「ゆっくり書く」と「すばやく書く」
今年からカクヨムに文章をアップするようになったのだけど、その理由は、なるべく推敲の時間を減らしたかったからだ。
ひとりで書いていると、無際限に推敲してしまう。わたしの毎日の執筆時間は30分くらいだ。新しい行を書き出す前にそれまで書いた分を毎回推敲するので、場合によってはそれだけで30分全部使い切ってしまうことも多い。1日に新しく書ける分量は、原稿用紙に換算したらせいぜい半分とか3分の1くらい。それでも、それを毎日つづけていれば、1年もすれば長編小説になっている。
それはそれで楽しい作業なのだけど、問題は、展開に勢いがなくなってしまうことだ。ナメクジが這うようなスピードで書いているから、読み返したときにテンポがとても悪い。自分でも眠たくなる。テンポが良ければ素晴らしい小説だなんてことはないのだけど、せめて眠たくならない小説を書いてみたかった。
ひとりで書いているといくらでも推敲してしまうけれど、こうやっていったんアップロードしてしまえば、基本的にはもうそれ以上推敲できない。推敲では、単に「てにをは」を直すだけではなく、場合によって1章分まるまる削除してしまったり、主要キャラをいないことにしてしまったりすることもある。でも、いったんアップロードしたものに対してそんなことはできない。読む人は少ないけれど、それでも人に見せたものを勝手に消してしまうのは倫理的にまちがっている気がする。
さて、そうやってなるべく推敲せずに、次々書いてはアップロードするようになると、確かに文章に勢いが出てきた。少なくとも眠たくはならない。ただその一方で、あまり自分が成長していないとも感じている。前は、ひとつの場面を書くのに何ヶ月も時間を費やすことがあった。そういう苦労をすると、それまで書けなかったものが書けるようになったという手応えが確かに感じられた。ところが推敲しないと、同じような小説を手を替え品を替え、ひたすら再生産しているだけのようになってしまう。
推敲とは言い換えれば「ゆっくり書くこと」だ。ゆっくり書くことと、すばやく書くことという、一見矛盾することをうまいこと融合できればいいのだと思う。前に絵が上手くなりたくて『デッサンの道しるべ』という教本で勉強していたことがある。その本には、ゆっくり描く練習と、すばやく描く練習の両方が紹介されていた。
ゆっくり描く練習のひとつに純粋輪郭画というのがある。これは、たとえば自分の手の輪郭をじっと見て、その輪郭を眼で辿りながら、それとまったく同じペースで鉛筆を動かし、輪郭を描いていくというものだ。「鉛筆の先がモデルの輪郭に触れていると感じられるまで決して鉛筆を動かしてはいけない」という指示があって、そう感じられる瞬間が訪れたら、ほとんどミリ単位で少しずつ視線を動かし、輪郭を描いていく。重視されるのは触覚だ。見たものを見たまま描くというよりも、そこに感じられる触覚そのものを描いていくのだ。
素早く描く練習には、ジェスチャードローイングが挙げられる。ジェスチャードローイングは、モデルを見て、その身振り(ジェスチャー)を感じながら、感じた通りに紙になぐり書きする練習だ。細部はぐちゃぐちゃでもぜんぜん構わない。というよりも、むしろ細部にこだわらないように、鉛筆を紙から離さず、一筆描きするよう指示されていた。細部ではなく、モデルを見て感じられるジェスチャーそのものを描くことがねらいなのだ。
絵は、「ゆっくり描く」と「すばやく描く」の両方の組み合わせで作成される。ゆっくり描かないと触覚の感じられないスカスカの絵になってしまうし、すばやく描かないと勢いのないもったりした絵になってしまう。
小説も同じで、推敲を通して「ゆっくり書く」ということをしないと、文章がスカスカになる。よい小説の文章は、いろんな情報がぎゅっと圧縮されている。読み返せば読み返すほど、飽きるどころか、情景がますます立体的に立ち上がってくる。それは、読者が知らないところで、作者が信じられないほどの膨大な時間を推敲に費やしたからなのだろう(ここらへんは小説に限らず漫画やアニメでも同じで、何度見ても気持ちいい作品は、作者が推敲にかなりの時間を割いていると考えていいと思う)。
しかしそれをやり過ぎると、小説があまりに重たいものになってしまう。「ゆっくり書くこと」だけでつくられた長編小説はたくさんある。その代表格はプルーストの『失われた時を求めて』で、辞書並みの分量のページ数なのに、そのすべてのページが複雑な文体で異様に濃密に描かれている。わたしはこの作品が好きだけど、極めて眠たい小説であるのも確かだ(何度挫折したことか)。
「すばやく書く」練習はこれからも続けるけれど、少しずつ推敲に使う時間を増やしていきたいと思っている。たぶん、どこかで最適なバランスに辿り着くのではないか、と期待している。でもどうなるかはわからない。
推敲にかなりの時間を使っているのに、「すばやさ」を感じられる作品を書いている小説家や詩人には、村上春樹、レイモンド・カーヴァー、谷川俊太郎らが挙げられる(この人たちは推敲にかなりの時間を使っていると公言している)。あと、芥川龍之介も同じタイプなんじゃないか。アニメ監督だったら宮崎駿や山田尚子だろう。この人たちは、自分が満足できるものを作りたいという職人的な気質と、「売れる商品をつくりたい」という商売人としての意識が両立しているのだと思う。
あれ、小説ってどうやって書くんだっけ? 残機弐号 @odmy
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