エピローグ

胡蝶の夢

 目覚ましの時間より少し早く、黒井夜々子は目を覚ました。

 ぼうっと、天井を見上げる。布団をはだけてしまっているが、室温はやや肌寒い。

 何か、夢を見ていた気がするが、どんな夢だったかは思い出せない。


 ベッドの外へ、視線を向ける。

 学習机の上。パズルがひとつ。つい先日、四月二日、誕生日プレゼントとしてもらったもの。

 四月二日? ……そう、四月二日。それが夜々子の、誕生日。


「かゆい……」


 腕をかく。今日は調子の悪い日みたいだ。

 目を向ければ、点々と出血。

 よりによってこんな日に。いや、こんな日だからか。


 夜々子は、身を起こして、部屋の片隅を見た。

 真新しい制服が、吊られている。


「今日から、中学生かぁ……」




 朝の支度を済ませて、制服に着替えたところで、来訪者。


「ややちゃんおっはよぉー!

 いいねー制服似合ってるねぇーかわいいねぇー!」


「ゆななん、抱きつくのはダメだよ。制服、血がついちゃう」


「そんなんアタシは気にしないってー!

 あぁーアタシがもう一個下だったら一緒に中学通えたのになぁーかわいいなーややちゃんー!」


「ゆななんも、高校の制服、似合ってて、かっこいいよ」


 夜々子をわしゃわしゃとなでる、ご近所のお姉さん、青山夕奈那。

 誕生日の都合で今は二歳差だけど、学年は三個上。

 ほんのちょっとの誕生日の差で、夕奈那と一緒に中学に通うことはできなかった。

 仕方ないことだけど、夜々子はちょっと残念で、さみしかった。




 中学生活が始まり、クラスメートと交友を深める。


「えーっ、夜々子ちゃんもう十三歳なの!?」


「うん、誕生日、四月二日だから」


「いいなー!」


 何がいいのか、夜々子には分からない。

 新しい友達に覚えてもらう前に誕生日が過ぎてしまって、いつもさみしい気持ちになるのに。


「部活は決めた?」


「えっと、まだ。

 わたし、運動は苦手だし……」


「ここ文化部少ないよねー。

 前はパズル部ってのがあったらしいけど、部員不足でなくなったみたいだし」


「うん……」


 パズル部は夕奈那が所属していた部活だ。

 新入部員を集められなかったと、残念がっていた。


「ね、一緒に部活見学行こうよ。探せばおもしろいのあるかも」


「うん」


 見学に向かう。特別教室が集まる棟。

 廊下、騒ぐ上級生男子の集団とすれ違って。


「あっ」


「夜々子ちゃん危ない!」


 男子がふざけて投げた手提げ袋が、それて夜々子にぶつかった。

 夜々子はしりもちをついた。


「ごめん! マジごめん! 大丈夫か?」


 男子の一人が、あわてて夜々子に駆け寄ってきた。

 夜々子はその男子を見上げた。


 もじゃもじゃのくせ毛。小柄な体。けれど体格のわりに、手は大きい。


 ぽやんと見上げる夜々子を、男子は心配そうにあちこち見た。


「どっかケガしてないか? あっ、手、血が出て――」


「っ……!」


 夜々子はとっさに手で手を握りしめて、隠すように自分の胸に押しつけて、うつむいた。


「あの、大丈夫、です。

 これ、あの、わたし、肌が弱いから、血が出やすくて……だから、あの、大丈夫です」


 しりもちをついたまま、夜々子はぎゅうっと縮まった。

 男子は困った顔をして、それからクラスメートの方に謝って、何かあったら先生に言いつけてとクラスと名前を告げた。


「ホント、ごめんな」


 夜々子にそう言い残して、男子は集団の方に戻っていった。


「よー昼介ーマジメだなー。さすがモテる男は違うぜ」


「おまえなっ! ふざけてる場合じゃねーだろ、ケガさせてんだろーが!」


 つかみ合いながら、男子たちは去っていった。

 クラスメートが夜々子を助け起こして、ぐちぐち言った。


「ホント災難だったねー。男子って中学生になってもバカしかいないの?」


「うん……」


 夜々子はぼうっと、男子たちが去っていった方を見た。


「でも、あの人、お友達に本気で怒ってくれた」


 夜々子はそれから、自分の手を見た。

 荒れてざらざらで、おまけに出血までしてしまった、いつもの夜々子の手。

 もしも、この手がもっときれいだったらと、夜々子は思って――




   ◆




 目覚ましの時間より少し早く、黒井夜々子は目を覚ました。

 ぼうっと、天井を見上げる。布団から腕を出してしまっている。

 何か、夢を見ていた気がするが、どんな夢だったかは思い出せない。


「さむっ……」


 腕を引っ込めて、布団の中で丸まった。

 三月の朝は、春の陽気にはほど遠い。

 縮こまりながら、夜々子は肌の具合を確認した。

 調子は上々。肌荒れは今日はかゆみも少ないし、出血もたいして出ていない。


 ベッドの外へ、視線を向ける。

 学習机の上。折り紙の花束。手のひら大のパズルのピース。ヨーヨー。こないだ初めて参加した、ヨーヨー大会の参加賞。夕奈那にもらった手作りのパズル。卓上カレンダー。

 カレンダーの今日の日付には、花丸。


 夜々子はスマホを見た。

 たくさんの通知。それらに後回しにしてごめんねと思いながら、真っ先に一番見たい相手のメッセージを開く。


――起きた?


 夜々子は通話ボタンを押した。

 電話はすぐにつながった。


『おはよう、夜々子』


「うん、おはよう、昼介くん」


 言いながら、ぎゅうっと布団に抱きつく。

 付き合い始めてから半年以上経つのに、いまだ声を聞くだけで、体がほてってくる。


『なんつーか……こうやって、朝から電話するの、いいな』


「ばかっ……恥ずかしくなるじゃん」


 顔が熱くなる。全然慣れない。


『夜々子はイヤか? こうして電話するの』


「イヤなわけないじゃんかぁ……ずるい」


 枕に顔をうずめながら言って、電話の向こうから笑い声が聞こえた。

 夜々子はすねながら、つられて笑う。

 やがて、どちらともなく居住まいを正して。

 今日この日のための、あいさつを。

 二人の間で初めての、そしてこれから、きっと何度も交わされる祝福を、告げた。


「ハッピーバースデー、昼介くん」


『ハッピーバースデー、夜々子』


 卓上カレンダー。三月十五日に、花丸。

 その横、夕奈那の手作りのパズル。

 夕奈那が撮った写真を元に作ったもの。

 光の粒子と紫の炎を出しながらピースサインした、昼介と夜々子の姿。

 変えようのない過去に包まれて、取り戻そうと決めた未来を夢見た、今というそのときの一瞬が、そこにあった。


 後から思い返して、この中学一年生のひとときは、あまりにも劇的だった。

 そしてその後の人生がどうかといえば、当たり前のように、前世など関係ない世の大半の人たちと同じように、十分に劇的な人生だ。

 だから今も、これから先も、こう告げられる。

 この物語は、ハッピーエンドにつながってゆく。つながり続ける。






【「ちゅうやてをつなぐ。〜現代日本に転生した勇者と魔王、今はほぼ普通の中学生男女で、異性にドキドキしたりします〜」終わり

 そして二人の人生は、続く。】

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ちゅうやてをつなぐ。〜現代日本に転生した勇者と魔王、今はほぼ普通の中学生男女で、異性にドキドキしたりします〜 雨蕗空何(あまぶき・くうか) @k_icker

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