擦ったマッチは戻せない
何がきっかけであんな狂った放火犯と仲良くなったんだ、とこのあと事情聴取か何かでしこたま聞かれるんだろうけど、きっかけと言えば多分あれだ。
彗河とあたしは同じ中学だった。
やっぱり狭い地元なだけあって顔見知りも多かったけれど、あの子は小学校の卒業と同時にこの何もない田舎へと引っ越してきた珍しいパターンだった。物珍しさはあったと思う。
小綺麗な手元、おっとりとした所作、そこはかとなく香るいい匂い。それなりに太そうな実家の香りとお育ちの良さを醸し出していた転入生は、退屈な田舎の人間にとっては格好の餌食だった。
「天野さんってさ、自動改札機に通りそうな名前じゃない?」
「下の名前、まんまSuicaだもんね。分かるー!」
「コンビニ行ってこいよ。財布出さなくても手をかざすだけで会計出来るんじゃない?」
「あはは残高入ってそうー」
休み時間に響くのは分かりやすく醜い田舎民の僻みだ。言うだけ自分達の惨めさに跳ね返って来るんだから止めとけみっともないとも思う。けど、ここでは彼らがマジョリティだ。多数決がいつだって有効なのは、多数派が正しさを誇示し堅持するからだ。
いつもなら見ないふりをしたんだろうけど、何となく、ただ何となくその時は私の虫の居所が悪かったんだと思う。
通りすがりに言ってやった。
「彗星の河――天の川ってことじゃん? 娘に付けるには最高に綺麗な名前よね、両親の慧眼に脱帽するわ。あたしは好き」
突然の部外者の参入に、ピーチクパーチク言ってた奴らは一様に口を噤んだ。そうだ黙ってろよ小鳥共。お前らなんか白鳥にもならない心まで醜いアヒルの子のままでいろ。
アヒル達は面白くなさそうに目を逸らし、それきり彗河にダル絡みをするのをやめたようだった。
言いたいことを言ってひとりですっきりして廊下に出ると、追いかけて来る足音があった。
「あ、あのっ」
慌てて追ってきたのか、セーラー服のリボンは曲がってた。けど絹のような長い髪を耳に掛ける所作から滲み出る品の良さだとか、上気した頬だとかがやっぱりどこか田舎にはない華やかさがある気がして、あたしは思わず見とれてしまった。
「名前、パパとママが新婚旅行でアラスカの天の川を見て付けてくれたんだけど、どうして知ってるの」
「いや知らんけど」
いやほんとに知らんわ。
こういう空気を読めない感じがアヒル達を調子に乗らせるんじゃないかと思うけど、何も言わないでおいた。
そんな思いも知らず彗河は俯いて言葉を絞り出す。
「……さっき、嬉しかった。その……綺麗だって言って貰えて……初めてだったから、他人にそう言われたの」
「ああそう」
「市川さん……あの……
何かもうこういうやり取り自体が面倒臭くて、さっさと立ち去りたかったことだけは覚えてる。だから去り際におざなりに返事をした。
「好きにしたら」
それからというものの、彗河はあたしにべったりになった。どの程度かと言うと、文字通り。クラスでは常に隣か前後の席に陣取っていたし(元々「天野」と「市川」で近かったせいもある)、教室移動・課外活動・休憩時間・昼休み・放課後……ありとあらゆる時間は大体隣に彗河がいて、ねっとりとした羨望とも好意ともつかない目線を投げて寄越した。少なくとも友愛ではない。
いやウザいだろ。重いのよ、愛。
元はと言えばあたしの蒔いた種なのかもしれないが、実った愛が重すぎる。背負い込みきれなくなった愛を適当に毎日あしらっていたけど、高3の夏になっていい加減何とかしないとと思い始めた。
彗河とは中1からの付き合いだから、かれこれ6年目にもなる。小学生でもそろそろ卒業したっていい時期だ。
もういいでしょ――彼氏くらい作ったって。
週2でやってたショッピングモールのクレープ屋のバイトで適当に大学生を見繕い、彗河に内緒で付き合い始めた。それが間違いだった。
バイト終わりに彼氏へLINEしながらショッピングモールの裏口を曲がると、物陰から彗河がゆらりと顔を出した。非常灯に照らされた彼女を見て、悲鳴を上げそうになった。
彗河は微笑みをたたえ口を開く。
「星那ちゃん、そのLINEしてる人だあれ?」
目は笑ってなかった。
「……彗河」
「知らなかったな。私には教えてくれなかったから。彼氏ができたんだってね」
「なんで知ってんのよ」
「うちのお隣さんの息子さんが向かいのステーキ屋で働いてるから」
迂闊だった。フードコート内に情報網が敷かれていたとは……。
彗河はふわりと目を細めて笑う。
「そして来年の春には地元を出て、東京に行っちゃうつもりなんだってね」
「……なんでそれも知ってんのよ」
「ん? 親戚にフードコートの清掃員をしてる人がいてね。クレープ屋の店長さんから聞いたんだって」
クソ狭い田舎って本当クソ。世間狭いにも程があるわ。若人の交際情報がマッハで飛び交っていく。個人のプライバシーなんて意識はティッシュより薄い。
「寂しいな、私のこと嫌いになっちゃった?いつもいつも一緒にいたのに。私は星那ちゃんのこと、とっても好きなのに」
「……っ、あたしの人生なんだから、あたしの自由でしょ」
半ば彗河を突き飛ばし、あたしは逃げるようにその場を後にした。
振り向かなくても分かる。彗河のねっとりとした視線は暗闇を突き抜け、逸らされる事なくあたしの背中に刺さっていた。
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