第2話 800肉屋

 さて、目まり店員のいる側に恐竜が、それもその場に収まるサイズのティラノサウルスがいるのだ。

 通常の感性や認知をもった人ならおわかりいただけるだろうか?普通動物が店番をしていてもあくまでそれは犬や猫などが店主の一瞬の不在をいいことに店主の椅子に座っていたりするイメージだが、目の前のソレは本来白亜紀の後の時代の北米大陸に存在するものであって肉屋にいることはまず夢にも思わないような、紛れもないティラノサウルスであった。

 面食らったのも無理はない。

 俺は引っ越してきたこのスラム化した要塞のような有様のファッキングボムの街で初めて買い物に来た。午前中の散歩で見つけた肉屋で夕飯にコロッケでも買おうと午後になって買いに来たのだが、先述した通りまさか大きさ以外そのままの恐竜がいるとは思わなかった。

「いらっしゃいませ」

 恐竜が喋った。あっけにとられていたが、どうやら恐竜は店員らしい。よく見たら店名入りのエプロンをしている。太目のゴシック体で、

[君津精肉]

 とある。

 そんな名前の肉屋だったのか。そういえば看板に精肉と書いてあったきがする。

「コロッケありますか」目の前の非日常にどもらずにしゃべることができた自分自身に少しおどろく。

「今ちょうど出すところです」

 恐竜が器用に湯気の出ているコロッケののったトレーを陳列ケースに入れた。美味しそうである。

「これは君が作ったんですか?」

「いや、店長が後ろのほうで作ってるんです」

 後ろのほう、とは陳列ケース強いては恐竜の背後には窓がミラーガラスになっている両開きの扉があった。スーパーで見るタイプのものである。その向こうからコロッケを揚げているのだろう。バチバチという油の跳ねるような音が聞こえてくる。

「198円です」

 ずいぶんと中途半端な値段である。これならいっそ200円にしてほしい。100円玉を二枚出して1円玉を二枚うけとる。ティラノサウルスの鱗まみれの手は少し温かかった。

「どうぞ」

「ありがとう」

 受け取ったコロッケはホカホカと温かかった。店を出ると午後の陽ざしが心地よかった。コロッケを食べたらジャガイモの甘味と挽肉の控えめだが忘れてくれるなという存在感がバランス良く混在していておいしかった。童心に帰る様だった。

 店員が恐竜なこと以外何の変哲もない普通の肉屋のようである。いまのところは。

また明日来ようと思う。


 次の日の午後、俺は青椒肉絲の肉を買いに再び昨日の肉屋に来た。入る前に入口の上にある看板をよく見ると、昨日の恐竜の店員の来ていたエプロンと同じ文字の[君津精肉]と太目のゴシック体で看板に書かれてあった。

 店の中に入る。

 陳列台の向こうにはティラノサウルスではなく、ガスマスクの大男がいた。身長は190センチ以上あるのではなかろうか。正直怖かったので思わずあっという声が出てしまったがガスマスクの大男は気にしていないようであった。

「いらっしゃいませ」

 体格相応の低い声で話す。冷静になって見ると、ガスマスクのお男はどうやら店員であるらしく、[君津精肉]と書かれたエプロンをしていた。胸元のネームプレートには「店長」と書いてあった。この異様な風貌の大男が昨日ティラノサウルスが行っていた店長か……。

 いつまでもこのホラー映画に出てきそうな風貌の大男をジロジロ見ている訳にも行かないので、とりあえず夕飯に使えるようなオススメはあるか聞いてみる。

「まずは豚肉ですね」

 大男が鮮紅色の塊のズラリと並んだ陳列棚の左側に移動する。俺も移動する。その中でも一段と存在感があるのは「ロース」「肩ロース」と表示のある脂肪の白さの目立つ鮮紅色の塊であった。

「安いうえにビタミンB1が多く、ありとあらゆる料理に使えます。その中でも特にロースは汎用性が高いです。薄ければ生姜焼きや青椒肉絲、厚ければトンカツにもなります。次にバラ肉、この塊なんですが、コイツは角煮や東坡肉なんかの厚さのあるやつに使えます。どうでしょう」

 思ったより詳しく解説されってしまった。面倒に思ったが、俺が肉の種類を牛豚鳥羊という括りでしか考えていなかったことに気付かされたのだ。他の肉についてもう少し詳しく聞いても損はないだろう。

「はあ~奥が深いんすねえ。牛だとどうなんでしょう」

 大男のガスマスクの奥の目がギラリと光ったような気がした。

「牛肉ですね」

 鮮紅色の塊のズラリと並んだ陳列棚の真ん中に移動する。俺も移動する。豚肉とは違い、どれも確かに脂肪はあるにはあるが、それ以上に鮮紅色の部分が目立つ肉である。目立つのはやはりロース肩バラの部位である。同じ四本足で蹄を持った生き物だから似たようなところが美味いのだろうかと考える。

「豚肉よりお値段は高いですが、この肉も汎用性の高い肉ですね。よくステーキなんかに使われる肉はサーロインなんて呼ばれてます。カレーなんかの煮込み料理にはこのでっかい塊のもも肉を使うし、ロースや肩の薄切りのものであればもうそれこそなんにでもできます。焼肉でもしゃぶしゃぶでも青椒肉絲にも使えるんです。個人出来には豚以上にオススメです」

 この大男は豚肉よりも牛肉が好きらしい。表情は解らないがかなり情熱的な語り口になっていた。

 牛肉にしようかな、と思ったが、まだ鶏肉や羊肉について聞いていないからそれを聞こうかと考えた。この調子ならば鶏肉もなにか部位ごとに美味く食べられる料理がある筈であるし、羊肉はジンギスカン以外食べたことが無いからきっとジンギスカン以外の料理を店長は教えてくれるに違いない。

 鶏肉の方に行こうとしてふと気になる肉を見つけた。

 陳列棚は鏡に映したL字型になっており、今まではLの長いほうの肉を見ていたわけだが、短いほうに面した鶏肉を見るにあたって違う肉も視界に入ってきたのだ。

 豚肉や牛肉にも脂肪がついていたが、それはどれも薄ピンク色のものだった。しかし、この肉についている脂肪は黄色かった。鶏そっちのけで大男に聞いてみる。

「これ何の肉ですか」

 ここで店長のネームプレートを付けたガスマスクの大男は初めて困ったような反応をした。

「あーそれねー」

 なにかマズい物なのか。法や倫理に触れる肉なのだろうか。俺は聞いてはいけない暗黙のルールを破ってしまったのだろうか。

「それね、お客さんの取り置きのヤツでね。お客さんに聞かれても教えないでーって言われてるんですよ」

「ああ……」

 そのお客さん大丈夫な人なの?マズい物だから教えないでーってことじゃなくて?なんだかここまで濁された返事をされたら商品全部がなにかマズい物なんじゃないかと思えてくる。ティラノサウルスくんの人格にかけてそんなことはないと思いたいが。気分を逸らすため、黄色い脂肪の肉の横にある、まあ得体のしれない魚のような肉について聞く。

「サカバンバスピスの肉だよ」

「サカバンバスピス!?」

 サカバンバスピス!オルドビス紀に海に生息していた復元模型のクオリティが不正確なうえに独特すぎることで話題になった無顎類の絶滅種!第四紀まで種としては完全に永眠していたが、新第四紀になって復活していたのか!?

「でも、なんで肉屋に?どちらかと言うと魚……ですよね」

「そうなんだよねー。でも仕入れられちゃったから……売らないわけにもいかないし……復活生物の法律の規定とかまだ全然だし」

「……ちなみにどこに復活とかってわかりますか?」

「冥王星。絶滅した系統や生物はだいたい冥王星で復活するよ。ティラノサウルスもDNAの先祖が冥王星生まれだって」

 冥王星!火星旅行とか海王星の災害とか、地球外の話もよく聞くがこうしてギリギリスラムみたいな場所で生きるので満足しちゃう俺には縁の無い用語だと思っていた。意外と近くに当事者はいるもんだな……。

「じゃあサカバンバスピスの肉にします」

「マジ?サカバンバスピスは詳しくないから味の保証とかできませんよ俺!?」

「じゃあ実際に食べてみて報告しますよ」

「いやあありがとうございます。一尾500円すね」

 一尾買う。

 ありがとうございました、と言われ店を出た。まだ日は高い。早く冷蔵庫に入れたいものである。

 結局、今日は豚肉と牛肉の話しか聞けなかったし、鶏肉と羊肉の他、今日聞いた以外の得体のしれない肉のことについては聞けずじまいだった。話を聞くには店に通うしかないが、店員も店長も悪い人柄ではなさそうだったのでまあ大丈夫だろう。

 

 その日の夜は炊いた白米と味噌汁に加え、サカバンバスピスを焼き魚のようにして食べた。俺はサカバンバスピスを食べながら、今もこの瞬間も冥王星の海をサカバンバスピスがあの何も考えていなさそうな顔をして泳いでいるんだよな、とらしくなくおセンチになっていた。あの顔をした魚が冥王星人たちの手によって網にかかったり他の動物に食われたり逆に食ったりして、絶滅したのに再び食物連鎖の中にちゃんと入れていると思うと涙を禁じ得なかった。しかも何の因果かそれが今俺の目の前に食物として存在しているのだ。

 人はどんなに離れていようと同じ世界にいる以上、絶対に関わらない、関係ないということにはならないのだ。

 もし昨日今日と行かなければこのような気分になることは決してなかっただろう。[君津精肉]、良い肉屋かもしれない。


 ……サカバンバスピスの味はどうだったって?それは君自身で確かめて欲しい。




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BIOAGE/バイオエイジ 鼠棚壕 @sumizumi

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