Summer Reflection

福山慶

Summer Reflection

 どうやら近所の高校は先週から夏休みになったらしい。まあ、通信制高校に通う俺にとってはどうでもいい話だ。

 カーテンの隙間から朝日が顔を出して部屋を淡く照らす。外からは様々な生物が活動を始めた音が聞こえる。

 俺はタオルケットを顔までうずめるように深々とかぶった。

 さあ、寝よう。眠れば嫌なことは忘れられる。きっといつか変われる日がくる。あるいは死ねる。

 瞼を閉じると意識は泥沼に沈んでいった。


 それから俺が目覚めたのはカラスの鳴き声がいやに響いたからだ。上半身だけ起き上がると違和感を覚える。

 普段なら茜に染まっている空が煌々としていた。


「まだ朝?」


 そして発声した瞬間、不快感が俺を襲った。慌てて喉を抑えると、腕も喉も、か細くなっていることに気づく。


「なんなんだ、これは悪夢か?」


 喉を通り抜ける普段とはかけ離れた高く透き通った声に嫌悪しながら、はたして俺は姿見に幼くなった姿が映し出されていた。


「――つまりはタイムスリップか」


 口に出すと冷静になる。いや、ならなかった。


「気味が悪い。お前、さっさと死ねよ」


 鏡に映った俺は子供とは思えないほどやつれた顔をしていた。さしずめブラック企業に勤める社畜のようだ。まあ、実際の俺はニートなわけだが。

 そんなとき、チャイムが鳴った。来客だ。今更ながら時計を確認すると、針は九時を示していた。

 まあ、どうせ母さんが出るだろう。そう思っていたのだが三十秒ほどしてまたもやチャイムが鳴る。


「母さんはいないのか?」


 ガシガシと頭を掻きながら居留守を決め込もうか迷ったが、三度目のチャイムに痺れを切らして俺は玄関まで降りた。

 扉を開ける。


「どちらさ、ま……」

「……えっと、久しぶり英二えいじ


 シュッとした顔立ちの美少年が、その顔がもったいなくなるほど表情を固くして立っていた。不安そうに右手で左手の肘を押さえている。

 俺はコイツを知っている。名前は彼方かなた。小学校一のイケメンで俺の親友だった存在。

 強烈なデジャブだった。

 俺は一度これを体験している。確か五年前の夏。小六だ。俺は小六から徐々に引き籠もりがちになった。不登校になった。そんなとき夏休みにコイツが心配してきてくれたんだ。当時の俺は彼方を追い返したんだったか。

 瞬時に記憶が蘇った。羨望、嫉妬、そして自己嫌悪。


「なあ、一緒に遊ぼうぜ」


 彼方はぎこちなく笑いかけてくれる。これはチャンスだと思った。

 きっと俺が今の俺たらしめているのはこのとき彼方を追い返したからではないか。現実から逃げず、彼方と向き合えば引き篭もることもなかったのではないか。

 しかし勇気を出すというのはとてつもなく怖い。ああ、遊ぶか。その一言が喉に詰まって窒息しそうになる。

 永遠と感じられる刹那。彼方が無理やり俺の手を取った。


「外、出るぞ」

「あ、おい!」


 燦々と降りしきる太陽に視界が眩んだ。

 そして、ハッと目覚める。外はジリジリと蝉の声が鳴っていた。日差しがぼんやりと室内を照らす。ベッドから降り、時計を見ると午後三時。姿見には出不精な俺の姿。髪や目元、髭がとても人には見せられない状態になっている。


「今のは夢……?」


 心臓がはち切れんばかりに鼓動を上げている。俺は胸に手を押さえた。静まれ、静まれ。

 けれどもそんなことは不可能だった。過去との邂逅は無性に気持ちを逸らせる。

 そろそろ現実と向き合わなければならないのではないか。このまま死んだように生きるのは虚しいことだろう。

 俺はパジャマから着替え、早足で玄関まで行った。扉が固く立ち塞がる。自分で開けなければならない。彼方はもう開けてくれない。一度拒絶してしまったのだから、いつまでも助けを待つというのは詮無いことなのだ。

 震える手で取っ手を掴む。冷や汗が首筋を流れた。

 おそるおそる、扉を開ける。筋肉が衰えているからか、気持ちの問題からか、やけに重く感じた。

 そして、強い日差しが俺の目を襲った。あの夢と同じ、俺は眩む。

 そっと目を開けると、そこには道路を挟んだ先に田畑が見えた。少し上を向くと青空が果てしなく広がっている。

 外に出たのだ。

 俺は勢いよく駆け出した。

 周りの目なんて気にならなかった。人が居たってどうでもよかった。俺は風に背を押されていた。

 程なくして辿り着いた先は住宅街に並ぶ普通の一軒家。それでも俺にとっては不動明王のように荘厳だ。

 意を決してチャイムを押した。はーい、と青年の声が中から聞こえてきた。

 ガチャっと扉が開くと高身長でスラッとした顔立ちのいい男が出てくる。その男は俺の姿を見て息を飲んだ。


「彼方、遊びに来たんだが、いいか?」


 彼方は破顔した。


「久しぶりだな、英二。もちろんいいぜ」


 こうして俺たちの夏休みが始まる。

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