ネオンくん
フカ
第1話
盆も開け、風はいくぶん涼しくなったが、まだ夏休みは終わらないためなかなかに繁盛している。
時刻は九時を回ったところだ。テナントで働くスタッフたちが就労を終えて帰路につく。
「おやすみなさーい」
「はい、おやすみなさい」
私は守衛室のこちら側で、皆にそう返す。これから連休をとる従業員も多いから、晴れやかな顔で出てゆく者がよくいる。
ここはショッピングモールだ。
「
おとしものばこに財布が入っている。
このモールには伝奇がある。ネオンくんという。
たぶん六歳ほどの少年で、いつも空色の半袖を着ている。朝でも、夜中でもいる。食料品売り場の横で、石鹸屋の棚の前で、昼夜問わず見かける。私はここで働いてもう二十年近くになるが、彼はずっと少年のままだ。
彼は、モールで働く者にはだいたい見える。利用客にはたまにだけ見える人がいる。少し伸びたくせ毛の向こうで笑いかけてくるのだ。はじめは驚き、深夜の警備で恐々としていたけれども、慣れた。照明が落ち、フラッシュライトを片手に、別物になったような暗いモールを練り歩くとき、彼は薄っすらと光を放っている気がする。屈託のない素敵な笑顔は暗がりでも不思議とわかる。
彼がなんなのかはよくわからない。最初はサティくんだったが、流れていく時間とともに、今はネオンくんになった。誰かが流石にそのまま過ぎる、と少しだけ捻ったんだろう。
守衛の長の原田老から、ネオンくんはおとしものを集めているようだ。と聞いたとき、それは、カラスか猫のようだなと思った。
確かに、守衛室にある木の箱には、ふっと気づくとなにかが増えている。財布に髪留め。かと思えば、一階にあるアイスクリーム・ショップのピンク色をした短いスプーンや、赤と黄色のストライプのストロー。モールでたまに催されるスタンプラリーの紙のカードや、ゲームコーナーのメダルなど、ここにまつわるものもある。
これが不思議で、おとしものが綺麗なときは、そのテナントの売上があがる。汚れていたり、使用済みのように見えるときは下がるのだ。
伊佐美に渡される財布を見る。黒い二つ折りの財布。すぐわかる。モールでは退勤時に持ち物のチェックをするから、あまりよくないが見覚えがあった。
たぶん彼も遅かれ早かれ辞めてしまうだろう。財布を伊佐美に戻し、伊佐美はそれを木箱に戻した。
おとしものばこに私物が入った従業員は、皆何かしらでここを去る。届いてますよ、と持ち主へ返すと、そのスタッフは暫くすると見なくなる。
明らかに、気持ちはわかるな、という時と、とんと理由がわからないときもある。祝い事のこともある。そのようなとき、最後の日が近づくといつも挨拶を受けた。皆色々とある。聞いて、背中を見送る。
ふと入口のドアが開いた。従業員用出入り口の向こうから、急いたように戻ってきたのは財布の持ち主だった。
「あの、なんか、財布とか届いてないですか」
バーガーショップの高校生だ。顔を見ると名前が出てきた。八木悠平くんだろう、短く刈った髪。少しだけフライドポテトの匂いがした。
「これかな?」伊佐美が箱から財布を出して、よく見えるように掲げる。
「それッス! よかった〜」
八木くんが両手で受け取る。ポケットにしまおうとしてふと止まる。神妙な顔になり、少しして彼は口を開いた。
「あの俺、もうちょっとでやめちゃうんですここ。お世話んなりました」短い髪が、頭を下げるから少し揺れた。
「あらあ、そうなの」伊佐美が返す。
「高三なんで。いや大学、県内なんでまた来るかもしれないですけど」「やあそうなの。いいねえ頑張ってねえ」「はい、あざす、じゃあ、」「うん。後ちょっとよろしくね」「はい」
伊佐美が全て返した。私は、ありがとうね、と言う。八木くんはまた礼をした。
財布はぴかぴかとしていた。きっと彼は大丈夫だろう。
「八木くんもネオンくん見たかな〜」伊佐美が椅子に腰掛けて、頭の上で手を組みそう言う。思い出すと二年ほど前、伊佐美と共ではなかった日に、彼はそんなことを言いながらここを通って行った気がした。その日、八木くんの隣りにいた彼は、レジのお金をちょろまかしていなくなってしまっていたが。
朝、夕、夜中とドアが開いて、入る人間と出る人間が絶え間なく循環してゆく。決まる時間に清掃をして、場を清潔に保っておく。照明が付いて消えて、商品が売れ補充される。それを連綿と繰り返す。閑散期にはゆっくり、連休や盆暮れ正月は慌ただしく、ショッピングモールは動いてゆく。従業員の皆でそれを支える。役割の一部になり、担い、保つ。生き物のようだなと思う。モール全体が生き物で、私達はその中で役目を貰い流れてゆく。または渦を巻く魚。ネオンくんはさながら、我々の先頭に立つ、色の違った魚なのかもしれない。
ふと、制服から出る私の手の甲が目に入る。浮いた血管にかすかな、そばかすのような無数の染み。ずいぶんと長く、この生き物の腹にいる。歳をとるとこのようにして、つい空想じみたことを考えることが多くなった。
伊佐美がじっとモニタを見ていた。いつか伊佐美のスマートフォンや、私の定期入れなどが、おとしものばこに見つかる日が来るだろう。生き物の細胞はいつだって死んで入れ替わる。さみしいが、仕方がない。私はここが好きだ。ネオンくんの笑みを思い出す。あの笑顔が、変わってしまえば怖いなあ、と思いながら、私は夜の巡回へ向かう。
ネオンくん フカ @ivyivory
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