29. こちらこそ、よろしく

「四条くん、明日のことだけど……その、ええと……なにも問題ないわよね?」


 ほんとうに電話がかかってきたし、一言一句とはいかなかったが、ニュアンスが一致しているのだから、さすが姉妹だとびっくりする。


「うん、もう寝ようと思ってたんだけど」

「そう……わたしは、眠れないなんてことは、決してないんだから」

「なにも言ってないけど」


 いつからだろう。ぼくたちの会話は、ときおり一方通行ぎみになる。


「きっと、わたしが緊張と楽しみで眠れなくなっていると勘違いして、自尊心や虚栄心を満たしているんでしょ」

「思ってないけど――」

「けど……なに?」

「ぼくは楽しみだし、緊張もしてるよ。栗林さんとふたりで遊びにいけるんだから」

「ばか」


 プツン。電話が切られてしまった。


 おやすみなさい――くらいは言いたかったけど。ためいきをひとつつく。電気を消してベッドに横になる。もう掛け布団を厚くしないと眠れないような季節だ。それなのに、どうも身体が火照ってしまって、なかなか寝つけない。


 だから、ぼくは、について、もう一度考えた。

 そして、それでいいのだと、再確認した。


     *     *     *


 打ち上げをすることが決まったのは――人生ではじめて病院で年を越し、新年から五日経たときだ。突然と、栗林さんが病室に現れた。もう、二日後に退院が決まっていた。


 家族以外で、最初に「あけましておめでとう」と直接言ってくれたのは栗林さんだということを伝えると、「エントリー数1名しかいない勝負事くらい競走相手がいないんだから、ぜんぜん嬉しくない」と、突き放されてしまった――のだが、前言われたときもちょっと思っていたのだけど――


「えっと……エントリーはしてくれたんだね?」

「ばか」

 

 そういう意味ではないらしい。

 栗林さんは軽くため息をつくと、脈絡のない話をしはじめた。


「プロレス観戦のチケットが偶然2枚あるんだけど、わたしはプロレスのルールを知っているから、四条くんに教えてあげるわ。しかも偶然、四条くんが退院してから二週間後に試合があるの。決して、妹さんから退院の日をいたわけじゃないんだけど」


「待って、待って。頭が追いつかない。ええと、プロレス観戦に誘ってくれてるってことかな……?」

「そう」

「それは……なんで?」

「文化祭の打ち上げをしてないから」


 ぼくはがんばって、この話の文脈を頭の中で繋ぎあわせていく。


「つまり、文化祭の打ち上げをするってことだよね」

「その通り」

「それで、チケットが2枚あるから、打ち上げはプロレス観戦にしようと」

「そう」


 最初からそう言ってくれればいいのに。まるで、無理な頼み事をするときくらいのまどろっこしさだ。そして、ひとつ、訊かなければならないことがある。


「栗林さんはいつの間に、妹と仲よくなったの?」

「去年、お見舞いにきたときに連絡先を交換したの」


 そして――栗林さんもあのときのことを思いだしたのだろう。ふたり真っ赤になってしまった。卒業式まであと二カ月しかない。


「とにかく、打ち上げをするってことでいい?」


 栗林さんは、右の手をパタパタとさせて、顔の熱を冷ましている。


「うん、いいけど……大丈夫かな」

「リングの近くの席じゃないから、選手が飛んでくることはないわよ。それに、場外乱闘になっても、練習生のひとたちが、ちゃんと守ってくれるし」


「良かった……ぼくには、栗林さんのことを守る力なんてないし……そうだね、プロのレスラーの人たちが、観客を傷つけることなんてしないもんね。失礼なことを言っちゃったな」

「わたしのことを守る……?」


「うん、なんだろう、栗林さんのことを守りたいというか……ううんと、ごめん、自分でもなにを言ってるのか……」

「ばか」


 朝は雪曇りだったのに、昼に近づくにつれて少しずつ明るくなっていき、いまは晴れやかな天気になっている。


 だから、ということにしたい。ぼくの顔はどんどん火照ってきて、栗林さんの頬も赤らんでいる。


     *     *     *


 そして当日――ぼくたちは待ち合わせ場所の駅前で落ち合った。もう、こうして、ふたり一緒にいることになんの躊躇ためらいもない。学校でふたりでいても、ぼくたちに関心を持つひとは、まるっきりいなくなった(冷やかしてくる大紀をのぞいて)。


「えっと、今日はよろしくお願いします」


「なにそれ」――栗林さんは、かわいらしく、くすくすと笑う。ほんとうに、「なにそれ」だ。


「こちらこそ、よろしく。四条くん」


 休日とあって、多くのひとがいる駅の構内。ぼくたちは、離れないように、ぴったりと、漫才をしていたときと同じくらいの距離感――いや、それより少し近い距離で、電車がくるのを待っていた。

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