わたしの大好きなマリ
金石みずき
第1話
わたしの一日は、マリに「おはよう」を言うところから始まる。
ベッドから半身を起こしたマリは、うんと伸びをして、欠伸を一つ漏らす。そしてカーテンを開け、外の天気を確認する。ここまでがお決まりのルーティン。晴れの日は腰に手をあて、うんうん頷く。雨の日は眉間に皺を寄せ、げんなり背中を丸める。曇りの日は、どこかそっけない。
マリの部屋は二階だ。部屋から出たマリは、まず階段下にある洗面所で顔を洗う。タオルで水気をとった後、ついでに口をすすいでから、化粧水と乳液をつける。肌に馴染んだところで今日のコンディションを確認し、一旦終了。ダイニングへ行き、朝食を食べる。
わたしの主観では少し珍しい気がするのだが、マリは朝食に和食を好む。白飯、お味噌汁、それにだいたい焼き魚と、昨晩の副菜の残りが小鉢に入って出てくる。朝食を用意したマリの母親は食欲旺盛に食べる娘の姿をどこか楽しそうに見守りつつ、自身も食卓について今日の予定などを簡単に確認する。
朝食を終了したマリは歯を磨いた後、肌の調子がよく見える程度にベースメイクを施してからリップを塗り、時計を確認して大慌てで着替えて家を飛び出す。わたしはその後ろ姿に「いそげ、いそげ」と声をかけながらも、毎日なぜギリギリになってしまうんだろう? と可笑しくなって首を捻る。たとえ一〇分早起きしても決まって同じ時間になるのだ。
登下校中に会った知り合いに挨拶をしたり簡単な会話をしたりしながら学校に着く。電車の関係で結構ギリギリになるので、朝の会話はほとんどなく、席に着く。この後すぐに朝読書が始まるからだ。
鞄から取り出した本はピンクや黄色など、暖色系の色使いが主になっていて、どこかポップなフォントで書かれたタイトルが表紙を斜めに横断している。最近は恋愛小説にハマっているらしい。読書中のマリはのめり込むという表現が相応しいほどに、本の世界に没入している。こういうところは、高校へ通学するようになる前から変わらない。心臓のドキドキ鳴る音が、こちらまでリアルに感じられそうだ。
午前の授業が終わった後、今日のマリは通院のために帰宅する。もうすっかりいいのに、なんて友達に唇を尖らせて文句を言いつつ、手を振って見送られる。母親と一緒に病院へ着いたマリは、採血したりレントゲンをとったり、いろいろな検査をする。
以前は採血なんて日常の一コマだったのに、今はもう顔をイーッて顰めながら恐る恐る腕を出しているのが面白い。日常が板につき、病院が非日常になったということなのだろう。主治医の先生から、順調ですね、の言葉を引き出したマリはどこか得意気で、病院横に併設された調剤薬局でたくさんの薬を貰って車に乗り込む。これだけはまだまだ手放せないらしい。
通院を終えたマリは家に帰ると決まってベッドに横になる。左胸に手をあてて目を瞑り、深く深く呼吸するのだ。表情は穏やかで、でも眠っているのとは違って、口元にほのかに笑みが浮かんでいる。マリの白いしなやかな手が心臓の鼓動をトクン、トクンと捉える。
それはどこか儀式めいていて、傍で見ているこちらまでドキドキしてしまうように錯覚してしまう。マリは一〇分ほどそうしてから身を起こすのだが、このときばかりはどこか儚げに、気怠そうに、ぞっとするほど美しい顔をする。わたしは毎度、顔を熱くするのだった。
さて、ここまでもったいぶったわたしの正体はと言えば、マリに取り憑いた幽霊だ。
もう少し詳しく言えば、今のマリが持つ心臓の元の持ち主ということになる。
なんでわたしが心臓を提供することになったのかはまるで覚えていないが、マリの胸にあるそれが元はわたしの物であったということは間違いない。どうしてかと言われても困るけれど。理由なく確信してしまっているのだから、仕方がない。
わたしはマリと出会うまで、無気力な人間だった。
生きる目的を持たず、日々を怠惰に過ごしながら人生を浪費していた。
マリと出会ってから――つまり死んでしまってから、ようやくわたしは生きるという意味を学んだ気がする。
マリを見て、マリと一緒に過ごし、そしていつの間にか、初めての恋までしていた。
もう鼓動しない胸の熱さを、初めて自覚した。
それがまさか、同じ女の子が相手になるとは想像すらしていなかったけれど。
わたしの存在が消えるまで、わたしはマリと共に在り続けるのだろう。
マリが笑い、怒り、泣き、楽しみ、そして好きな人に頬を染める。
わたしもこれから、きっと様々な感情を経験する。
嬉しくなったり、悲しくなったり、ときには苦しくなったり。
それはどれだけ幸せなことだろうか。
これも全部、マリが教えてくれたことだ。
この恋は決して成就しない。
けれど、わたしは今、幸せです。
わたしの大好きなマリ 金石みずき @mizuki_kanaiwa
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