『腹が減っても食欲には従うな』

小田舵木

『腹が減っても食欲には従うな』

 短くはかない命だからこそ美しい。

 僕はそう思う。眼の前の猫を殺しながら。

 締め上げる首からは吐息と鳴き声が漏れ。

 最後の抵抗。そこには命のひらめきがある。消えようとする炎は激しく燃える。

 あ。こんな事をしてるからって、僕を弱いもの虐めをする詰まらない人間だと思わないで欲しい。この行為には理由がある。

 と。言うのも。僕の身体は通常の食事を受け付けなくなっているのだ。その代わりが命。

 僕は死にかけの猫の頭に口をつける。ふさふさした頭から精気を吸い取る。

 その味はなんとも味気ない。やっぱり下等生物の命の味は薄くて。

 その様はさぞ醜いだろう。だけど仕方がないじゃないか。ある日以来こういう生き物に成り下がってしまったのだ。

 

 僕が吸魂鬼きゅうこんきになってしまったのは。あの日に吸魂鬼に襲われたからだ。

 あの同胞は、すっかり殺人鬼に成り下がってしまっていた。そして僕を殺そうとしたんだ。

 だけど僕は吸魂される時。抵抗をして。それが功を奏したしたのか命を落とさなかった。だが。彼の属性が僕に感染うつってしまっていた。

「ああ…君。残念ながら。今日から俺の同胞だ」かの同胞は言い。

「はい?」そりゃ尋ねたくもなるだろう?

「俺は吸魂鬼と呼ばれる化け物なんだが」

「吸血鬼じゃなくて?」

「魂を吸う鬼だな。身体は変化してないが、食事が魂になっちまっている…」

「んで?僕を殺そうとしたのかい?いやあ、ありゃ効いたぜ」後ろから棒のようなものでぶん殴られたのだ。

「申し訳ないね。腹が減っていたからさ」

「この後、僕を喰うのかい?」僕は身構える。

「いや。同胞を殺しても魂は喰えないからね。今日は諦める」

「そいつはどうも」


 かくして。僕の生活は一変しちまった。

 物が食えなくなったのが一番の変化で、一番苦しい。

 どんなに美味そうな食べ物をちらつかされても食欲が湧かない。今は夏だから夏バテで親とかに釈明してるが、そのうち異常性がバレるだろう。それを思うと憂鬱だ。


 食べ終わった猫を、川原の土手に埋葬する。

 掘った穴にその三毛猫を放りこむ。済まん、僕の食欲の糧にしてしまって。君の事は忘れない。君の魂を糧に生き延びるよ…

 

                   ◆


 百鬼夜行。鬼は夜に世を跋扈ばっこする。

 僕はフラフラと街をさまよう。警察には出会わないよう人通りの少ない道を選びながら。うん。僕は高校生なんだよね。あまり夜遅くに出歩くのはよろしくはない。折しも夏休みだ。補導のパトロールが強化されている頃でもある。

 川原をのんびり歩く僕。川の流れの音が耳に入る。川は流れる、何があろうと。そこには世界のメタファーがある。この世界に吸魂鬼がいようと世界は回り続ける。さも何もないというように。


 眼の前に人影が現れた。暗くてよく見えないが女性だ。

 ああ。まずい。僕は人を襲わないようにしてるんだけど…どうにも実物を前にすると心が揺らぐ。

 美味そうな人間の女だ…どうやって魂を吸ってやろうか―ああ。湧き上がる衝動。それは性欲に似る。コントロール不能の衝動。いますぐ食事しないと満たされない衝動。

 僕はその場に立ち止まり、目をつむる。視覚情報をシャットアウトしてしまう。

 僕は吸魂鬼きゅうこんきだが…捕まりたくはないのだ。だから人は襲わない。だから代わりに小動物を襲う。

 でも。こちらへと近づいてくる足音は止まらない。

 コツコツとコンクリートを踏みしめる音。女物の靴のヒールがコンクリートを叩く。そのリズムが僕を揺さぶる。


十文字じゅうもんじくん?」その声は。

狩野かりのさん?」ああ。クラスメイトの彼女か。参ったな。一番会いたくないタイミングで出会っちまった。

「どうしたの?こんな道端で立ち止まって…しかも目を瞑ってる」不思議そうな声で尋ね。

「いやあ。立ちくらみしちゃって」僕は病人を装う。最近は夏バテ患者を気取っているので慣れたもんだ。

「貧血?駄目よ。バランスの悪い食生活してちゃ」

「いやあ。面目ない。アイスの食べ過ぎでご飯が入らなくてねえ」なんて呑気のんきな会話を交わしてはいるが、僕の内側は沸騰しそうになっていて。

「…うん。いつまで目を瞑っているの?」

「はは」こりゃ目を開けないと話が進まんな。

 目をゆっくり開ける。そこには白の清楚なワンピースを着た彼女。まっすぐ伸びた長髪の黒髪がワンピースに映える。中々似合っている。

「なんだかお洒落な格好してるなあ」なんて僕は彼女に話を振って。

「ん?ただの普段着。塾の夏期講習の帰りなの」彼女は鞄を示す。

「こんな夜の時間に?」普通、夏期講習は朝から夕方にやるもんだと思うけど。

「自習室で課題してたら、こんな時間になっててね」

「そいつはお疲れ」僕は労う。内なる衝動と戦いながら。

「いやあ。疲れたよ。頑張りすぎた」

「真面目だなあ」と僕はおののきながら言う。

「大学受験ひかえてるからねえ」そういや、そんな時期だったよな。吸魂鬼きゅうこんきになってから気にする余裕もなかったが。

「僕も頑張んなきゃね…んじゃあ、家に帰って勉強するわ」僕はほとんど震えだす身体を抑えつつ身をひるがえして。


「ちょっと待って」彼女はそう言った。

「へ?」僕は立ち止まる。勘弁してくれよなあ、こっちは君を食べてしまいたいという衝動を我慢してるんだぜ?

「十文字くん―?」

「ああ?」耳を疑う。彼女の口から吸魂鬼の名前が出てくるなんて予想外だ。そんなにメジャーな化け物ではない。吸魂鬼になってから妖怪辞典とか怪異関連の書籍を読み漁ったが言及はされていなかった。多分、ここ最近に発生した化け物だからだ。

「だから。あなたは魂を食べないと死んじゃう体質になってるんでしょ、って」彼女はきっぱり言い切る。

「…もしそうだとして。君はどうするつもりなんだい?」僕は彼女にそう言った。


                  ◆


「食べられてあげる―なんて言わない」と彼女は毅然きぜんとした声で言い。

「じゃあ?僕を退治するかい?出来るのかな?さっき食事したばかりだから、少しは身体能力上がってるはずだぜ?」

「関係ない。君が吸魂鬼であるならば。退治しておかないと面倒な事になるから」

「勘弁してくれよお」と僕は懇願してみる。食べたいという衝動を抑えながら。

「そんな事言いながら。私を食べたくてうずうずしてるんでしょっ!!」彼女は距離を詰めてくる。まっすぐ向かってきた彼女を待ち構える。

 繰り出されたるはストレートのパンチ。僕は顔の前に両腕を構えてそこで受ける。

「こんな暴力女だとは思わなんだ」

「やっぱり素手では分が悪い」

「得物なんてないじゃんよ?」僕は彼女を煽る。

「今から出すわよ」彼女は僕からバックステップで距離を取って。

「手品でも見せてくれるのかい?」余裕綽々しゃくしゃくで言う僕。僕ってこんなに好戦的だったっけ?

 彼女はその場で構える。そして腰の辺りに手をやって。

「刀でもいてるのかい?見えないけど?」

「まあ、見てなさいな」彼女は腰の辺りにやった左腕を振り上げる―すると現れたのだ。ほっそりとした日本刀が。マジかよ。吸魂鬼の僕なんかよりこっちの方がよっぽど怪異、化け物だ。

真剣しんけん持ち出すんて聞いてないっ」僕は距離を取りながら言い。

「じゃないと化け物に女の子が勝てるわけがないでしょうにっ」彼女はにじり寄りながら言う。

「ひえっ」なんて鬼らしくない悲鳴を漏らしちまった。少し小便漏れたぞ、マジで。


 そこから。

 距離を取り合う不毛な事態が始まった。

 僕が逃げて、彼女が距離を詰める―いやあ。こんなシーン警察に見られたら職質どころの騒ぎじゃない。さっさとケリをつけたい。食事なんて後回しだ。

 なんて余裕ぶっこいて考えてる場合じゃあなかった。

 彼女は踏み込んでくる。僕の間合いに。そのステップは鋭い。

 あっという間に懐に潜り込まれ。下から切り上げてきた。

 閃く刃。それが僕の足元から顎の方に伸びてきて。

 僕は後ろにのけぞりつつも―その刃を手でつかむ。一見間違まちがった対処に見えるだろう。でも。今の僕はさっきの猫の魂のおかげで身体が強化されている。

 だから。刃を出血することなく掴める。力いっぱいその刃を握って彼女の動きを制限して。今度は僕が彼女の懐に飛び込む。そして頭突きをお見舞いする。

 彼女はふらつく。僕はそこにキックをお見舞いしてふっ飛ばす。いやあ。これは婦女暴行になるんじゃないか?と思いながら。


「コイツで一本…って事になるかい?」ふっ飛ばされた先で倒れる彼女に言う。

「っててて」彼女は案外あんがい余裕があるみたいだ。マジで化け物は向こうじゃなかろうか?

「ねえ。狩野さん?君は一体、何者?吸魂鬼きゅうこんきの僕に喧嘩をふっかけるなんて、おおよそまともじゃない。君も化け物なのかい?」うん。刀なんてモノもくうから出したしね。

「私?私は―しがない化け物ハンターなだけ。家が神社でね。その手のモノには慣れている」

「わお。コイツはファンタジーだ。ちょっと前なら信じられない」

「私も十文字君が吸魂鬼になっているなんて信じられない」

「僕のは事故だよ…同胞に襲われてね」

「よく生きてたわね?」

「向こうが弱い吸魂鬼だったからね。意外となんとかなった」

「…タフなんだかなんだか。ま、どっちにしよ私には都合が悪い」

「知ったこっちゃない」彼女は立ち上がっており。

 

 また間合いの取り合いが始まる。

 また刀で突っ込んでくるだろうか?その分には対処のしようはあるが。

 そう思いながら彼女を見ていると、彼女は刀を構えていなかった。はてさて。刀以外にも武器があるのだろうか?

 彼女は右手を振り払い何かを投擲とうてきしてくる。それは―御札だ。僕の顔の右側をかすめて飛んで行った。

「おっ、それっぽい」なんて言いながら僕は彼女から距離を取り右にずれ込む。彼女はそれに合わせて札を投げ込んでくる。そういやソフトボールしてたっけ彼女。

「ちょこまか動くなっ」彼女はそう言いながら第三、第四の御札を投げてきて。

「大人しく捕まる訳ないじゃん。化け物ハンターに捕まるなんて御免だよ」

「…そいつは初耳。嫌な事聞いちまった」御札を避けながら言う。

「残念だけどね。だから私が退治して成仏させてあげる」

「神社もんが成仏言うかい?」

「適当な言葉がないのよ」


 彼女が御札を投げ、僕が走り回って避けるという構図はしばらく続いたが。

 僕は御札を投げる隙をついてどんどんと距離を詰め。

 ついには彼女の右腕を掴む。そしてその腕を軽くひねる。関節が外れるように。

「痛っ」彼女は叫び。

「ゴメンよ。君があまりにしつこいから」

「…私を食べる気?」

「最初はそのつもり、なかったんだけど。戦ってたら俄然がぜん食欲が湧いてきちゃってさあ!!」僕の中の吸魂鬼は人格のコントロールを奪っていて。

「ああ。未熟が故にここで散っちゃうのかあ」と彼女はしみじみ言う。こんな状況で。

「残念だったね…僕の糧になってもらう…」僕は掴んでいた彼女の右腕を放し、その場に崩れた彼女の首に手を回す。


 彼女の首は細く白くて。ちょっと力をいれたら折れそうで。

 その様に僕は…吸魂鬼きゅうこんきは…興奮してしまって。

 食欲の間に性欲が挟まってくる。それは止めがたい衝動で。

 股間のあたりが熱くなるのを感じる。

「…っ」彼女は僕の両掌りょうてのひらの中でもがく。まるで虫みたいに。

 短く儚い命だからこそ美しい。

「ああ。綺麗だ。狩野かりのさん」なんて阿呆な事を言う僕。そんな事してる場合じゃない。

「…」狩野さんはこたえられない。漏れる息が僕のてのひらにかかり。

「もうすぐ君の魂が食えるのかあ…初めての人の魂…どんな味かなあ…狩野さんの魂はさぞ美味しいんだろうなあ」僕の股間は怒張どちょうして。食欲と性欲は意外と連関している、という事を思い出す。食欲が強い人間は性欲が強いなんて俗説もあるしね。

「…んぐぅ」彼女はまだもがいている。そんな事をしても無駄だよお。

  

                   ◆


「…」彼女はついに抵抗を止めた。もがいていた身体はぐったりとして。

「ああ…儚い」と僕は呟く。少女の命の閃きは今、最高潮に達しつつある。

 首に回した掌を解く。倒れた彼女の白く細い首には赤い締め跡が残っていて。

 僕は彼女に覆いかぶさり、口を開け、彼女の頭にかぶりつく。細いキューティクルの髪が舌に触れる。

 そして息を吸い込んだ。魂を吸うのだ。もうすぐ彼女の魂が僕の舌に触れる。その味はきっと甘美だろう。最高潮に怒張した股間が鬱陶しい。

 

 その時だ。

 僕の腹を何かが撃ったのは。衝撃が身体を走る。そして腹のあたりが生暖かくなって。

僕は呑気に射精でもしちまったかと思ったけど…そんな事はない。違うんだ。僕の腹が何かに撃たれた感覚だったのだ。

 最初はアドレナリンの関係で痛覚が鈍っていたが、冷静に色々考え出すと痛みが走って。

ぅ。狩野さん…君なにをしたんだい?」とよろめいてしまう。そしてはたに倒れ込む。頭をあげて腹を見てみたら、そこには特大の勾玉まがたまが刺さっていて。

「…隠し玉は最後にだすもんでしょ?」彼女はそう言いながら、フラフラと立ち上がって。

「参ったな。やったと思ったのに…どうしてくれるんだい?この抑えがたいかわき…」ああ。身体の力が抜けていく。身体の神経が遠のいて行くのが感じられる。

「せめて。向こうの世では安らかに」

「マジか死ぬのかい?僕は?」

「この勾玉、あなたみたいな化け物にはよく効く」

「そうかい…」


 短く儚い命だからこそ美しい。これは僕…吸魂鬼きゅうこんきのモットーだが。

 まさか自分もこんな事になるなんて。

 いやあ。吸魂鬼になってからいろんな小動物を殺してきた。その罰が今、あたってるんだろうか?いや、そうじゃない。食欲に負けて、彼女に手を出しからこんな事になっているのだ。

 まったく。僕はどうしようもないヤツだったな…いや、でもなあ。あの同胞に襲われてなかったら、こんなことにはなっていないはずで。

「狩野さん…」僕は朦朧もうろうとする意識の中で彼女に語りかける。

「どうかした?」

「食欲には気をつけると良い…」

「…分かった。向こうの世では気をつけなさいよ」

「…吸魂鬼は死んだら何処に行くのかな?」

「さあ?」

「冷たいなあ」

「そりゃ暴行されたからね」

「君も殺しにきただろうが…」


 命の終わりには魂が閃く。炎は燃え尽きる時に一番輝く。

 僕の命は消えかかっている。視界はどんどん暗くなりつつある。

 視界を上にあげれば、濡羽ぬれば色の空。紫混じりの黒みがかった空。

 その色を見ていたらカラスが頭に思い浮かんできた。僕の死体、放置されないと良いけど…


 僕の頭は最後の力を振り絞って―想像力を回転させる。

 朝になり。セレスト色の薄暮はくぼに僕の死体は包まれて。その腹。血に塗れたそこにカラスが止まり。僕の腹をついばむ。腸を食おうという訳だ。

「…止めてくれ」なんて声を絞り出そうとするがその声は届かない…そういやカラスも食べたっけ。僕。今その復讐をされている訳だ―

 僕の腸を啄むカラスは満足げだ。そして肉を食らう。

 ああ。美味そうに食ってくれるじゃないか…


 意識はトリップしていたが。

「十文字くん」という声で現実に戻される。

「…最後の走馬灯さえ邪魔するかい?」僕は声を絞り出しながら言って。

「いや。なんだか苦しそうにしてたから」

「まあ、あんま具合の良い妄想してなかったね」なんて言う僕の指先が―

「…あ、十文字くん。君、もうすぐ消える」彼女は冷静にそういう。

 僕の指先の炎は燃え広がる。両手、両足の先、4箇所から燃えだした火は僕の腹という中央に向かって燃えていく。不思議と熱くない。

「吸魂鬼はそうやって消えるのよ」彼女は僕の前で手を合わせているらしい。

「命は消える間近に激しく燃える…炎のように」

「皮肉ね」


 僕の全身は炎に包まれ、その場で焼けていく。

 短く儚い命だからこそ美しい。

 僕はこんなモットーを持っていたが。いざ自分が死ぬとなると惜しくなる。

 そんな事考えても無駄なのに。

 腹と頭が焼かれて。感覚が無くなっていく。だが不思議と鼻腔に僕の肉が焼ける匂いがする。その匂いに僕はなくなりつつある腹が空く。

 まったく。腹が空く人生だったな。


                  ◆


 こうして。僕は死んだ。

 じゃ、今語ってるのは何かって?

 それは聞かないで欲しい。化け物には化け物の死に方があるのだ。

 でも。とりあえず最後に言っとこう。

 食欲には気をつけろ。それに従うとロクな事にならないぜ。


                  ◆

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『腹が減っても食欲には従うな』 小田舵木 @odakajiki

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