31. ぼくたちの、これから

 その存在は知っていた。


 そこにはたくさんの「地下芸人」がいる――というより、各地にある「劇場」に立つことのできない、ほとんど無名の「お笑い芸人」たちがいて、エッジの利いた、到底テレビ向きではない、コンプライアンスもへったくれもないネタを披露している。


 このライブハウスに立つには、参加費が必要であり、お金に不自由している「地下芸人」たちにしてみれば、痛手に違いない。それでも、舞台に立つ。お笑いが好きなのだ。たとえ観客がひとりでも、そのひとを楽しませたいのだ。


 照明や音響を、ライブに参加する芸人たちが、交代して受け持つところもあるという。大手の「劇場」とは大違いだ。しかしこうしたライブハウスから、多くの芸人が「売れっ子」になっていった。お笑いコンテストで結果を残すことによって。


 ぼくたちの目の前にあるこのライブハウスは、参加費を払えば、ぼくだって舞台に上がらせてもらえる――と聞いている。「自称・お笑い芸人」でもいいのだ。実際、ぼくには漫才を披露した経歴がある。


 だからぼくは、栗林さんに、自分の考えを告白した。


「ぼくは今年、ピン芸人日本一を決める大会にエントリーしようと思ってるんだ」


 なにを言っているのか分からないと、当惑している栗林さん。「どういうこと?」という言葉さえでてこないみたいだ。


「受験があるから、学校でも補習がたくさんあるだろうけど、そのなかでネタを作って、エントリーしようと思ってる。このライブハウスは、参加費を払えば、ぼくでも舞台に立たせてもらえるみたいだし、ここでネタを磨いていこうかなって」

「……漫才は、もうしないってこと?」


「ううん。違うよ。ぼくは進学したら、落研おちけんに入ろうと思ってて、本気で、お笑いに向き合おうと決めたんだ。そのときに、自分でネタを作って、ピンでやっていくとなると、いまのうちにその練習をしないと、周りのひとたちについていけないと思う」

「コンビを組んだりしないの?」


 少しうつむいて、不安げな表情をして、栗林さんは言う。かすかに震えた声で。


「組まないよ。だって、ぼくの相方は、栗林さんだけだから。たとえ将来、栗林さんが、もう漫才はしないということになったとしても、まだ1パーセントでも可能性があるのなら、ぼくの横に、栗林さんが立てるスペースを作っておきたい」


 ほんとうに、そうしてくれるの?――という視線を感じる。そりゃそうだ。将来のことなんて、だれも分かりはしない。大学に入ってから、心変わりするかもしれないと疑うのは、自然なことだ。


 でも、ぼくは――いまのぼくは、約束できる。


「待ってるよ」

「…………」

「そのときには、ぼくの作ったネタが、想像以上におもしろくなってるかも。栗林さんが考えたものより、ずっと」

「…………」

「だから――くっ、くっ、栗林さん?」


 ぼくの心臓はどくんどくんと波打って、肺が重たくなっていく。頭が追いつかない。


「四条くんに、泣いているところを、見せたくないの」


 あのとき――喧嘩別れをした日も、そう言っていた。けどいまは、ぼくのふところにいてくれている。


「ぼくも、ぎゅっとしていい……ですか?」

「しらない」


 どうしていいか分からず、そのままでいるぼく。そんなぼくに、栗林さんは「ばか」と呟く。

 震える手で、そっと、栗林さんを抱きしめた。


 あの日、美月さんは、こう言った。

「お願いだから、あんまり芽依を待たせてあげてほしくないな。なにかとは言わないけど、言おうかどうか迷っていることがあるんじゃないかな」


 卒業式の日に告白して――そう言ったのは、期限を決めないと、いつまでもうじうじしていると思ったからだと、あとになっては教えてくれた。


 そして、告白は目を見て言ってほしかったと不平を言う芽依に、何度も告白のやり直しをさせられた。


「栗林さん」

「うん」

「ぼくと、付き合ってくれませんか。ずっと、一緒にいてください」


 ぼくの胸のなかで、栗林さんはこくりと頷いたようだった。

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2年4組のエイリアン 紫鳥コウ @Smilitary

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