4:encore

 いまのぼくは透明人間だ。

 だから、ユズの後をつけても絶対に見つからない。

 数か月前から、よく会社の上司らしき人と一緒に食事へ行っているのは知っていた。

 何度か隣で会話の内容を聞くことすらあった。

 そして何度もそれを聞いているうちに、ぼくはユズの気持ちを察してきた。

 それでも、ホテルに入った時は驚きのあまり立ち止まってしまったし、いざ二人の行為を目の前にしたぼくは一歩も動くことができなくなっていた。


 ベッドに入ったユズが、少し恥じらいながらも服を脱ぐ瞬間、「もう、いいよね」と言ったのが聞こえた。


 ぼくはそれを聞いて、頷く。


 ――――もう、いいよ。


 ユズを抱きしめた男が尋ねる。

「高宮さんの恋人って」

 その質問に対して彼女は一瞬だけ目を伏せて、小さな声で答えた。

「四年前に、亡くなりました」


 ぼくは四年前、交通事故で死んだ。


 社会人になってすぐのことだった。

 あまりに突然の出来事だったためか、ぼく自身しばらくの間自分が死んだことに気が付いていなかった。

 透明になる能力が目覚めたのか、とまで思った。

 でもきっと、目覚めたのは死んだ後もこの世に留まる能力で、それは異能というより、現世への心残りと言った方が正しいのかもしれない。

 ともあれぼくは、ユズと結婚できないまま彼女の前から姿を消した。


 そこからしばらくのユズは、見ていられなかった。

 二年ほど経ってようやく社会人らしく振舞えるようになった後も、彼女はぼくへの義理立てか、絶対に異性と食事に行くことはなかった。

 それからさらに二年が経って、この中澤という係長と食事に行ったとき、ぼくは少しだけ嫉妬して、あとは全部感謝の気持ちでいっぱいだった。


 ユズは、本当にいい女の子だ。

 そして、幸せになってほしい。

 ぼくはもう、ユズの人生に影響を及ぼせないばかりか、足を引っ張るだけの存在になってしまっている。

 それが悔しくて。

 たぶんそれが嫌で、ぼくは現世にとどまってしまったんだろう。

 行為が終わって、吹っ切れた表情をしているユズの顔を見て、ぼくはもう一度泣いた。


 でもそれは、悲しみの涙じゃない。


「ありがとう、中澤さん」


 聞こえるはずがないのに、ぼくは話したことのない男性にお礼を言った。

 そして。


「ありがとう、ユズ」


 彼女にそう告げた瞬間、自分の中の何かがなくなったような気がした。

 ああ、ここまでか。

 ぼくは、自分の残された時間があと少しであることを悟る。元々ロスタイムみたいなものだったので、そこに恐怖や悲しみはなかった。


 あるのは少しの満足感と、無念だけ。


「できることなら、ぼくが君を幸せにしてあげたかったな」

 でも、そんなことを言うと、ユズはちょっと不機嫌そうな顔をするだろう。

「わたしはわたし自身の手で幸せになるんだから」

 そう言う彼女の顔がありありと目に浮かんだ。

 そうだね。幸せにしてあげたかったっていう言い方はおかしいや。


「ぼくが、ユズと一緒に、幸せになりたかったなぁ」


 中澤さんの腕に抱かれているユズが、一瞬だけぼくの方を見た気がした。

 そして、にっこりとほほ笑んだように見えた。

 たぶん気のせいだけど、ぼくはそれを見て、満足したんだ。

 意識が消えていく。


 ぼくが、消えていく。

 短い間だったけど、ぼくはユズといられて幸せだったから。

 だからユズも、幸せになってね。


 消えゆく意識の中で、最後に、そんなことを思った。

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透き通る気持ち 姫路 りしゅう @uselesstimegs

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