二重生活者
ある特定のものごとの他、何に対しても興味がもてない人がいる。わたしだ。
いちおう、社会科学者として10年以上研究をつづけているけれど、社会科学は好きですか? と言われると、とくに好きではないと答えるしかない。社会のことなんてどうでもいい、とどこかで思っている。新聞だって渋々読んでる。やめていいよ、と言われれば喜んでやめる。ただ、いちおう関連する学位は取ってるし、これで食べていくこともできる。だから、本当いえば興味ないなあ、と思いながらもつづけている。
小説は好きだ。読むのも書くのも。しかし「好き」の幅がめちゃくちゃに狭い。たとえばカフカは好きだ。でも、大多数の作家には興味が持てない。名作と言われる作品を読み始めても、こんなの小説ではないと捨ててしまうこともある。小説好きの人と話すことがあっても、こちらからだいぶ合わせる。堀辰雄が好きだっていうからがんばって堀辰雄を読むとか。そしてなんとか面白いところを見つけようとする。後日、「あの辺りが良かったよね」といえば喜んでもらえる。喜んでもらえるのはうれしい。でも、別れた後、自分が好きな小説のことを何ひとつ話してないことに気づいたりする。
他人に軸足を置くのは気が楽だ。しかし自分に軸足を置くと、とたんに孤独になる。自分に興味があるもののほぼすべては他人と共有できなくて、他人が興味があるもののほぼすべてにわたしは興味が持てない。孤独は嫌だから、ちょっと自分の興味から外れたものでも頑張って勉強してみる。ものすごく外れたものだとさすがに挫折する。でも、少しでも自分の興味とリンクできそうな部分が見つかれば、そこにしがみつく。興味なくても、やっているうちに興味が出てくることはある。でも、しばらくそこから離れていると、久しぶりに手をつけようとしたときに、「なんでこんなことやってたんだっけ?」と戸惑う。
他人に軸足を置きすぎると、どんどん自分が空っぽになっていく。逆に自分に軸足を置きすぎると、どんどん自分が孤独になっていく。その行ったり来たりで生きてきた気がする。だからたぶんこれからもそんな感じなんだろう。どちらかに安住できず、わたしは二重生活を送らなくてはならない。
カフカの伝記を読むと、周囲からは、それなりに社会性のある人だと認識されていたみたいだ。伝記のためのインタビューを受けた人々は、だいたいみんなカフカのことを「いい人だった」と言っている。でも、全集に収録されている日記や、恋人に宛てた手紙を読むと、彼がたんなる「いい人」ではないのは明らかだ。思い込みが激しくて、自分勝手で、異様に饒舌で、世間知らずで。こんな人がよく社会でやっていけたものだと思う。カフカもまた、二重生活者だったのだろう。
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