『この子のお代はおいくらですか。』

「――すみません! 少しお時間いただけませんか!」


 平日の昼日中。街は今日も、いつもと変わらず道ゆく人々で溢れかえっている。それぞれがそれぞれの向かう先へ、脇目も振らずに歩いている。

 その中に、一人の女性がいた。腕の中にたくさんの紙を抱えているその人は、自分の傍を通り過ぎる人に懸命に呼びかけ、少しでも注意を引こうとしていた。


「――娘が行方不明なんです! なにかご存知ではありませんか!」


 女性は紙を一枚差し出しながら、通行人に問いかけ続けている。ほとんどの人は無視するか、受け取った紙をポケットに突っ込んで立ち去る。足を止めて耳を傾けたり、道の端で受け取った紙を眺めたりはしない。

 みんな、自分のことで精いっぱいで、他人に構っている暇がないのだ。


 それを悪だなんだと野次を飛ばすつもりは毛頭ない。きっとこの女性も、全部わかったうえでこうしているのだろう。

 人には人の人生があって、その時間は決して無限ではない。ゆえに人間は、その限られた時間を自分の幸せのために使う。――なにも、不思議ではない。


 ――だからこそ、自分のような人間は、目の前の出来事から目を逸らしてはならないのだ。


「あ、あの! 娘が行方不明で――なにか心当たりはありませんか?」


 女性の方に向かって歩みを進めれば、それに気づいた彼女が問いかけてくる。

 差し出された紙を受け取ってそれを眺めれば、流れ込んでくるのはいなくなった娘さんの情報だ。


 当然ながら、知らない人間だ。この娘とは、会ったこともなければ話したこともない。

 道端で見かけたこともあるはずがなく、残念ながら今ここで女性に伝えられることはなにもなさそうだ。


 だが、それは別に大した問題ではない。行方不明案件自体も、自分にとっては珍しいものでもなく、何度かこういった事件に関わったこともある。

 早い話、見つけ出せばいいのだ。


「いなくなったのは……ほんの数日前、ですか」


「そうなんです……。その日、娘は夜になっても帰ってこなくて……学校に連絡したら、授業が終わった時間にはたしかにいたそうなんですが……」


「授業が終わってから、家に帰るまでの間、か。警察に連絡は?」


「娘が帰ってこなかった日の夜に届出をして、今も捜してもらっているんです。でも、今のところなんの進展もないそうで……」


 聞きながら、いなくなった少女を探す算段を立てる。警察がすでに動いているのならば、『表側』はそちらに任せたほうがいいだろう。

 星の裏側までは目が行き届かないとはいえ、彼らは人々が思っているよりも優秀だ。少女が裏世界に迷い込んでいないのなら、警察が見つけてくれるはずだ。


 ならば、自分が探るべきなのは、その裏側。現実を生きる者たちには決して見ることができない『非現実』の世界。

 可能性は低いかもしれないが、それでもゼロであるとは言い切れない。ゼロでないならば、捜索する必要性は十分にある。


 そうしてこれからの行動をシミュレートし終え、女性の方に向き直ってから告げる。


「わかりました。少し、気にかけてみます」


「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」


 深々と頭を下げて、また呼びかけに戻った女性を視界の端に捉えながら、男は再び歩き出した。

 ユイ・ルミエール。それが男の名前。今日の仕事は、いなくなった少女を捜して母親に届けること。


 引き受けた依頼は、正式なものではない。ゆえに得られるものはなにもなく、ユイはただ善意でこの仕事を請け負ったことになる。

 もっとも、ユイはそんなことは意に介してもいない。これは、善意の心をもっていながら、他人に構う余裕のない者に変わって遂行するものだからだ。


 そして、そんなことを考える必要もない。

 ユイ・ルミエールのような人間にとって、こうすることは自身に課せられた使命なのだから。




 ※※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※




 ――ユイ・ルミエールは『公社』という組織に所属し、日々世に溢れる『非現実』と対峙している人間だ。

 普段は相棒のシエル・リアステッセイと行動を共にしており、『現実』と『非現実』の均衡を保つために世界中を飛び回っている。


 『公社』に届けられる依頼をこなすことも、その均衡を保つために必要なことだ。それらの積み重ねが、『公社』の最終目的である『宿敵の討伐』、それを達成することにも繋がる――とは、直属の上司であるセラの言い分だ。

 もっとも、あの様子でそう言われても、説得力はないのだが。


 千里の道も一歩から。とにかくユイは『公社』のメンバーとして、宿敵討伐のために、それ以前に日々を生きていくために、依頼を引き受けたり街の中を調査したりして毎日を過ごしている。

 決して『普通』とは言えない毎日だが、ユイは今のこの生活を好ましく思っている。


 ――話は元に戻り、ユイはいなくなった少女を捜すため、自身の『能力者』としての力を利用して『星の裏側』へとやってきていた。

 ただ、その隣にいつもの愛らしい相棒の姿はない。ユイ一人だけだ。頼れる相棒がこの場に同席できなかったのは残念だが、彼女にも都合というものがある。四六時中連れ回すわけにもいかないのだ。


 向かう先は妖怪たちが集まる集落だ。その昔、ニンゲンに恐れられ住む場所を追われた妖怪たちは、ニンゲンの目につかない裏側の世界へと流れ着いて村をつくった。

 以来妖怪たちは、ほかの種族との交流を断ち、何者にも干渉されずに自分たちだけでひっそり生きているとされる。


 妖怪とニンゲンの関係性は複雑だ。その関係性は、『少数派』に対する理解のある『公社』の人間にも適用される。

 多くの妖怪はニンゲンに対して中立的だ。表世界に深く干渉せず、自分たちの村を守って生きている。だが、かつて自分の仲間を迫害したニンゲンを憎悪している者がいるのも事実であり、妖怪がニンゲンの世界で引き起こした騒ぎを『公社』が対処した事例もある。


 そういう背景もあって、この妖怪の集落は『公社』のメンバーであっても頻繁に訪れたりはしない場所だ。

 あくまで、両者の関係は中立。どちらかが上に立ち、もう片方を支配するような関係性ではない。


 だからこそ、この失踪事件に妖怪が関わっているのなら、その真相を追求しなければ。


「――止まれ」


 妖怪の集落は、同じ星の中にもいくつかある。いずれもニンゲンには見つけることができない点は共通しているが、その規模や文明はまちまちだ。

 ユイが訪れたこの集落には門番がおり、余所者を村の中に入れない仕組みがとられていた。


 目の前に立つ二人の妖怪に鋭い声を飛ばされて、ユイはその場に立ち止まる。

 武器をこちらに向けて警戒する妖怪の見てくれは、一見してユイと同じニンゲンだ。だが、その中身は違う。彼らはニンゲンと同じ外見を持ちながら、その身に人外の血を宿している、『亜人間』の妖怪だ。


「そのほう、われらの集落であるこの『シロタエ』の村に何用じゃ?」


 じっとユイを睨みつけながら、外見に似つかわしくない言葉遣いでそう言うのは向かって右側に立つ男だ。

 聞き馴染みのない名前を頭の中で意味もなく繰り返しながら、ユイはゆっくりと片手を持ち上げてその手の内を二人に見せた。


「僕の身分を証明するものです。今日はとある少女の行方を追うために伺いました」


 その手の平に載せられたペンダント――『公社』のメンバーであることを証明する唯一無二の装飾品を目にして、二人の門番は武器を下ろした。


「……あの娘の使いか。じゃが、われわれは使いを寄越す旨を記したふみを送った覚えはないし、娘から使いが送られてくると聞いた覚えもない。――行方のわからぬ少女を捜している、と言ったな?」


 疑わしげに問いかけるのは、今度は向かって左側に立つ男だ。

 右の男と同じ身なりをしていて、年齢もさほど違いがないように見える――そう見えるだけで、実際は年が離れているかもしれない。その真偽は、二人に聞くほかないだろう。

 いずれにしても、実年齢はユイよりもずっと遠いことは間違いない。


「ええ。ですが今回の件は僕が一人でやっていることです。あの人は関係ありませんよ」


「そうか。じゃが、ここ数日で『シロタエ』の村に迷い込んできたニンゲンは見ていない。ほかをあたることじゃな」


「捜しているのはこの子です。お心当たりはありませんか?」


 早々に話を切り上げてユイを追いやろうとする門番に、すかさず母親から受け取った紙を広げて見せる。

 二人の門番はそれを少しの間見つめたかと思うと、次には紙に顔を近づけてまじまじとそれを眺めはじめた。


「……おい、この娘は……」


「ああ。この娘は……」


「……なにか、ご存知なんですね?」


 少女の顔写真を眺めながら互いに呟く二人の門番。

 その様子を見てユイが再び問いかけると、彼らは端にずれて村に入るための道を作った。


「入るがよい。捜し求めている童はこの村にいる」


「……そうですか」


「じゃが、一つだけ言っておく。その娘はもう、おまえたちの側に戻ることはできないじゃろう」


「…………」


「いや、違うな。その娘を――その娘の『存在』をこの村から連れ出すことを禁ずる。それが、おまえがこの村に入るための条件じゃ」


 理解したか? ――そう問いかける門番にユイは数秒の後に頷き、『シロタエ』の村へ足を踏み入れた。


 その娘はもう、おまえたちの側に戻ることはできない――その不穏な言葉を、頭の中で繰り返しながら。




 ※※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※




 天然の土道の脇にぽつりぽつりと家が建ち並んでいるその場所をユイは歩いていた。

 人通りは少ない。時折、妖怪の血が流れた亜人間とすれ違う程度だ。もっと言えば、亜人間ですらない純粋な『妖怪』は、その影すら見せていない。

 彼らには、ユイが妖怪ではないということがすぐにわかるのか、すれ違う人はみな物珍しそうにユイを見てくる。

 親子と思わしき妖怪とすれ違い、その子供に手を振られてユイは軽く手を振り返した。


 妖怪の集落『シロタエ』は、木々に囲まれた辺境の村といった印象だ。

 集落を囲むように木が生い茂り、それが集落と外の世界を隔てる境界線になっている。村の中から外の様子はうかがえず、唯一外と内を繋いでいるのが先の門番がいるところ、ということらしい。

 集落の規模もそこまで大きくはなく、三十分もあればぐるりと一周できるだろう。


 ――もっとも、ユイが捜していた人間は、三十分も経たずに見つかった。


「…………」


 集落の入口とは正反対の、おそらく村の最奥部だと思われる地域。そこは小さな家が一軒建っているだけの寂しい場所で、家の住民だと思われる人物が一人庭で洗濯物を干していた。

 正面方向を除いて家の周りはわずかな隙間を残して木々が取り囲んでおり、集落のほかの場所と比べて日当たりが悪そうだった。

 そんな中で、その人間は桶の中に入った洗濯物を丁寧に伸ばし、天然物で出来た物干し竿に一つ一つ掛けている。真上からは太陽が見えるので、今がちょうどいい時間帯なのだろう。


 その様子を、ユイは遠くから眺めていた。

 背丈は低い。性別は女。外見年齢は小学校中学年程度。それに加えてほかのいくつかの特徴は、母親から聞いた娘のものと一致する。

 ただ、その長い髪は白く染まっており、頭と尻に現れている『それ』は明らかにニンゲンのものではない。


 少女のその姿は、疑いようがないほどに『妖怪』だった。たとえいくら似ていたとしても、ニンゲンと妖怪の違いはあまりにも大きいものだ。まさか母親も、実は自分の娘は妖怪なんですとは言わないだろう。彼女が妖怪である以上、捜している母親の娘ではあり得ないのだ。

 きっと、他人の空似だ。世界には同じ顔をした人間が三人いると聞く。その現象が、奇跡的にユイの目の前で起きたに違いない。


 ――そう思って、そう結論付けて、それで終われたのなら、どれほど気が楽だっただろうか。


 頃合いを見て、ユイはその妖怪の方に歩みを進める。距離が縮ませ、少女の顔がはっきりと見える位置までユイは歩き続ける。背後から迫るその気配に気づいて、少女がこちらを振り返った。

 見知らぬ人間の来訪に彼女は驚き、洗濯物を指で摘まんだままの体勢で固まる。少女の顔は、いなくなった母親の娘とそっくりだった。


 ユイにはわかっていた。門番がユイに告げたあの言葉が、頭の中に居座る楽観的な考えが間違いであることを気づかせる。

 今、目の前にいるこの妖怪こそが、行方不明になったニンゲンなのだと。他人の空似や、同じ顔を持った奇跡の存在などではないのだと。


 そして同時に、門番が告げたもう一つの言葉の意味を理解する。

 妖怪になった彼女を救う手立ては、ないのだと。


「……こんにちは」


「――ぁ、こ、こんにちはっ」


 ぎこちなく頭を下げて、互いに挨拶を交わす。

 こうして正面から見据えれば、少女が妖怪であることを示す『それ』――頭に生えた獣の耳と、背後で揺れる太い尻尾は嫌というほど目に入る。

 彼女は『狐』の妖怪だ。『シロタエ』の村で見かけた狐の妖怪は、彼女が初めてだ。


「あ、あの……わたしになにか、ご用ですか……?」


 そう問われて、ユイは言葉を噤んだ。

 なにを言えばいいのか。なんと答えればいいのか。

 彼女に対する『用事』は、たった今、失われてしまった。

 行方不明になった娘になにが起きていたのか明るみになった今、もうこの少女と話すことに意味はない。


「……突然、お邪魔してしまってすみません。実は、人を捜していたんです」


「人を……?」


「ええ。それで、村の中を見て回っていたんですが……どうやらここにはいなかったようで」


 ここは集落の一番奥だ。一通り見て回ったとしたら、ここを訪れるのは最後になる。

 少女もそれをわかっていたのだろう。ユイの言葉に納得した様子で頷いた。


「そうなんですか。……あ。あの、もしよかったら、似顔絵とか見せてもらえませんか。なにかお手伝いできるかもしれません」


「……いえ。気持ちだけ、受け取っておきます。どうか、お気になさらず。それでは、失礼します」


 少女の申し出をユイは断り、背を向けて歩き出す。

 ユイが振り返ることは一度もなかった。その背中を、少女は黙ったまま、不思議なものを見るような目で見つめていた。

 今はただ、少女のことをなにも母親に伝えてあげることができない――それだけが、無念だった。




 ※※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※




「――行っちゃった」


 小さくなっていく黒い背中を見つめながら、少女が一人そう零す。

 その微かな言葉でさえ聞き逃さなかったのか、いつの間にか足元にやってきていた友人――小鬼が少女を見上げながら問いかけた。


「オイ。今の、オマエの知り合いか?」


「ううん。全然知らない人。でも、たぶん、あの人は外から来たんだろうね」


「外の世界か。……オマエとおんなじだな」


「うん。そうだね」


 答えながら、少女は残りの洗濯物を丁寧に物干し竿にかけていく。

 ――外の世界。それはニンゲンたちが住まう場所。

 少女が元々住んでいた場所で――今はもう、ただそれだけの場所。

 そこはもう、ただの故郷で、思い出もなにも、残ってはいない。


 ただ、そこに生まれた。そこに生まれて、ここに来た。それがすべてだ。

 ニンゲンの世界のことはもう、なにも覚えていない。

 だが、それでいい。そのほうがいい。

 今の自分が、こうであるために。


「よしっ。洗濯おしまいっ!」


「もうすぐ天狗が帰ってくる。時間もいいし、メシにしようぜ」


「そうだね。今日はなににしようかなー」


 狐と小鬼が、影を揃えて家の中に入ってゆく。

 そして誰もいなくなれば、そこはもういつもと変わらない静かな土地だ。

 狐とその友人たちが集う、村の奥地――。

 穏やかな午後の訪れが、彼女たちに温もりを与えていた。




 ※※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※




 帰りの道のりを歩むユイの足取りは、行きとは違ってひどく重々しいものだった。

 険しい表情を浮かべながら来た道を戻る。すれ違う人は誰もおらず、ユイは一言も言葉を発することなく門まで戻ってきた。

 出迎えてくれた二人の門番も、とくになにか言うわけでもなく、集落を立ち去るユイの背中を黙って見送っていた。


 いなくなった娘の消息はわかった。それだけをみれば、今回の仕事の出来は上々だ。だが、実際の結果はどうだ。

 ニンゲンだった娘は妖怪にその姿を変えられ、母親にはその無事すら伝えることが許されない。ましてや再会など、夢のまた夢。

 母親はこれから先、娘の生死もわからぬまま、二度と見つかりはしない自分の子供を捜し続けなければならない。その苦痛を、彼女は背負うことになる。

 この依頼の結果は、惨憺たるものだ。少女が今を幸せに生きていることなど、せめてもの慰めにもならない。


 それゆえに――。



「――おや。こんな所でニンゲン様とお会いするなんて珍しい」


「――――」


「暗い顔をされていますね……察するところ、なにか辛い出来事があったのでしょう。もしよろしければ話し相手になりますよ。少しは、気が楽になるかも」


「――――」


「申し遅れました。私、こういう者でして」


 集落から少し離れた、とある場所。

 帰路につくユイの前に、一人の男が姿を現した。

 親しげな調子で言葉を投げかける男は白い服に身を包み、その丁寧な物言いはどこかユイの知り合いを思わせた。

 だが、男が差しだした名刺と、次に彼が口にした言葉を見聞きして、ユイはすぐにそれを撤回した。


「私は『友達屋』という店を営んでいる者です。簡単に言えば、友達を欲している顧客に、友達になれるかもしれない人物を紹介しているんです。――もちろん、商売ですのでお代はいただいているんですが」


「……お代?」


「ええ。そのお客様の『魂』を」


 すべてが、繋がってゆく。

 幼い少女が突然行方不明になったその理由が。誰にも見られずに星の裏側に入り込んでしまったその理由が。

 いなくなった一人のニンゲンが、二度と帰らぬモノに変えられたその理由がすべて。


「……あんたが」


「あなたのことは知っていますよ。……風の噂程度ですがね。『公社』のルミエールさん。もちろん、あなたがここにいる理由も大方察しがついています。なにしろ、私の商売は取引を行ってから数日間が山場ですからね」


 口調が知り合いに似ているせいでやけに腹立たしく思う。

 この男は一人でいるニンゲンに目を付けては、『友達』という名の餌をちらつかせてその魂を妖怪の世界に引き込む――そんな『妖怪』だ。

 星々に混沌をもたらす存在である『妖魔』と同じ手口を使っているならば、ユイは今ここで武器を抜いただろうが、


「私を『退治』しますか?」


「――――」


「断っておきますが、私はあくまでお客様の同意を得て商売をしています。その代価も、いただくまえに説明をしていて――」


「あんたが説明していたとして、あんなに小さい子がその意味を理解できると?」


「でもあの少女は、友人に囲まれて幸せそうだったでしょう?」


 この妖怪はそうではない。彼は『妖魔』に心を奪われているわけでもなく、一人の『妖怪』として行動しているにすぎない。だからユイは、ここで武器を向けることができない。

 それでなくても、この依頼はユイが一人で勝手に引き受けたものなのだから、ユイの独断で、『あの娘セラ』に迷惑をかけるようなことはできないのだ。


「すべては、お客様が望んだことなのです。あなたのお気持ちに左右される正義感で、邪魔していいものではない。あなたも、心の中では十分わかっているのでは?」


 他人の命の使い道を決める権利を、ユイは持っていない。なぜならユイは、自分の命が一番軽いものだと思っているから。

 それをほかの誰かに何度否定されても、ユイは考えを変えることはなかった。だからこそ、『少女が望んだ』という事実に、ユイは言葉を噤んでしまう。


 付け加えれば彼がしたことは、少女が妖怪の『友人』たちと永遠に過ごしたいという願いを叶えるため、その魂をニンゲンの肉体から妖怪の肉体に移し替えただけにすぎないのだ。それは本当の意味で少女を死に追いやったわけではない。

 星の裏側を知らないニンゲンからすれば殺したも同義だが、そうでない者からすればどうか。


「私はニンゲンたちに、第三の選択肢を紹介しているだけです。どの道を選択するかはそのニンゲンが決めることであり、私は介入していない。それに、あなたが武器を向けるべき相手はほかにいるのではないでしょうか」


「――――」


「……それでは、私は失礼します。ああ、もしご興味があれば、何人か『友達』を紹介しますが?」


「……友達なら、自分で作れる。それに、あんたに払う『金』はない」


「はは。そうですか。では、失礼」


 『友達屋』はそれだけ言って、集落のある方へ歩いていった。

 いっそ清々しいほどに、彼は振り返ることもなく去っていった。


 彼は『罪』を犯してはいない。この場にセラがいたとしても同じ結論を出していたはずだ。

 それゆえに、この結末は変わらない。



 それゆえに――、ユイにとってこの結末は、受け入れがたいものとなった。




 ※※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※




 手の内にあるのは、街中で出会った女性から手渡された一枚の紙。

 そこには、女性の娘だという少女の顔写真と、いくつかの特徴点、それから連絡先などが記されている。

 ユイはそれを綺麗に折りたたんだ。何度も折りたたまれたそれは、もはや小さな紙屑にしか見えず、そのまま置いておけば誰かに捨てられかねない。


 だがユイはそれを、小さく折りたたまったその紙を、部屋のごみ箱に捨てた。

 そこに記された情報を見る必要も、その顔写真を誰かに見せる必要もなくなったからだ。


 ――この紙はもう、必要ない。

 その『ニンゲン』が日の光を浴びることはもう、ないのだから。

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雨空はやがて月をも覆い隠すだろう 冥夜みずき @xTrugbild

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