28. ひとつお願いがあるんだけど
遥かうえのガラス張りの天井から陽が差し込み、休憩スペース全体を明るくしている。止むことのないポリフォニーのなかで、ぼくと
美月さんは「バレると騒動になるから」とマスクをして、やたらとぼくとの距離をせばめてくる。
「記者の人とかがいたらどうするんですか?」
周りの注意をひかないように、ひそひそ声で抗議をする。
「んー、べつに違法なことをしてるわけじゃないから」
「でも、ぼくといてヘンな書かれ方をされたら、イメージが悪くなるじゃないですか」
「あー、黒い交際――みたいな?」
「拳銃で撃った反動で倒れそうな見た目ですけど?」
「白昼に堂々不倫――とか?」
「独特な相関図をお持ちのようで?」
「えっ、芽依と彼ピって、彼女と彼氏じゃないの?」
「なんか、頭痛が痛い、みたいな言い方ですね」
「芽依がいるのに、わたしと不倫してるなんて……最低」
「その場合、美月さんもこっちサイドなんですが?」
笑い声がでないように、マスク越しに手の甲を唇にくっつける美月さん。いままでのクセで、いちいち乗り気でツッコミをしてしまったことに、若干の後悔をした。
ツッコミの役目は、ボケを際立たせ、ドライヴさせることだ――と、ぼくの大好きな「ヴィ・バ・ラ」のマハは言っていた。会話はどんどん、美月さんのペースになっていく。
「芽依、明日のデート楽しみにしてて、家でそわそわしてるよー。今日の夜あたり電話がくるかもね。『優理くん……明日だけど、その、なに……ちゃんと来てよね、ね?』みたいな感じのさー。青春してるねー。わたしは、いつでも覚悟してるからね、結婚式は古今東西どれにする?」
「どこから突っ込めばいいか分からないんですけど、デートじゃなくて打ち上げだし、栗林さんの真似がめちゃくちゃうまいし、結婚式で古今ってなんですか!」
「ちょっと、四条くん……声をおさえて」
「ごめんなさい……あと、ぼくのこと下の名前で呼ばないですよ、栗林さん」
「へえ……呼んでほしかったりするの?」
「べつに、そういうわけでは……」
「じゃあ、芽依って呼んでみたい?」
「むかし、呼んでって言われたから呼んだら、すごい嫌がってましたし……」
余計なことを言ってしまった。あの生徒指導室でのネタ作りのときの他愛もない(?)会話のことなのに、美月さんは良いように解釈したらしい。
「ちょっと、詳しく教えてよー。もう二人の関係って始まってた感じなの?――けど、文化祭が終わるまでは、付き合えないんだ……みたいな?」
ここらへんで会話を一度切りたいと思ったぼくは、話題を肝心なことへと転じた。
「明日、ちゃんとした服というか、栗林さんの横にいても不自然じゃない服を着ていく必要があるかなと思ったんですけど、頼みになる妹が付いてこられなくなってしまって。よく分からなくて、どうしようかなあと思ってたところだったんです」
「なるほどね。だから、レディースファッションのコーナーにいたんだ」
あそこの階のテナントはすべてレディースだったのか。美月さんに声をかけられてほんとうによかった。
「んー。わたしがコーディネートをしてあげてもいいんだけど、それより、四条くんがうんうん悩んで決めたコーデの方が、芽依もなにかと嬉しいかもしんないし……まっ、わたしから言えるのは、メンズの服は6階にあるってことくらいかな。あと、『フィロソフィ』っていうお店で選ぶといいよ」
その情報だけでもたいへん有り難い。一か八かで美月さんに服を選んでもらえないかと思っていたけど、美月さんも用があってここにきているわけだから、ぼくのために時間を使ってもらうのは申し訳ない。
「ていうか、四条くんが急にオシャレになったら、芽依に疑われちゃうんじゃない。他のオンナの影を感じるって。だって、四条くんいま、百パーセントナンパに失敗するオトコのコーデしてるもん」
「一言余計ですよ……ところで、美月さんは、どうしてここに?」
「服を買おうと思って来たんだけど、イマイチぴんとくるのがなくて。そんなときに丁度、将来有望な漫才師のツッコミを見つけたから、ストレスを解消しようかなって」
「ツッコミをなんだと思ってるんですか!」
「だから……声をおさえて。でも、いいなって思った。わたしが高校生のときって、モデルの仕事もしてたから、ぜんぜん青春できなかった。芽依、楽しそうに漫才をしてたんでしょ。わたしのことのように嬉しいよ。四条くんが漫才に誘ってくれて、ほんとうによかった。ありがとう」
冗談ではない、ほんとうにそう思っているのだと伝わる口調で言われると、恥ずかしくなってしまう。
でもそれは、ぼくだって同じことだ。たくさん悲しいこともあったけれど、一生の想い出となるような、楽しい
「ところで四条くん、ひとつお願いがあるんだけど」
「お願い……ですか?」
まだ美月さんは、軽口をきくときのような表情に戻っていない。
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