彗星は燃えてショッピングモールを翔ける

 それから1週間、彗河は学校に来なかった。

 あたしはほんの少しだけ言い過ぎたかなと反省しつつも、いつぶりかの平穏な日々を堪能していた。薄情かな。でもたまには息抜きさせて欲しい。今までずーっと一緒だったから。

 ただ、あの日最後に見た彗河の笑ってない瞳が頭から離れなかった。

 ――私は星那ちゃんのこと、とっても好きなのに

 バイト先のクレープ屋で生地を丸く鉄板に広げながら、あたしは彗河の言葉を思い出していた。重い。重いよ彗河。あんたの好きは、『ヨーグルッペ好き』とか『いつメンマジ最高』みたいな軽さと足して2で割ってサイダーで薄めて丁度いいのよ。

 あの子とはこれっきりになっても仕方ないかもしれない。とはいえ、なんか拗れたみたいな別れ方をしてしまった後味の悪さが胸にわだかまる。

 危うく焦がしそうになった生地を引き上げて生クリームを塗りたくりながら、薄く長い溜息を吐いた。

「何日かしたら謝るか――ん?」

 ふと視線の先にいた清掃員のおばちゃんが、しきりに首を傾げている。フードコートのゴミ箱に溜まったゴミ袋を回収しに来たらしいおばちゃんは、ゴミの中から何かを掴み上げて訝しんでいる様子だった。

 燃えるゴミに混じっていたそれは子犬くらいのサイズの紙袋で、中身が漏れているのか何かが染みていた。

 数メートル離れたこちらに、それの臭いが漂ってきた。鼻にツンとくる、冬場によく嗅ぐ独特のこの臭いは――

 紙袋の中身に思い至るより先に、突如館内放送のスピーカーがブチブチキーンと耳障りな音を立てて、私は思わず身を竦ませた。

『あーあー、星那ちゃーん聞こえるー?』

 音量を完全にミスったような爆音で、彗河の声が3階建ての館内に響き渡る。マイクに口近づけすぎてんだよ彗河。いや今はそんな事どうでもいい。

『きっと今頃バイトだよね。その後は彼氏さんと遊びにでも行くのかな。私のいない所で』

 あいつ何やってんの? 公共の放送使って……放送室の人は何してるんだ。

『このショッピングモール、2人でたくさん遊びに来たよね。放課後とか休みの日に、ゲームセンターで遊んだり雑貨屋冷やかしたり、フードコートで日が暮れるまで何時間もおしゃべりしたり……本当に、楽しかった』

 悪戯にしたってタチが悪い。でもいつもの調子で万人に向かってあたしへの想いを語る彗河に、背筋が冷たくなった。

『色々考えたんだけどさ、私。星那ちゃんとの思い出がとってもとっても大事で、ずっと胸に仕舞っておきたくて……だからね』

 直感が告げる。あいつ、何かヤバい。

『ぜーんぶ燃やして、私と星那ちゃんの楽しい思い出を留めておこうと思うの』

 しんと静まり返ったフードコートで、誰も笑わなかった。は? って感じだった。皆もあたしも。

 楽しい思い出は黙って仕舞っとけ。何だよ燃やすって。

「冗談にしたってタチが悪い――」

 嫌な予感を振り払うようにやれやれと首を振ったその時、遠くで何かが爆ぜる音がした。

 続いて聞こえた遠い悲鳴に、あたしは目の前の作りかけのクレープを放り出して店を飛び出した。クレープ待ちの客も、何だ何だと音がした方へ首を伸ばしている。

 教室のゴミ箱を蹴り上げたような、ぼん、ぼんという音が断続的にショッピングモールの反対側からして、悲鳴と逃げ惑う足音がこちらに近付いてきた。その向こうから赤い炎の尻尾がちろりと見えて、あたしは溜息を吐いた。

「あっちで! 女の子が! 次々にゴミ箱やら植木やらに火を突っ込んで! そしたら爆発して!」

 いの一番に逃げてきたおっさんが息も絶え絶えにそう言って、フードコートは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。ほぼ同時に非常ベルが鳴り響いたのもパニックに一役買ったと思う。

 喧騒の中、逆に心がすっと冷めたあたしはクレープ屋の帽子を取った。


 彗河は本当にあたし諸共思い出を燃やす気だ。

 逃げ惑う人波に揉まれながら、その奔流の最奥を睨む。数百メートル先から次々に何かを燃やしながらこちらへ走ってくる制服姿の放火犯が見えた。

 大方さっき清掃員のおばちゃんがゴミ箱で見つけたみたいなガソリン袋がそこら中に仕掛けられていて、それに躊躇いなく火を放っているんだろう。ショッピングモールの端から、ゴールのフードコートを目指してひた走りながら。

 遅れてやってきた煙に目を細める。遠すぎて表情は分からなかったけど、あの言い草だったら泣きも後悔もしてないだろうな、なんて思った。こんなクソ迷惑な聖火ランナーもいないだろう。


 破壊衝動に染まり炎を背負ったその軌跡は、真っ赤なほうき星みたいだった。


 ◆


 長すぎる回想を終えてクソデカ溜息を吐く。

 何とか煙に身を紛らわせ、彗河を撒いて建物外に逃げおおせたあたしは消防隊に生存者として保護された。そうして、少し離れた場所から火災現場と化したショッピングモールを見上げている。

 デカい建物が相変わらず火柱と黒煙を上げて星空を灼き、何ならたまに爆発すらしていて、それを成し遂げたのがあたしの友達だってことが本当に情けないを通り越して無理だった。

 こうなったのはあたしのせいだったんだろうか。いや違うだろ。

 誰かから手渡されたペットボトルの水を頭から被り、あたしは周りの制止を振り切って燃え滾るショッピングモールへと駆け出した。



 煙に咳き込み、これはもしかしたら間に合わないかもなあなんて思いながら、あたしは火中に続く消防隊のホースを飛び越えた。これを辿ったら消防隊に捕まってしまう。だからなるべく避けながら走る必要がある。

 多分彗河はあそこにいる。ショッピングモールと心中するつもりなら多分あそこ。

 止まったエスカレーターを駆け上がり、さらに濃くなる煙に目を細める。3階から燃え広がった火は今や2階を焼き、1階の一部まで燃え広がっていた。その煙は全て今から向かおうとしている3階に集中している。そこに行こうってんだから、一酸化炭素中毒待ったなしの自殺行為だ。

 でもあたしは死ぬつもりはない。あいつのやらかした火の海で死んでやるつもりはない。誰が心中なんかするか。

 毛先がチリチリと焦げる臭いに眉を顰めて身を低くし、ゲーセンの角を曲がる。

 辿り着いたフードコートの真ん中で、全ての元凶は床にぺたんと座っていた。ローファーの踵を鳴らして近付くと、気付いた彗河ははっと顔を上げて振り向いた。

「せ、星那ちゃ」

 驚きとあたしが帰ってきた喜びとで反射的に緩みかけたその頬を遠慮なく張り飛ばし、制服の胸倉を掴んで怒鳴る。

「勝手に好きになって勝手に絶望して……勝手に死のうとするな!」

 一瞬泣きそうにぽかんとしていた彗河は、涙を堪えて「だって、だって」と小さく繰り返す。

「星那ちゃんが悪いんだよ……私、本当に星那ちゃんのこと」

「自分が好きになったらあたしも好きにならなきゃいけないの? そういうの身勝手って言うのよ! あたしは……」

 あたしの気も、知らないで。

「あたし、田舎は嫌って言ったじゃん」

 鼻を啜る彗河は、潤んだ瞳を向ける。火の粉と黒煙が舞う中、その両瞳は星屑を湛えた夜空みたいに澄んでいて、ああやっぱり綺麗だなんて思ってしまった。

「田舎は嫌いだけど……あたし、こんなクソみたいに何もない場所でも、悪くないなって思ってたのよ」

 初めて話しかけたあの時から、ずっと。

「あんたに、明日学校で何話そうかなって、いつも」

 皆まで言わせんな馬鹿。

 付きまとわれて鬱陶しかったのは本当。そりゃそうだ。でもさ、99%の鬱陶しいの中に1%でも楽しい思い出がなかった訳では、絶対にない。

 暑くて溶けそうな夏の放課後にボロい自転車を押してアイス買いに行ったことも、くだらない話で笑ったことも、2局しかない民放の話題で盛り上がったことも、2人して寝過ごしたバスで山奥まで連れて行かれて一緒に途方に暮れて帰ったことも。全部全部嘘なんかじゃない。

 あたしと彗河との日々は、燃やしていいものなんかじゃない。

「私……」

 大粒の涙が彗河の瞳を転がり落ちたその時。バタバタとたくさんの足音と「あそこだ!」「まだ生きてるぞ!」の声が、天井が焼け落ちようとしているフードコートに響き渡った。

 駆け付けた救助隊だ、と気づくより先に、私達はそれぞれのオレンジ色の制服の男達に抱えられた。触れかけたお互いのまっさらな指が、相手を掠めて離れていく。

「……彗河」

「要救助者2名! 分けて抱えるぞ!」

「せ、星那ちゃん、私ね」

「ほら君、暴れるな!」

 何か言いかけたはずの彗河の言葉の続きを聞くより前に、私達はあっという間に引き離されて運ばれた。

 あれだけ遠く感じた1階入口に最速で到達し、新鮮な空気と開けた視界が私を迎える。煤だらけの顔を手で拭い、再度放り出された駐車場から炎上するショッピングモールを見上げた。

 目撃証言と可燃性の持ち物によって即時任意同行という名の半強制連行されたらしい彗河の姿は、もうどこにもなかった。

 最後に言いかけた彗河の言葉の続きを想い、あたしは救助隊のおっさんのお説教を受け流す。夜空にたなびく白煙をぼんやりと見上げて「ああ不器用な彗星みたいだ」なんて思った。


 ◆


 数年ぶりにアクリル板越しに会う彗河は少し痩せていて、それでも束ねられた長い髪は手入れも行き届かないだろうに艶と品があって、あたしはああやっぱり彗河だ、と納得した。

 死者は奇跡的に出なかったとはいえ計画性のある重放火罪ということで、彗河は未成年だということを差し引いてもお釣りが来るくらいの無期懲役を食らって収監された。海外だと懲役カンストしすぎて200年とかなるやつ。でもまあそりゃそうなるだろと思うし、現行法に何か言いたいことは特にない。こうして透明な壁越しに面を拝む事ができるなら他は何でも。

 しばらく互いに黙る時間があって、俯いていた彗河がおずおずと顔を上げて「星那ちゃん」と小さく呼んだ。

「また……友達って呼んでも……いい……?」

 こういうまどろっこしいとこが嫌いで……でも、好きだったよ、彗河。あたし達はあくまで友達にしかなれなかったけれど。

「……好きにしたら」


 投げやりに言ったつもりが笑ってしまったあたしに、彗河は涙を滲ませて微笑んだ。

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星夜炎上 月見 夕 @tsukimi0518

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