うわの伝染

天西 照実

うわの伝染


 アスファルト道路がフライパンみたいでさ。

 こんな所で転んだら焼き肉になれるっていう猛暑。


 午前中の夏期講習が終わって、真昼間の炎天下を帰らなくちゃいけなくて。

 駅から家まで、サクサク歩けば10分もかからないのに。

 暑いし眩しいし、ちんたら歩く気力しかなくて。


 最近、男物の日傘も増えてるらしいし。

 人気ひとけの少ない場所だけでも使おうかな……。


 そんな事をボーッと考えていたら、道の前から、

「うわっ」

 って、女の人の声が聞こえた。

 若い女の人が3人。

「ビックリしたぁ。なにー?」

「セミの死骸しがい落ちてたー」

「うわ」

「うわぁ本当だ。この道、多いよね」

「踏みそうになったよ。あぶなー」

 そういう事らしい。


 干からびたミミズとか、トカゲとか。

 カナブンとかセミの死骸も、この道にはよく落ちてる。

 なぜか他の道より多い。

 子どもの頃は『死体通り』なんて呼んでた。正しくは『死骸』なんだろうけど。

 だけど、それだけのこと。毎年同じだ。


 俺の後ろから、自転車の爺さんが追い越して行った。

 駅まで、自転車で通うのも楽だろうな。

 駅前の駐輪場、ひと月いくらだろう。


 そんな事をボーッと考えていたら、自転車の爺さんが、

「うわっ」

 って、叫んだ。

 ビチビチ聞こえる。

 さっきのセミ。死骸じゃなかったらしい。

 アレが動き出したら誰でも驚くだろう。

 自転車の爺さんが転ばなくて良かった。


 飛ぶでも走るでもない。

 あれは『転げ回る』で正しいだろうか。


 狭い道路を、ビチビチと音を立てながら転げ回っている。

「うわ……」

 気付いた。俺が進みたい先だ。


 別に、セミは無害だ。

 蚊のように伝染病を広める訳でもないし、ハチやムカデのような毒虫でもない。

 それは、わかってる。


「――うわっ」

 セミが、靴にぶつかってきた。

 俺のズボンが木にでも見えるのか。

 ビチビチと翅を動かしながら、引っくり返ったセミが近付いてくる。

 避けても寄ってくる。

「うわうわっ」

 俺の声も、いよいよデカくなった。


 そこへ、ヒーローが現れた。

 尻尾だけが縞模様しまもようの白猫が駆け寄って、セミに猫パンチをお見舞いした。

 うちの祖母ばあちゃんが外飼いしてる猫の『オジマ』だ。

 片手で弾き飛ばしては、転げた先でジーッと観察している。


 セミはまた、動かなくなった。

「オジマ。そのくらいにしてやって」

 俺が声を掛けると、ビチビチビチっと、ひときわ大きな翅音(?)を立ててから静かになった。

 ひょっこりと振り向いたオジマが、セミを口に咥えている。

「うわぁっ!」

 つい、叫んだ。

 なんか、パリパリ聞こえる。

「オジマ……オジマさん。おまえ、飼い猫だろ……」

 オジマはセミを口に咥えたまま、空き家の庭へ駆けて行ってしまった。


 ――外で虫なんか食べてね。

 虫につく寄生虫も、お腹に入れてくるから。時々、虫下しを飲ませてるんだよ。


 確かに、祖母ちゃんが言ってたけど。

 朝晩、あれだけカリカリを食べといて。

 本当に、外でも虫なんか食べてるとは……。


「あんだけ元気なら、翅を休めたらまた飛べてたかも知れないのになぁ」

 そんな事を思った。

 帰って、俺のクッションの上でオジマがくつろいでたら、また「うわっ」って叫ぶと思う。



 仏壇で良いだろうか。線香1本。

 動物には先端を1センチくらい折った線香をあげると良いって、祖母ちゃんが言ってた。

「うわ。俺、良い事しようとしてる」


 ――この酷暑に、短い一生を過ごさなければならない虫たちに。


 アブラゼミに混ざって、ツクツクボウシも鳴きだした。

 セミチームの中では遅出のツクツクボウシ。

 毎日暑いが、季節も進んでいる。

 セミの声も、いつの間にか秋の虫の声に負けていくのだ。

 ……でも、夏休みは終わらないで欲しい(笑)。

                              了

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