30. 決意
栗林さんが、プロレスを好きだということを、ぜんぜん知らなかった。プロレスの専門チャンネルを契約しているらしく、推しのレスラーも何人もいて、ほとんどの団体をフォローしている。
だから会場では、ぼくたちは一言も話さなかった。栗林さんは、目の前で繰り広げられる試合に熱中していたから。そして試合後には、栗林さんの饒舌なプロレス・トークが待ち受けていた。
「一年前に離反している元軍団エースを迎え入れるあの心の広さ……弓良と那益の絆は敵味方になってからも続いていたわけなのよ、実は。思えばこの再縁の伏線は2カ月前のメーンイベントよね……タッグのやつ。弓良・桑鋤が那益・矢背を激闘の末降したあの試合。ねえ、聞いてる? 四条くんはほんとに失礼ね。ダリの絵画をバカにしそう。ベートーヴェンは第九以外駄作だとか
「きっ、聞いてるよ」
ところで、後半の罵倒(?)の意味が分からないのですが。
「それでね、実は第3試合で敵側のセコンドに那益がいたことも伏線のひとつだと思ってて――」
栗林さんのとどまることを知らないプロレス愛を受け止めきれなくて、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。切れ目がないだけに、オレンジジュースに口をつけることもためらわれる。
転校初日。栗林さんにひとめぼれをしたぼくに、「仲よく一緒にプロレスを見にいって、喫茶店でお茶をすることになる」なんて言ったら、げんなりされるに違いない。
しかし――漫才がぼくたちの間に絆を咲かせてくれた。
ぼくは自分のことをエイリアンだと思ってきた。でも、ぼくと違うほかのひとたちも、ぼくからすればエイリアンだ。そんな風に考えたこともある。でもそんな抗弁は、まったく意味をなさないことに気付いてしまった。
だってぼくが生活しているこの場所が、違う惑星なのだから。ここにいるかぎり、ぼくは永遠にエイリアンなのだ。
はじめてひとを殴ったあたりから、いやそれ以前から、自分の置かれた場所がしっくりこなくて、ひしゃげてばっかりだった。苦しんで、悲しんで、痛みにもだえた。
しかしぼくには、帰る場所があった。センターマイクを前にした、あの舞台だ。ぼくたちは、この惑星の大勢の人たちの前で漫才を――プロテストをしてみせた。
だからといって、この惑星がぼくを受け入れてくれたわけではない。それでも、ぼくを受け入れてくれるひとはいた。そしていまも、目の前にいてくれている。
「なに笑ってるの?」
少し不機嫌そうな顔がそこにある。
「ごめん……」
「英語のテストのリスニングが始まったことにも終わったことにも気付かないくらい、ひとの話を聞くことのできない四条くんに、話の聞き手なんてできないものね……大丈夫よ、もう期待しないから」
「ほんとうにごめん」
たいそうご立腹のようだ。考え事をしてた――なんて言うのが、一番のタブーであるということに、とっさに気付くことができてよかった。素直に謝るしかない。
「ウソよ。わたしもひとりで話しすぎて、四条くんを置いてきぼりにしちゃってた。好きなことを語るときって、どうしてもこうなっちゃうの。熱くなってしまうというか」
「すごく気持ちは分かるよ」
「ほんと?」
上目遣いに
「暖房は効いてるけど、羽織らないと寒いわよ」
「だっ、大丈夫ですっ!」
「そう……ならいいけど。風邪をひいたら困るから」
喫茶店でサンドウィッチを食べて、それが昼食がわりとなった。このまま夜ごはんも……といきたいところだけれど、高校生だからそれは厳しい。ぼくはともかく、栗林さんの家には門限があるみたいだし。
「あのさ、この後、どうしても行きたいところがあるんだけど、いい?」
「行きたいところ?」
「そう、ここからそんな遠くなくて、
「人気の……ない、場所……」
「あっ、違う、違う! そういう意味じゃなくて!」
完全に勘違いして、盛大に赤面している栗林さん。ぼくは誤解を解くために、必死になった。
「どうしても、見せたいものがあるんだ!」
ぼくは、栗林さんに言わなければいけないことがある。
* * *
昼3時。ぼくたちは、いろんなお店が建ち並ぶ大通りの裏手にいた。チケットは持っていないから、なかには入れない。いや、今日はライブをしていないから、この「箱」は空っぽになっている。
この「箱」の前には、小さな公園がある。いまはぼくたち以外、だれの姿も見えない。
少し不安そうな顔をしている栗林さんを目の前にして、ぼくはこれから、あのことを告白するのだ。
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