『真夜中の公園で』

小田舵木

『真夜中の公園で』

 寝苦しい夜が続く夏の夜。私の家のクーラーはお亡くなりになった。

 故障した理由は分からない。特に酷いことをしていたつもりはないんだけど。

 時刻は23時。まだまだ日中の太陽光線の跡が残っているのか暑苦しい。熱帯夜ってヤツかな。

 私の部屋はとにかく蒸す。アパートの近所に川があるのがいけないのかも知れない。

 まったく。たまったものではない。

「冷たいもの…」と私はつぶやきつつキッチンの冷蔵庫に向かうが、冷たいモノはあらかた摂取してしまった。麦茶もさっき作り直したばかりでぬるい。冷凍室のアイスも食べちまった。

 エアコンが壊れただけでも不幸だが。さらには今は土曜日で。修理の業者が捕まらなかった。これで月曜日まで過ごせと言うのか。

 何処かに避難することも考えるが。友人は旅行に行ってしまっているし、さらに言えば金欠だ。

 手詰まりなのを感じる。扇風機があるのは不幸中の幸いだが、ぬるい部屋で回したところでたかが知れていて。

「ぬああああ…」と扇風機の回転する羽の近くでうめく。やけくそになりつつある。

 「とりあえずコンビニでも行くかなあ」いや金ないけど。安いアイス位は買えるだろう。

 

                   ◆


 川原の道を歩んでいく。川の流れはよどんでいて。まるで私の人生みたいだな、と思う。

 今は仕事を続けてはいるが…正直うまくはいってない。人間関係ってヤツに板挟みにされている。上には上がいて、下からも何かと言われる。あの部屋のエアコンみたいに壊れそうになってる最中だ。

 なんて。夜の一人歩きはこういう嫌な事を考えてしまうからいけない。周りが暗いせいで視覚への情報量が減るから。

 

 川原の道の途中には公園がある。そこはかつて私が幼少を過ごした場所で。

 ボロくなった遊具に思い出が染みている。あのジャングルジムの上から見る景色は広かったよなあ。子どもだったからそういう風に感じたんだろうけど。

 歳を喰うとこういうところでノスタルジーにひたりがちだ。

 コンビニに向かう足を公園の中に進めてしまう。

 そして誰も居ない事を確認してからジャングルジムに登って。運動不足気味の体をなんとか使って頂上へと至る。そして上から景色を眺めて見るのだけど。

「公園の中しか見渡せないじゃん」と思わず呟く。子どもの頃の展望は記憶違いだったのか、はたまた私が大人になって視野が狭まったか。

「大人になっちまったからだな」と私は独り言を重ねる。大人になると視野は狭まる…というか定まる。見えてるものに新鮮味を感じなくなる。

 ジングルジムの頂上に尻を落ち着けて。ぼんやり辺りを眺め、狭い公園を見回す。そこには大人の世界観のメタファーがある。うんざりして空を眺めれば。星は少ない。こういう街中は夜間照明が明るすぎて星の明かりはかき消されるのだ。見えるのは月のみ。


 月を眺める視線を地面に下ろしてみれば。ジャングルジムの下に―子どものような影が。

「へ?」いやこの時間に子ども?まさか…

「幽霊ってあれか?」と思わずこぼれたが。

「幽霊じゃないよ」との返事が帰ってきた。少年の声だ。

 

                   ◆


「何してるんだい、少年よ」ジャングルジムを降りた私は傍らの少年に語りかける。

 少年は歳の頃は10歳くらい。利発そうな顔立ち。背は高くない。

「質問を質問で返すけど、お姉さんこそ何やってたのさ?」と彼はく。不思議そうに。

「ん?久しぶりにジャングルジムで遊んでたのさ」いや、実際は幻滅してたところだけどね。

「大人のくせに?」彼は疑うような目つきだ。

「大人になってからジャングルジムに登るとどんな景色が見えるのか試したくてね」正直に言ってみる。子ども相手に嘘はいけない。

「どうだった?」

「がっかりしたよ。子どもの頃はコイツの上から見える景色に感動したもんだけど、今はそうでもなかった。公園の中が見回せる程度だったな」

「それは子どもの僕もそうだけど?」

「そんなもん?私は昔、この上から世界が見回せるような気がしていたよ」

「世界は狭いんだよ、お姉さん」と彼は諦観ていかんじみた物言いをする。賢い子どもなのか、生意気な子どもなのか、はたまたその両方なのか。

「君くらいの歳頃はもっと夢を持っておくべきだよ」偉そうに言ってしまう。

「そういう子どもじみた真似はしたくない。僕は大人でありたいんだ」彼は胸をはりながら言う。

「大人ってつまんないぜ?」私は自らの人生をかえりみながら言う。

「色々出来るじゃん?大人はさ、自分で」

「それこそ子どもの世界観だよ、少年。大人ってのは周りの状況にめられていくものだ、そしてその中で生きていかねばならない。決して自由ではないんだよ」

「それは、そうお姉さんが思い込んでるだけじゃない?」と彼は切り返す。そこには一抹いちまつの真実がある。

「…そう思い込んでないとさ。しんどくなる」なんて素直に応える私。初対面だからこそ逆に正直であれる。体裁さえ整ってない関係だからこそ言える事はある。

「大人は大変だ」なんて、あっさり統括する彼。

「まったくだ。で。さて君」

「ん?」と彼は何もやましいところがないと言いたげな姿勢でこたえる。

「こんな時間に何してんだよ?子どもは家で寝てる時間だぜ?警察に見つかったらエライ事になる」

「いやさ…」と言いにくそうにする彼はブランコの方に向かっていく。私はそれを追いかける。

 

                 ◆

 

「ウチのいえ複雑で」と私の隣のブランコをきこきこ揺らす彼は言う。

「…親が離婚してる?」と私は推測を挟む。ブランコを揺らしながら。

「お母さんが再婚しててさ。だから僕の今のお父さんは実のお父さんじゃないんだけど」

「そりゃ気まずいな」

「気まずいってもんじゃないよ」

「んで?喧嘩でもしたのかい?」

「そうだね。僕じゃないよ、お母さんが喧嘩したんだけどね」

「それで?君はその光景を見ちまった訳だ」

「寝てても聞こえてくるんだもん。わざとじゃない」

「そいつは可哀想だ。親の喧嘩なんて聞きたかない」

「そうなんだよ。しかも喧嘩の原因は僕さ」と彼は憂鬱な表情で言う。

「嫌なもんだ、同情する」

「もうちょい慰めてよ」

「君は安い同情がほしいのかい?私なら嫌だ」

「そういう感情に飢えてるんだよ」

「ま、子どもだからそうかも分からん」

「んでさ。お父さんが言うんだ『アイツはお前に似てない』って」

「そこは遺伝の不思議ってヤツだな、母親に似るとは限らない」

「うん。前のお父さんにそっくりなんだよ、僕」

「それで?お母さんはなんて言い返したのさ?」

「『そうね。私もあの男に似てるあの子、苦手だわ』って」と彼は悲しそうに言った。

「それは―キツい。少なくとも子どもが聞いて良いことじゃない」

「まったくだ」そういう彼は妙に大人びている。普通の子どもなら涙ぐむだろうに。

「君を巡っての喧嘩ね…ねえ、君、前のお父さんに付いて行かなかったの?」

「そうしようとしたけど…お父さんが育てきれないって」

「それは酷い」

「そんな訳で僕は親から必要とされてない子どもなんだよ、家に居場所なんかない」

「そしてこうやって抜け出しても、何方どちらも気付かないか…全く、子どもをなんだと思ってるんだか」と私は吐き捨てる。彼に同情してしまう。

「邪魔だと思ってるんじゃない?」何気なく言う彼の横顔に浮かぶ諦念。それは傍から見てて気持ちの良いものではない。

「邪魔だなんて…子どもは、いや人間は生まれたなら、ただそこに居て良いものなのに」

「僕の家ではそう考えてないみたい」

「君は―苦労人だ。私なんかより」と思わず言ってしまう。これも安い同情なのかもしれないが。

「そうかな」と彼はブランコを揺らし続ける。その表情は平板で。

 

                  ◆

 

「さて。人生相談はもうお終いかな?」と私はブランコを揺らしつつ言う。少年のブランコとはリズムが合わない。

「そうだね。もう言える事はないよ」

「そっか。役に立てなくてゴメンね」と謝る。私は彼の悩みを聞くことしか出来ない。

「いいんだ。こんな話、学校の友達には出来ないよ」

「そりゃそうだ、ヘビー過ぎる。私ですら持て余す」

 

「ねえ。お姉さんは大人じゃん?一人で生きるって楽しい?」と彼はくのだが。

「楽しいよって言ってあげたいところだけど。一人には一人なりの苦労がある」

「そうなの?」

「そう。私だって人生うまくいってる訳じゃない。おまけに家のエアコン壊れるしね、この暑い夜にさ」私達はうっすら汗ばんでいる。

「それは大変だ。うんざりする」

「そうなんだよ。疲れた体を休めようとしてた矢先にこれさ。まあ君の苦労と比べたら可愛いものだけど」

「僕の家は少なくともエアコンは効いてるよ」

「それでも抜群に居心地が悪いだろ」

「それは違いないね」

「ったく。お互い苦労すんね」

「だね」と彼は薄い笑みをこちらに浮かべてくれる。その笑顔は物悲しい。無理してると言うか、自分の不幸を受け入れた上で他人に同情してるというか。そんな顔、子どもがしていいものじゃない。

「さて。今の私に出来ることは―君を警察に連れていくか、君を家まで送り届ける事ぐらいだ。情けないけど」

「…」彼は考え込む。警察を選べば、もしかしたら家庭にメスが入るのかも知れない、と考えているのだろうか。私はそれを狙うが。

「君は今でも苦労してる。警察に行って正直に喋れば、児童相談所くらいは引っ張りだせるかもしれない。そして家にメスが入るかも知れない」

「…少し良いかもって思ったんだけどね」と彼は少し溜めて言う。

「何か引っかかる?」

「僕。お母さんに『私もあの男に似てるあの子、苦手だわ』なんて言われたけど、好きなんだ。できれば側に居たい」

「…そうかい」こうこたえて公園を出るしかなかった。

 

                 ◆


 私と少年は川原の道をれて、住宅街の方に入っていく。その道の先にコンビニが見えてきた。

「おっとそう言えば」私は呟く。

「どうかした?」隣を歩く少年は言う。

「私はコンビニにアイスを買いに出かけた訳さ」

「公園で遊ぶ為じゃ無かったのかい?」

「んな訳あるか。あれはついでだよ」

「ま。それはそうか。だいの大人だもんね」

「少年、アイス食べたくない?」

「知らない人には物をもらうなって言うじゃん?」

「人生相談した仲だろ?」

「名前知らないし」

「じゃお互いに名乗り合おう。私はあいって言うんだ」

「僕はね、こんっていうんだよ」

「そっか。んじゃこれで知り合いだから。アイス買おうぜ」

 

                 ◆


 アイスを食べながら私と少年は歩く。二人そろってラムネ味のアイスバー。

 その淡い甘さと爽やかさはベタつく夏の夜の一服の清涼剤だ。

「そろそろ家に着く」と彼はアイスバーの棒をかじりながら言い。

「おっと。最後まで送っていくぜ?」と私は言う。ここで…なんて古典的な手は喰らわない。

「駄目か。やっぱり」

「大人を出し抜くにはもっと捻った嘘ださなきゃ」

「しょうがない」


 そうして。

 住宅街のまん中の一軒家に辿たどり着き。

「お姉さんはここまでで良いよ。お母さんに説明するの面倒なんだ」

「じゃ物陰から家に入るところ見張っとく」

 少年は家の玄関に向かっていき、鍵をカチャンと開けて、中に吸い込まれていった。その奥では何が起こるのだろうか。せめて見つからない事を祈る。

 

                 ◆


 こうして。

 私の夜の散歩はちょっとしたイベントを差し込んで終了した。

 帰り道に一人歩くと妙に寂しいのはさっきまで隣に連れが居たからか。

 しかし。私の人生はままならないよなあと思う。エアコンの事にしろ、さっきの少年の事にしろ。何か明快な解決や答えを出せない人生。

 空を見上げれば、ミッドナイト・ブルー。真夜中の青。

 その吸い込まれるような濃くて濁った空の下、私は家に帰っていって。

 部屋を開ければ相変わらずの熱気がこもり。

「ままならぬも人生か」と呟いた。

 

                 ◆

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『真夜中の公園で』 小田舵木 @odakajiki

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