がマシになる。

 風呂場で手を洗って。そのままフラフラする身体で部屋のベッドに戻り、身体を横たえて。

 相変わらず汗は止まらない。そして身体は妙に寒い。体温がガンガン下がっている。

 だが。眠気はそのうちにきた。俺は眠りの方に意識を渡す。

 

                  ◆


 

 俺は砂漠を歩いていた。体中から汗が吹き出す。

 頭の上には照りつける太陽。ああ。水分が恋しい。

 あごから汗がしたたり落ちる。砂の上に落ちたそれはあっという間に吸いこまれていく。


 四方が砂に囲まれている。俺は砂漠の真ん中で迷子になっていた。

 その上、装備は貧弱なものだ。だって寝間着のスエットなんだもの。

 俺はそのスウェットを脱いで。パンいちになる。これで少しは涼しいか?と思ったが。素肌を焼く太陽は容赦がない。火傷しそうになったのでスウェットをもう一回着直して。

 

 俺は歩き続ける。砂漠を。行く先は分からない。だがとりあえずは水が欲しい。

 現実は非常である。こんな砂漠の真ん中にオアシスなどありはしない。

 踏みしめる脚。砂に沈みゆく足の裏。ズブズブと俺を砂の底に沈めようとしているかのようだ。


 俺はしばらく歩くとほとほと嫌になってきて。その場で寝転んじまう。

 背中に当たる砂は焼かれたように熱くなっていて。

「痛ぇ!」と叫ぶが。もう起き上がる気すらしない。

 眼の前には青い空。そして太陽。このまま俺はこの砂漠で干からびて死ぬのだろう…なんて思った。その時、周りでカサカサという音がして。

 顔を横に向けて見れば。砂の上をサソリが這っていて。サソリ毒って人を殺すっけ?

 かのサソリは俺の腕の方に這っていく。そして何故か知らんが刺していく。

 刺された瞬間、俺の身体に痒みが走り。そのうち息が苦しくなって。

 ああ。俺は砂漠の真ん中で死ぬんだなあ、と思う。

 身体が弛緩していく。死のうとしているのに弛緩している。そこには安らかさがある。

 目の前の太陽がだんだんボヤケていく―

 

                  ◆


 また目が覚める。今度は喉がカラカラだ。唾を飲み込もうとしたが口の中がかわき過ぎている。

 ベットから起きて。カーテンの方を眺めれば、太陽がさんさんと輝いていて。

 ああ。朝まで眠っちまったなと思いながら、キッチンへ向かう。そして水を飲む。

 これが妙に美味い。渇いた身体に沁みる。立て続けに3杯飲んじまった。

 水を飲み終えると俺はベットに転んで、スマホを眺める。時刻は8時。そろそろ勤め人が出かける時間だ。この時間帯は憂鬱だ。勤め人時代を思い出すからだ。


 俺は仕事をしている内に鬱のような状態になってしまった。

 別にブラックな環境ではなかった…訳ではないが。とりあえず頑張りすぎたらしい。気がついたら何もする意欲が湧かなくなっていた。

 そこから転げ落ちるように休職し、2ヶ月の休職期間を過ぎると解雇された。表向きは自主退職だが、本当は人事部のお偉いさんと直属の上司に辞めるように迫られての退職だ。

 その時。俺はほとほと自分に絶望した。あんな詰まらない仕事もこなせないようになるとは。俺は本当、弱い人間なのだ。

 

 ああ。やばい。また気持ちが沈んできた。

 とりあえず心療内科でもらっている薬を飲んで。そのついでに余っていた睡眠薬を飲む。実験とは別に取っておいたのだ。

 薬を飲むと、俺はベッドの上でスマホを眺める。動画アプリで猫や犬の動画を眺める。

 鬱のような状態になってから人が苦手になった。動画越しでも駄目だ。人の声がするとなんだか嫌悪感を覚えてしまうのだ。

 

 柴犬の動画を眺めていると、睡眠薬が効いてきた。

 眠気が俺を包み込む―

  

                   ◆


 眼の前に柴犬がいた。どうやらオスらしい。股間にやたらでかいモノがぶらさがっている。

 そいつはハアハア言いながら俺を見つめていたが、突然うなりだした。

「ぐぅるるるる」怒っているのだろうか?しかし、何に?

「ばうばう」と彼は怒りながら俺の周りを回りだし。

「なんだよお。何もしてねえだろうが!」と俺は怒鳴るが。

 彼は俺に飛びかかってくる。そして腕の辺りに噛み付く。

「痛ぇ!」と叫ぶが。犬は噛み付いた腕の中で「ぐぅるる」と唸っている。

 俺は空いた方の腕で殴りかかる。いたいけな犬をシバくのは趣味に合わないが、噛まれてるんじゃ仕方ない。

「ギャン」と鳴いた彼は腕を放し、後ろに後ずさり。

「ぐぅるるる…わん」と鳴く。何かを必至に訴えようとしているのか?でも俺には犬の心理を読むことは出来ない。

 俺と犬は一定の距離をおいてにらみ合う。しばらくそれは続いた。

 犬の方は最初の方こそ俺を見て唸っていたが、飽きたらしく。その場にお座りをして俺の方を見つめてくる。

 その黒い目は。誰かに似ていた。

 ああ。分かった。あん時の会社の後輩だ。アイツは生意気な奴だった。先輩である俺に何かと突っかかってきていて。


「それだから先輩は駄目なんすよ」後輩は呆れ顔で言う。

「知らねえよ。ここで俺が詰めても意味ねえだろうが。後は上司に任せようや」俺は呆れて言う。俺に今以上の事を求められても困る。

「これはチャンスなのに?」この案件の費用面の話だ。この手のカネが絡む話は上長の職掌しょくしょうなのだが。

「チャンスだろうな。でも。ココを削ったら現場に影響出るし…上長に任せてしまった方が話がまとまり易い」コイツは野心的だから面倒くさい。さっさと俺より先に出世してくれ。

「これだからアンタは」あの目。軽蔑するような目。獲物として喰らって上に行こうとする目。

 

 柴犬は俺を侮った目をしている。そう、あの後輩みたいに。

 犬は群れを作る生き物だからその構成員に常にランク付けをしている。

 そして俺は今、コイツにコイツ以下だと判断されたらしい。

「けっ」と柴犬は息を吐き捨てて。

「ああん?」と俺は彼に怒りをぶつけてしまう。何だ、コイツ。

「ばうっ」と彼は俺にアホちゃうかの鳴き声を浴びせる。

「…教育したらあ」と俺は彼に飛びかかる。

 

 醜い喧嘩が始まった。柴犬対俺。それはもみ合いで。

 柴犬は俺に噛み付く。それを俺は殴りながら振り払う。

 柴犬は諦めずに俺に食いかかってきて。俺の身体の至るところが噛まれる。

 出血していく内に意識が薄れてくる…ああ。俺は柴犬以下の戦闘力しかないのだ。こりゃナメられるな。

 

                   ◆


 なんだかよく分からない感情と共に目が覚める。

 部屋は暗い。夜になっちまったらしい。

 俺はベットの上で呆然とする。そして身体がまた汗に塗れていることに気づいて。

 風呂場にいってシャワーを浴びる。ベタつく身体を洗う。

 いやあ。職をサボっている内に太っちまった。洗面台の鏡で顔を見ると見事に膨れていて。これは醜い。嫌になって顔をらす。


 風呂から上がると部屋でスマホを覗き込む。時刻は21時。この時間帯になってくると気楽だ。もう日勤の人間は仕事を終えている。

 腹が減った。そう。一日腹に何もいれてないのだ。

 

 俺は家を出るとコンビニに行き。そこで外国人労働者にクソみたいな接客をされる。ここでもナメられてる。まったく。俺は情けない人間なのだ。

 家でアホみたいに脂っこい弁当を食べると。また眠気が俺を襲い。

 とりあえずベッドに寝転んでしまう。

 

                   ◆


「なんでアンタは最後までがんばれないの?」コイツは母の声。

「お前には堪え性がない」これは親父の声。

 俺は実家の居間でこってり絞られている。

「病気になっちまったから…」消え入るような声で俺は言い。

「そんなの言い訳に過ぎない。心なんて気の持ちようでしょうが」母は詰る。

「その気がね…湧かない」

「湧かせてみれば良いじゃないか」面倒くさそうに親父は言い。

「無理だよ」と俺は抵抗してみるが。二人揃ってヒステリーを起こしてしまった。

「私はこんな子に産んだ覚えはない!!」母は叫ぶ。

「俺だってこんな甲斐性なしの種をいた覚えはない」親父は言い訳がましく言って。

 

 俺は居間で怒鳴られつつもぼんやりとしていた。何処かこの状況は現実ではないと思いながら。

 だって本当の俺の親は。妙に理解が良かったからだ。心の病気になってしまったと告げた時も、

「仕方がない」と言っただけだった。


「ああ。なんで私はこうなの?なんで子どもがこんなのなの?」彼女は叫んでいる。そこには滑稽さがある。どこかデフォルメされた感情を表出させているからだ。

 俺はその場でニヤついてしまう。そんな事したら彼女の怒りを増幅するだけと分かりながら。

「何ニヤついてんのよ!!馬鹿にしてるの?」彼女は叫ぶ。俺に。

「別に」俺は返すが。

「腹が立つ。せっかくこの世に産んでやったのに!」現実の彼女が言いそうにない台詞。むしろこういう物言いをされた方がスッキリしたかも知れない。死ぬのに躊躇ちゅうちょが無くなったかも知れない。

「産んでくれとは頼んでないぜ」と俺は言う。こういう時のお決まりの台詞。

「この恩知らずっ」彼女は俺に飛びかかってくる。現実の母はここまでアグレッシブじゃない。

 その手は俺の首に回って。俺の気道は塞がる。

 抵抗はしない。どうせ夢だからだ。

「今から殺してやるっ」彼女は言う。ああ、滑稽だ。いつも見てる刑事ドラマみたいな台詞吐いちゃって。

「ああ。頼んだぞ」と親父は言っている。止めろよ馬鹿野郎。そうやって子どもの事は何でも母に任せるんじゃねえぞ。


 俺の意識はまたもや遠のく。

 今回は親に殺されるか。ある種本望だが。実際のところはそんな迷惑かけたくはない…

 

                   ◆


「スッポコペンペンポン…ポンポポ」スマホが鳴り響く音で俺は目覚めて。

 スマホを探して画面を見ればそこには母の名が。面倒くさいがとりあえず出る。

「…もしもし」

「私。ねえアンタ一昨日から電話出ないけど何かあった訳?」彼女は怪訝そうに言う。

 俺はカーテンの方を見やる。朝だ…だが、一日ズレているらしい。

「いやあ。睡眠薬ガバ飲みしてた…」なんて正直に言わなくてもいい事を言ってしまう。

「はあ?アホじゃないの?」彼女の呆れは電話越しにでも伝わってくる。

「アホなんです」と俺は応えて。

「あのね。一般人が手に入れられるような薬はいくら飲んでも死なないよう設計されてるもんよ」

「さいでございますね」うん。この身で実証したからね。

「とりあえず。様子見に行くから」

「いいよ。来なくて」

「自殺未遂するようなヤツには説教しなならん」

「あ、バレた?」

「アンタ…勇気ない割に行動力あるから…」

「ね。本当に死のうと思うなら、首吊りだよなあ」

「絶対しないで…うん。様子見に行く。弁当持ってきてあげるから」

「へいへい…」


 かくして。俺の自殺実験は終わった。結果は当然死ねず終い。

 みなさん。薬のオーバードーズはやめましょう。睡眠薬程度なら死にたくても死ぬ訳ないから。

 とりあえず。母と父に会う準備をしなくちゃな…

 

                    ◆


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『溜め込んだ睡眠薬の夢』 小田舵木 @odakajiki

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